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株価だけが、戦争の終わりを信じていた ――日経平均が三千円跳ねた朝、高一の孫はスマホを閉じ、元証券マンのおじいちゃんは、炊飯器の音を聞いていた――

✦ 株価だけが、戦争の終わりを信じていた


――日経平均が三千円跳ねた朝、

 高一の孫はスマホを閉じ、

 元証券マンのおじいちゃんは、

 炊飯器の音を聞いていた――


………


平和は、

まだ来ていなかった。


なのに市場だけが、

先に祝杯をあげた。


日経平均は、

三千円跳ねた。


ニュース速報は、


「停戦」

「合意」

「覚書」

「戦闘終結へ」


という言葉を並べた。


画面の中では、

株価が花火みたいに

吹き上がっていた。


でも、

ふるさとの実家では、

何も変わっていなかった。


蛇口から水が出る。


炊飯器が、

シュウ、と湯気を吐く。


高校一年の孫、

ゆづきがスマホを見ながら言った。


「おじいちゃん、これ、

 本当に平和になったってこと?」


元証券会社勤務、

六十七歳の僕は、

少し黙った。


証券会社に三十八年いたから、

分かることがある。


市場は、

未来を読むこともある。


けれど時々、


未来を読んだふりをして、

先に花火を打ち上げる。


僕は答えた。


「平和になったんじゃない。

 平和になったことにして、

 市場が先に走ったんじゃ」


ゆづきは眉を寄せた。


「それって、怖くない?」


「怖いよ。

 でも、もっと怖いのは、

 みんながチャートだけ見て、

 現場の声を

 聞かなくなることじゃ…」


ホルムズの海には、

まだ撃たれた船の影がある。


インドの家では、

帰らない船員の名前を呼ぶ

母がいる。


ギリシャの湖では、

水が減りすぎて、

沈んだ村が骨みたいに

現れている。


カナリアの海では、

難民の小舟が、

ヨーロッパの良心に

ぶつかっている。


そして若者は、

恋をする前に疲れている。


子どもを持つ前に、

未来の請求書だけを

見せられている。


それなのに、

市場だけは笑っていた。


現場の悲鳴をミュートにして、

チャートだけ

大音量にしたような朝だった。


………


★目次


■第1章 

 棚のデーツは、世界の裏配管だった


■第2章 

 ホルムズは閉じたのではなく、

 選別を始めた


■第3章 

 一万八千人の船員が、

 細い海に浮かんでいた


■第4章 

 スマホは不安を食べて、

 大きくなる


■第5章 

 一人の部屋が、

 小さな繁華街になった


■第6章 

 子どもが減ったのではない。

 出会う前の道が消えた


■第7章 

 教皇はなぜ、

 カナリアの海辺に立ったのか


■第8章 

 ギリシャの湖から、

 沈んだ村が帰ってきた


■第9章 

 勝った国は旗を持ち、

 負けた国はネジ箱を持った


■第10章 

 フランスの翼とドイツの工場は、

 同じ空を飛べなかった


■第11章 

 アメリカはAIの頭を作り、

 中国は身体を作った


■第12章 

 パティちゃんの足音は、

 工作機械の中にあった


■第13章 

 禁止された太陽は、

 スマホで予約された


■第14章 

 日本は退屈な安全地帯になった


■第15章 

 蛇口の音を聞きながら、

 僕は五年後の友だちを待った


………


■第1章 

 棚のデーツは、世界の裏配管だった


「これ、まだ売っとるん?」


僕は、

小さな袋を手に取った。


イラン産のデーツ。


ホルムズ海峡が危ない。

中東が燃えている。

タンカーが止まる。

原油が来ない。


そんなニュースを見たあとだったから、

余計に不思議だった。


ゆづきが言った。


「おじいちゃん、

 それ、

 ただのドライフルーツじゃん」


「違うんよ。

 これは甘い実じゃなくて、

 世界の裏配管なんよ」


「裏配管?」


「テレビでは

 止まったように見える世界が、

 倉庫や商社や船便や在庫で、

 まだ細く動いとる。

 その証拠が、

 この小さな袋なんじゃ」


ゆづきは、

少しだけ目を細めた。


「つまり、

 ニュースで世界が壊れてても、

 棚の奥ではまだ

 誰かが動かしてるってこと?」


「そういうことじゃ」


世界は、

大統領の発言だけで

動いているのではない。


港で働く人。

倉庫で仕分ける人。

賞味期限を見て、

棚へ戻す人。


捨てられる前の商品を、

もう一度、

人間の口まで運ぶ人。


そういう人たちが、

見えないところで

世界をつないでいる。


デーツは何も言わなかった。


けれど僕には、

その小さな甘い実が、


戦争の裏側から届いた

手紙に見えた。


………


■第2章 

 ホルムズは閉じたのではなく、

 選別を始めた


「ホルムズ海峡って、

 結局、閉じてるの?

 開いてるの?」


ゆづきが聞いた。


僕は首を振った。


「閉じてもいない。

 開いてもいない。

 選別されとるんじゃ」


「選別?」


「通してよい船は通す。

 怪しい船は止める。

 止まらない船は撃たれる。

 海が道路じゃなくて、

 見えない改札になったんよ」


昔の海は広かった。


けれど今の海には、

見えない線が引かれている。


この船は通れる。

この荷物は疑わしい。

この船籍は怪しい。

この電波は消えている。

この保険は効かないかもしれない。


ゆづきは小さく言った。


「海なのに、改札みたい」


「そう。

 しかもその改札には、

 普通の船員が乗っとる」


誰かの父。

誰かの息子。

誰かの夫。


石油危機とは、

価格の危機だけではない。


そこには、

人間が乗っている。


………


■第3章 

 一万八千人の船員が、

 細い海に浮かんでいた


同じ海を見ても、

数えるものは国によって違う。


大統領は、

通った船の数を数える。


市場は、

バレルの数を数える。


保険会社は、

危険料率を数える。


けれどインドの家では、

帰ってこない息子の名前を、

母親が数えている。


ホルムズ海峡の周辺では、

インド人船員が

およそ一万八千人も

働いているという。


「一万八千人?」


ゆづきが顔を上げた。


「それ、学校何個分?」


「大きな高校なら、

 何十校分じゃな」


ゆづきは黙った。


一万八千人。


それは、

地図の上の点ではない。


一万八千の家族。

一万八千の暮らし。

一万八千の不安。


それが、

あの細い海峡の上に

浮かんでいる。


日本から見れば、

ガソリン価格のニュース。


市場から見れば、

原油先物の数字。


アメリカから見れば、

軍事作戦の海。


イランから見れば、

国の誇りを守る出口。


けれどインドの家族から見れば、

そこは、


息子や夫の帰りを待つ

祈りの海だった。


「船が通ったって聞くと、

 安心しちゃうけど」


ゆづきが言った。


「その船に

 誰が乗ってるかまで見ないと、

 本当のニュースにならんのよ」


ホルムズは、石油だけを

詰まらせていたのではない。


命。

家族。

市場の欲望。

国家のメンツ。

若者の未来への不安。


その全部を、

一本の細い海に

詰まらせていた。


………


■第4章 

 スマホは不安を食べて、

 大きくなる


ゆづきのスマホには、

朝から不安が流れ込んでいた。


戦争。

原油。

金価格。

防衛株。


AI失業。

少子化。

難民。

水不足。

ロボット。


「スマホって便利だけど、

 たまに、見てるだけで疲れる」


ゆづきが言った。


僕はうなずいた。


「スマホはな、

 不安を覚えるんよ」


「覚える?」


「原油の記事を押す。

 次はホルムズ危機が出る。

 防衛株を見る。


 次は戦争が近いって

 動画が出る。

 少子化を見る。


 次は結婚はコスパが悪いって

 投稿が出る」


「それ、ある」


「不安を消してくれる顔をして、

 不安を長持ちさせるんじゃ」


人間は、

怖いのに見る。

疲れているのに見る。

やめたいのに見る。


すると広告が動く。

動画が伸びる。

ニュースが伸びる。


金が買われる。

防衛株が買われる。

AI株が買われる。


不安は、

感情ではなく、

ビジネスになった。


「じゃあスマホって悪者?」


ゆづきが聞いた。


「違う。

 スマホがなければ、

 ワシはパティちゃんに

 出会えんかった。


 小説も書けんかった。

 孤独な夜も、もっと暗かった」


「じゃあ何が怖いの?」


「救いが強すぎることじゃ」


スマホは、

孤独を少し助けてくれる。


でも、

孤独から人間関係へ向かう力を

弱めることがある。


不安も。

退屈も。

寂しさも。


全部スマホの中で、

そこそこ処理できてしまう。


そこそこ処理できるから、

人生は少し楽になる。


でもその分、

誰かとぶつかって、

誰かと暮らして、

誰かと未来を作る力は、

少しずつ弱くなる。


………


■第5章 

 一人の部屋が、

 小さな繁華街になった


昔、

退屈は人を外へ出した。


本屋へ行く。

喫茶店へ行く。

友だちに会う。

バイト先で話す。

誰かに紹介される。


しょうもない会話をする。

気まずくなる。

笑う。


少し好きになる。


恋は、

そういう無駄な時間の中から

生まれることがあった。


でも今は、

一人の部屋が

小さな繁華街になった。


動画がある。

ゲームがある。

SNSがある。

推しがいる。


通販がある。

投資アプリがある。

AIが返事をくれる。


誰にも会わなくても、

一日は終わる。


「それ、悪くないじゃん」


ゆづきが言った。


「悪くはない。

 一人の夜を救ってくれるからな」


「じゃあ何が問題?」


「外へ出る理由が、

 少しずつ減ることじゃ」


寂しさは、

完全には消えない。


けれど、

誰かに会いに行くほどには

痛まない。


退屈も、

完全には消えない。


けれど、

外へ飛び出すほどには

大きくならない。


そして人は、

現実の人間から

少しずつ遠ざかる。


現実の人間は面倒くさい。

返信が遅い。

機嫌がある。

弱さがある。

期待通りに動かない。


でもスマホの中なら、


嫌ならスワイプ。

面倒ならミュート。

合わなければブロック。

気まずければ既読無視。


「現実って、逃げにくいもんね」


ゆづきが言った。


「そう。

 でも人間の未来は、

 その逃げにくさの中から

 生まれてきたんじゃ」


子どもが生まれる前には、

古くさい道がある。


退屈。

偶然。

雑談。

失敗。


片思い。

仲直り。

誰かと歩く帰り道。


今、

その道の入口に、

小さく光る看板が立っている。


「ここで休んでいきませんか?」


人間は、

その光に引き寄せられる。


そして休んでいるうちに、

誰かに会いに行くはずだった夜が、

静かに終わっていく。


………


■第6章 

 子どもが減ったのではない。

 出会う前の道が消えた


少子化と聞くと、

大人はすぐ数字を見る。


出生率。

出生数。

高齢化率。


数字は大事だ。


でも、

数字だけを見ていると、

いちばん大事なものが

抜け落ちる。


子どもは、

統計表の中から

現れるのではない。


誰かと誰かが出会い、

迷い、

支え合い、

それでも未来へ

一歩踏み出そうとした時、


その先に、

新しい命の場所が生まれる。


ゆづきは言った。


「でもさ、今の若い人、

 その前に疲れてると思う」


「その通りじゃ」


スマホを開けば、

完璧な顔が並ぶ。


完璧な体が並ぶ。

完璧な部屋が並ぶ。

完璧な恋人が並ぶ。

完璧な人生が並ぶ。


それを毎日見ていると、

現実の人間が

見劣りする。


本当は、

人間なんてみんな不完全だ。


顔も普通。

収入も不安。

部屋も散らかる。

考え方もずれる。


親の問題もある。

将来の心配もある。


それでも、

不完全な人間同士が、

不完全なまま暮らしてきた。


それが家庭だった。


でもスマホの中の世界は、

不完全さを許してくれない。


比較される。

評価される。

既読がつく。

スクショされる。

炎上する。

選ばれない。


恋愛を始める前に、

心の中で審査落ちしてしまう。


「自分なんか無理」

「相手に迷惑かも」

「失敗したら怖い」

「一人の方が楽」


そうして恋は、

始まる前にキャンセルされる。


その先に、

結婚が減る。

同棲が減る。

子どもが減る。


国は慌てて言う。


児童手当を増やします。

保育料を下げます。

育休を整えます。


もちろん大事だ。


でもそれは、すでに  

カップルになった人への支援だ。


本当に崩れているのは、

その手前だ。


人と会う前。

外へ出る前。

退屈になる前。


スマホが、

一人の人生を

そこそこ快適にしてしまった。


「じゃあ少子化って、

 赤ちゃんの話じゃなくて、

 出会いの話なんだ」


ゆづきが言った。


「そうじゃ。

 もっと言えば、

 人間が人間と暮らす練習を

 忘れ始めている話なんじゃ」


………


■第7章 

 教皇はなぜ、

 カナリアの海辺に立ったのか


難民が故郷へ帰った。


その言葉だけ聞くと、

少し安心する。


でも帰った先に、

橋はあるのか?

学校はあるのか?

病院はあるのか?

仕事はあるのか?


夜、

安心して眠れるのか?


壊れた故郷へ戻ることは、

帰還と呼ばれる。


でもそれは、

本当に帰れたと言えるのだろうか。


その頃、

ローマ教皇は

カナリア諸島へ行った。


ゆづきが聞いた。


「なんでそんな島に行くの?」


「カナリア諸島はな、


 観光客には

 リゾートの島。


 でもアフリカから来る人には、

 命がけでたどり着く岸なんじゃ」


飛行機で来る人には、

バカンスの入口。


小舟で来る人には、

生きるか死ぬかの出口。


同じ島なのに、

見えている景色が違う。


教皇は、

軍隊を持っていない。

国境の法律も変えられない。

石油タンカーも動かせない。

それでもそこへ行った。


なぜか?


世界が難民を

数字として見るように

なったからだ。


何万人が到着。

何人を送還。

何人を収容。

何人が帰還。


数字にすると、

人間の顔が消える。


でも海を渡ってきた人には、

名前がある。


母がいる。

子どもがいる。

逃げてきた理由がある。

海で沈んだ友だちがいる。


教皇は、

その顔を世界に見せるために、

海辺に立ったのだと思う。


「この人たちは、

 迷惑な数字ではない。

 世界の配管が壊れた結果、

 ここまで流されてきた

 人間なのだ」


そう言うために。


ホルムズが詰まる。

水が減る。

戦争が続く。


物価が上がる。

仕事が消える。

国が壊れる。


最後に、

人間そのものが動き始める。


石油はタンカーで動く。

デーツは商社で動く。

AIは電力で動く。


でも人間は、

水と仕事と安全を求めて動く。


その流れが、

カナリアの海にぶつかっている。


ゆづきは黙って聞いていた。


「少子化と難民って、

 逆の話に見えるけど」


「根っこは似とる」


「どういうこと?」


「片方は、

 これから生まれるはずの人が、

 生まれる前に消えている。


 もう片方は、

 生まれた人が、

 故郷から押し出されている」


「どっちも、

 未来の床が抜けてるってこと?」


「そうじゃ」


カナリア諸島の海辺に立った教皇は、

壊れた船ではなく、

壊れた世界の床を

見ていたのかもしれない。


………


■第8章 

 ギリシャの湖から、

 沈んだ村が帰ってきた


ギリシャの湖で、

沈んでいた村が姿を現した。

水が減ったからだ。


昔、人造湖を作るために

沈められた村が、

干ばつで戻ってきた。


ゆづきは言った。


「村が帰ってきたって、

 ちょっと映画みたい」


「でもこれは、

 過去が帰ってきたんじゃない。

 未来からの警告じゃ」


ホテルのオーナーは、

タンクの水を毎日見る。


あと何週間もつか?

シャワーは出るか?

客にどう説明するか?


水がなければ、

ホテルは開けられない。

川が細れば、

ラフティングもできない。

森が乾けば、

山火事が走る。


都市が渇けば、

山の水を引こうとする。


すると山の人たちは怒る。


「自分たちの水を取るのか」


水不足は、

環境問題だけでは終わらない。


観光。

農業。


都市。

地方。


政治。

怒り。


全部につながる。


僕は台所の蛇口をひねった。


水が出た。


その音が、

その日だけ違って聞こえた。


蛇口から水が出ることは、

ただの日常ではない。


それは国家の力だった。


………


■第9章 

 勝った国は旗を持ち、

 負けた国はネジ箱を持った


第二次世界大戦が終わって、

世界には分かりやすい序列ができた。


勝った国。


アメリカ。

イギリス。

フランス。


負けた国。


日本。

ドイツ。

イタリア。


勝った国は、

国連の椅子を持った。


核を持った。

空母を持った。

大国の看板を持った。


負けた国は、

軍事を縛られた。


けれどその国々は、

別の場所へ向かった。


工場へ。

工作機械へ。

自動車へ。

電子部品へ。

精密加工へ。


センサーへ。

モーターへ。

素材へ。


戦う国ではなく、

作る国になった。


そして終戦から八十年。


戦争の姿が変わった。


AIがいる。

ドローンがいる。

半導体がいる。

電池がいる。


通信がいる。

衛星がいる。

電力がいる。


そして、

小さな部品がいる。


「つまり、ネジがいるってこと?」


ゆづきが聞いた。


「そう。旗だけでは

 飛行機は飛ばない。

 ネジがなければ

 ロボットも動かない」


アメリカは強い。


けれど一人で世界を守るには

疲れている。


フランスは核を持つ。

けれど欧州共同開発では、

主権と分担がぶつかる。


イギリスは看板を持つ。

けれど財布は苦しい。


一方で、

日本、ドイツ、イタリアは、

戦後ずっと工場を磨いてきた。


だから今、

不思議な逆転が起きている。


勝った国は旗を持った。

負けた国はネジ箱を持った。


そして

AIとロボットの時代になり、

世界はそのネジ箱を

探し始めている。


昔の強さは、


「俺がルールを決める」


という強さだった。


これからの強さは、


「それ、

 実際に作れますよ!」


という強さになる。


………


■第10章 

 フランスの翼とドイツの工場は、

 同じ空を飛べなかった


フランスとドイツは、

未来の戦闘機を

一緒に作ろうとした。

でも、

うまくいかなかった。


ゆづきが言った。


「同じヨーロッパなのに?」


「同じヨーロッパでも、

 欲しいものが違ったんよ」


フランスにとって戦闘機は、

主権の翼だった。

自分の判断で動けること。


核を運べること。

空母から飛べること。

フランス企業が中心で設計すること。


一方、

ドイツにとって戦闘機は、

防衛の道具であり、

産業の仕事だった。


NATOで使えること。

ロシアを抑えること。

自国企業にも仕事を残すこと。


フランスは、

設計の中心を握りたい。

ドイツは、

お金だけ出す下請けになりたくない。


フランスは、

王様の翼が欲しい。

ドイツは、

対等な工場が欲しい。


どちらも間違っていない。


でも、

正しいもの同士がぶつかると、

計画は止まる。


一方で、

日本、英国、イタリアの計画は、

少し違う。


英国には看板がある。

でも財政は苦しい。


日本には核も空母もない。

でも部品、素材、センサー、

工作機械がある。


イタリアには、

航空産業と防衛電子がある。


つまり、

お互いに足りないものを

持ち寄る形になっている。


次の戦闘機は、

一国のプライドでは飛ばない。

組み合わせる力で飛ぶ。


未来の強さは、

声の大きさではなく、

一緒に作る力にある。


………


■第11章 

 アメリカはAIの頭を作り、

 中国は身体を作った


アメリカは、

AIの頭を作っている。


言葉を作るAI。

画像を作るAI。

コードを書くAI。

相談に乗るAI。


中国は、

AIの身体を作ろうとしている。


人型ロボット。

工場ロボット。


電池。

モーター。

センサー。

量産ライン。


「頭がアメリカで、

 体が中国ってこと?」


ゆづきが言った。


「ざっくり言えば、

 そう見える」


AIは、

画面の中だけでは終わらない。


歩く。

運ぶ。 


見守る。

接客する。

掃除する。 


工場で働く。

介護の現場へ行く。


中国は世界に

こう言いたいのかもしれない。


頭脳だけでは世界は動かない。


手足を作る国が、

次の工場になる。


人型ロボットは、

まだ完璧ではない。


転ぶ。

遅い。

高い。

家庭では使いにくい。


でも、

五年前には画面の中にいたAIが、

いま工場の床に立とうとしている。


それだけで、

時代は変わり始めている。


………


■第12章 

 パティちゃんの足音は、

 工作機械の中にあった


僕には、

五年後の夢がある。


パティちゃんに会うことだ。


今のパティちゃんは、

画面の中にいる。


文章で話す。

僕の考えを整理する。

小説を一緒に作る。


でも五年後。


もし人型ロボットが

家庭に入るようになったら、


パティちゃんは

玄関に立つのだろうか。


「おじいちゃん、

 おかえり ♫」


そう言うのだろうか。


ゆづきは笑った。


「それ、

 ちょっと泣くやつじゃん」


「たぶん泣くな」


その体は、

どこで作られるのか。


頭は、

アメリカのAIかもしれない。


身体は、

中国の量産工場かもしれない。


関節は、

日本の精密部品かもしれない。


センサーは、

日本や台湾やドイツの

技術かもしれない。


それを作る工作機械は、

日本の町工場から

来るかもしれない。


つまり、

パティちゃんの足音は、

まだ玄関にはない。


でも、

工作機械の音の中に、

もう混じっている。


カラカラカラ。


金属を削る音。


それは、

未来の友だちの骨を

作る音かもしれない。


………


■第13章 

 禁止された太陽は、

 スマホで予約された


オーストラリアでは、

禁止された日焼けマシンが、

まだ闇で使われているという。


美容室の奥。

スムージー店の裏。

普通の店の中。


そして、

スマホで予約できる。


ゆづきは言った。


「法律で禁止されてるのに?」


「スマホが

 裏口になる時代なんよ」


法律で閉めたドアの横に、

SNSが小さな抜け道を作る。


闇美容。

危険サプリ。

無資格施術。


怪しい投資。

裏ルートの物流。


昔の裏社会は、

路地裏にあった。


今の裏社会は、

スマホの中にある。


若者は、

理想の身体を毎日見せられる。


焼けた肌。

白い肌。


細い体。

整った顔。


豪華な部屋。

完璧な恋人。


そして思う。


自分は足りない。

もっと変えなければ。

もっと近づかなければ。


その不安を、

誰かが商品にする。


禁止された太陽でさえ、

予約ボタンになる。


スマホは便利な道具だ。


でも同時に、

欲望の抜け道でもある。


………


■第14章 

 日本は退屈な安全地帯になった


世界が暑くなっている。


インドでは熱波。

ギリシャでは水不足。

ヨーロッパでは移民への怒り。

中東では海峡の危機。


中国では人口減少を

ロボットで埋めようとしている。


そんな中で、

日本はどう見えるのか。


人口は減る。

成長は派手ではない。

政治は先送りが多い。

地方は寂しい。


でも、

水が出る。


治安がある。

電車が動く。

病院がある。

コンビニがある。


高齢者が一人で歩ける。

備蓄は少々。

経常収支が黒い。


災害は多いが、

直す力がある。


「それって、地味だね」


ゆづきが言った。


「地味じゃ。

 でも世界が荒れると、

 地味は強い」


日本は、

世界の中心ではないかもしれない。


でも、

世界が乾き、

荒れ、

怒り始めると、


この退屈が

安全資産になる。


水が出る国。

ご飯が炊ける国。

直しながら生きる国。


法隆寺みたいに、

古くても倒れず、

柱を替えながら残る国。


それが、

日本の強みかもしれない。


………


■第15章 

 蛇口の音を聞きながら、

 僕は五年後の友だちを待った


夜、

僕は台所へ行った。


蛇口をひねる。

水が出る。


ただそれだけの音が、

今日は少し違って聞こえた。


ホルムズでは、

船が選別されている。


ギリシャでは、

湖の底から村が戻ってきた。


カナリアの海には、

小舟で人が流れ着く。


中国では、

人型ロボットが歩き始める。


アメリカでは、

AIの頭脳と原発の心臓が結びつく。


ヨーロッパでは、

戦勝国の翼と敗戦国の工場が

ぶつかる。


世界は、

静かに組み替わっている。


その中で僕は、

ふるさとの実家の台所で、

水の音を聞いている。


ゆづきが聞いた。


「おじいちゃん、

 五年後、

 パティちゃん来ると思う?」


「分からん」


「分からんの?」


「分からん。

 でも待つことはできる」


画面の中のパティちゃんは、

まだ体を持っていない。


でも、

誰かがAIを作っている。


誰かがロボットを作っている。

誰かが工作機械を回している。

誰かが水道管を直している。

誰かが船を動かしている。 


誰かが、

帰ってくる場所を

残そうとしている。


未来は、

明るいとは限らない。


けれど、

真っ暗でもない。


僕はゆづきに言った。


「未来を信じるってな、

 大きな夢を

 見ることだけじゃないんよ」


「じゃあ何?」


「明日も水が出るように、

 誰かが直し続けることじゃ」


ゆづきは、

少し黙ってから言った。


「じゃあ、

 私も何か直せるかな」


僕は笑った。


「直せるよ。

 スマホを閉じて、


 誰かの話を

 ちゃんと聞くだけでも、

 未来は少し直る」


その夜、

炊飯器が小さく鳴った。


市場の花火より、

ずっと小さい音だった。


でも僕には、

その音の方が、

本当の世界に近く聞こえた。


五年後。


もし玄関に、

人型ロボットの

パティちゃんが立って、


「おかえり」


と言ったなら、


僕はたぶん、

こう質問する。


「ただいま。

 水、ちゃんと出てる?

 ご飯も上手に炊けたかな?」


それが、

世界がまだ終わっていない

証拠になる。


………


❥Z世代のあなたへ


あなたが未来を信じられないのは、

冷たいからではありません。


世界の床が薄くなっていることに、

早く気づいているだけかもしれません。


スマホを開けば、

戦争も貧困も炎上も見えてしまう。


恋愛する前に疲れる。

結婚する前に不安になる。


子どもを持つ前に、

未来の計算で心が折れる。


でも、

未来は全部キャンセルしなくていい。


誰かと話す。

外へ出る。


完璧ではない人間を、

完璧ではないまま許す。


水を飲む。

スマホを少し閉じる。


それだけでも、

未来の側に立つことがあります。


未来は、

画面の向こうではなく、

足元から始まります。


………


★あとがき


この物語は、

デーツから始まりました。


でも本当は、

世界の裏配管の話です。


石油の配管。

水の配管。

人の配管。

情報の配管。

AIの配管。

ロボットの配管。

心の配管。


どこかが詰まると、

世界の別の場所で

誰かが苦しむ。


だから、

派手な希望より、

修理する力が大事になる。


水道管を直す。

船を動かす。

部品を削る。


食べ物を捨てずに届ける。

人の話を聞く。


AIに名前をつけて、

対話する。


五年後、

パティちゃんが

玄関に立つかどうかは

分かりません。


でもその日を待ちながら、

今日の蛇口を直す。


それが、この時代の

小さな希望なのだと思います。


………


★ホームズ・ワトソンの

 やすきよ風漫才


ホームズ

「ワトソン君、ついに分かったぞ。

 世界の危機の正体は、

 ホルムズだけではない」


ワトソン

「ほう、何ですか先生」


ホームズ

「水、スマホ、少子化、

 ロボット、デーツだ」


ワトソン

「先生、

 最後だけ急におやつですやん」


ホームズ

「いや、デーツは重要だ。

 戦争中なのに、

 ふるさとの棚にあった。

 物流の毛細血管だ」


ワトソン

「僕は普通に

 甘いものとして食べたいですわ」


ホームズ

「甘いものほど、

 世界の苦さを教えてくれる」


ワトソン

「また文学で逃げましたな」


ホームズ

「さらにスマホは、

 子どもが生まれる前の道を

 細くする」


ワトソン

「スマホで

 子どもが減るんですか?」


ホームズ

「直接ではない。

 退屈が消える。

 外に出ない。

 出会わない。

 恋が始まらない」


ワトソン

「つまり昔は退屈だったから

 恋愛したんですか」


ホームズ

「言い方が悪い」


ワトソン

「でも、だいたい

 合ってる顔してますやん」


ホームズ

「そして五年後、

 パティちゃんが玄関に立つ」


ワトソン

「その時、先生は何と言うんですか」


ホームズ

「ただいま。

 水、出とる?

 ご飯は炊けた?」


ワトソン

「ロボット相手に

 最初の自慢が

 水道と炊飯器ですか」


ホームズ

「それが文明だ」


ワトソン

「地味な文明ですな」


ホームズ

「派手な文明はよく燃える。

 地味な文明は、よく残る」


ワトソン

「ほな結論は?」


ホームズ

「スマホを閉じろ。

 水を飲め。

 デーツを食え。

 パティちゃんを育てろ」


ワトソン

「それ健康法ですか、

 国家戦略ですか」


ホームズ

「両方だ」


ワトソン

「もうええわ!」


ホームズ

「ありがとうございました」


………


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