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令和の舌切り雀 ――大きいつづらを選んだ百軒ばあさんは、百軒の屋根に名前を呼ばれた――

✦令和の舌切り雀


――大きいつづらを選んだ

 百軒ばあさんは、

 百軒の屋根に名前を呼ばれた――


………


百軒ばあさんが本当に恐れたのは、

借主ではなかった。


銀行でもなかった。


AIでも、

解体費でも、

雨漏りでもなかった。


彼女が本当に恐れたのは、


自分が支配していたはずの百軒が、

夜ごと一軒ずつ、

自分を見つめ返してくることだった。


これは、

先ほど投稿した

『屋根の沈黙』の

裏側にある物語である。


表の物語では、

息子が百軒分の未判断を相続した。


だが裏側では、

百軒ばあさん自身が、

自分の強欲と土地神話に

追い詰められていた。


これは不動産小説ではない。


これは、

令和の舌切り雀である。


小さいつづらには、

仏心が入っていた。


大きいつづらには、

土地と家賃と節税と

名士の地位が入っていた。


百軒ばあさんは、

迷わず大きいつづらを選んだ。


その中から出てきたのは、

宝ではなかった。


百軒分の雨漏りだった。


………


★目次


■第一章

雀の舌を切ったのは誰か


――借主の沈黙を

「納得」と思った女――


■第二章

大きいつづらの中身


――土地、家賃、節税、

 名士の椅子――


■第三章

百軒ばあさんの地下室


――守っていた土地に

 閉じ込められる――


■第四章

舌を取り戻した令和の雀たち


――契約書を撮って

 AIに聞く借主――


■第五章

誰も信じられない夜


――借主も、職人も、

 息子夫婦も、自分も――


■第六章

屋根裏から聞こえる声 


――百軒分の未修繕が

 母を呼ぶ――


■第七章

黒いつづらが開く


――土地神話の底から

 出てきたもの――


■第八章

小さいつづらには

仏心が入っていた


――記録、謝罪、修繕、

 撤退、感謝――


■第九章

百軒ばあさんの因果


――お金で人を見た女は、

 最後に人間が

 見えなくなった――


❥Z世代のあなたへ


★あとがき

 ホームズとワトソンの

 やすきよ漫才風


――大きいつづらを開ける前に、

 屋根裏を見ろ――


………


■第一章

 雀の舌を切ったのは誰か


――借主の沈黙を

 「納得」と思った女――


昔々、あるところに、

百軒ばあさんと呼ばれる女がいた。


昔々といっても、

それは遠い昔ではない。


二〇四五年の日本である。


夜空にはStarlinkの衛星が走り、

借主はAIに相談し、

銀行は土地より屋根を見て、

大工は半年先まで予約で埋まっていた。


そんな時代に、

百軒ばあさんは

まだ昭和を生きていた。


彼女は借家を百軒持っていた。


一軒平均家賃八万円なら、

百軒で月八百万円。


一年で九千六百万円。


その数字は、

彼女の心を甘くしびれさせた。


「土地は裏切らん」

「家賃は毎月入る」

「不動産を持った者が

 勝ちなんよ」


彼女はそう言い続けた。


だが、その言葉の裏には、

小さな声が

いくつも押し込められていた。


三号棟の借主の声。


「天井に染みが出ています」


七号棟の若夫婦の声。


「給湯器の調子が悪いです」


十六号棟の高齢者の声。


「雨の日になると床が湿ります」


百軒ばあさんは、

その声を聞いた。


聞いたが、

聞かなかったことにした。


「古い家じゃけえ」

「安く貸しとるんじゃけえ」

「多少は我慢してもらわんと」


借主は黙った。


お金がないから。

知識がないから。

揉めたくないから。

大家に嫌われたくないから。

次の家を探すのが大変だから。


百軒ばあさんは、

その沈黙を

「納得」だと思った。


違った。


それは、

舌を切られていただけだった。


令和の舌切り雀。


雀の舌を切ったのは、

意地悪なおばあさんではない。


「古い家だから仕方ない」

「昔からこうしてきた」

「大家の方が偉い」


そう言って、

人の暮らしの声を

小さくしてきた、

百軒ばあさん自身だった。


■第二章

 大きいつづらの中身


――土地、家賃、節税、

 名士の椅子――


昔話の雀は、

小さいつづらと

大きいつづらを差し出した。


小さいつづらは地味だった。


修繕履歴。

領収書。

写真記録。

職人への感謝。

借主への謝罪。

息子夫婦への自由。

売る勇気。

壊す勇気。

残す家を選ぶ覚悟。


中には、

キラキラしたものは

入っていなかった。


だから百軒ばあさんは、

見向きもしなかった。


彼女が選んだのは、

大きいつづらだった。


大きいつづらには、

土地が入っていた。


家賃が

入っていた。

節税が

入っていた。

銀行員の笑顔が

入っていた。

親戚からの羨望が

入っていた。

地元名士の椅子が

入っていた。


息子夫婦を近くに住まわせる

支配が入っていた。


嫁に対する

無言の圧力も入っていた。


「この家も土地も、

 いずれあんたらの

 ものなんよ」


百軒ばあさんは、

そう言って息子夫婦を

同じ敷地に住まわせた。


息子は笑った。

親孝行の笑いだった。


嫁も笑った。

角のない笑いだった。


だが二十年後、

息子は知る。


あの家は、

親孝行の家ではなかった。


百軒借家王国の、

地下司令室だった。


深夜に借主LINE。

朝に業者メール。

昼に銀行面談。

夕方に雨漏り動画。

夜に母の言い訳。


百軒ばあさんは、

息子夫婦に

財産を残したのではない。


百軒分の未判断を、

箱ごと押しつけたのだ。


大きいつづらは、

最初は金色に見えた。


だが本当は、

黒かった。


その中には、

まだ声を出していない

百軒の家が、

ぎっしり詰まっていた。


■第三章

 百軒ばあさんの地下室


――守っていた土地に

 閉じ込められる――


二〇四五年。


百軒ばあさんは

八十二歳になっていた。


髪は白くなり、

背中は丸くなり、

歩く時に肩が少し揺れた。


それでも口だけは達者だった。


「土地は残っとる」

「家は百軒ある」

「わしは間違っとらん」


だが、

その声には昔の艶がなかった。


夜になると、

ばあさんは眠れなくなった。


スマホが鳴る気がする。


三号棟の

借主かもしれない。


七号棟の

退去通知かもしれない。


十六号棟の

雨漏り動画かもしれない。


銀行の

融資再確認かもしれない。


解体業者の

見積もりかもしれない。


息子の嫁からの、

「もう無理です」

かもしれない。


昔、彼女は

土地を守っているつもりだった。


先祖代々の土地。

父から受け継いだ土地。

銀行が評価する土地。

地元で自慢できる土地。


だが二〇四五年、

その土地は城ではなかった。


地下室だった。


売れば、

近所に笑われる。


壊せば、

先祖に申し訳ない。


修繕すれば、

金が消える。


放置すれば、

借主が怒る。


家賃を上げれば、

AIで反論される。


銀行へ行けば、

AI査定に詰められる。


息子に頼れば、

嫁の顔が曇る。


どこにも逃げ道がなかった。


百軒ばあさんは、

土地という名の

地下室に閉じ込められていた。


土地は逃げない。

だからこそ怖い。


土地は沈黙している。

だからこそ、

いつか一斉に語り始める。


夜の廊下で、

ミシ、と音がした。


ばあさんは息を止めた。


それは自宅の音ではなかった。


三号棟の

床鳴りかもしれない。


いや、

十六号棟の

天井かもしれない。


いや、

百軒全部の家が、

自分の寝室の壁の向こうに

並んでいるような気がした。


一号棟。

二号棟。

三号棟。

四号棟。


百号棟まで。


壁の向こうで、

黙って立っている。


ばあさんが支配した百軒が、

今度は

ばあさんを見張っている。


■第四章

 舌を取り戻した令和の雀たち


――契約書を撮ってAIに聞く借主――


昔の借主は、

大家に弱かった。


「古い家だから我慢して」

「敷金から引きます」

「修繕は今度で」

「家賃を上げます」

「契約書に書いてあります」


百軒ばあさんは、

そう言えば通ると思っていた。


だが二〇四五年、

借主は黙らなかった。


契約書をスマホで撮る。

雨漏りを動画で撮る。

家賃値上げ通知を撮る。

退去費用明細を撮る。


そしてAIに聞く。


数秒で答えが返る。


「修繕義務があります」


「記録を残してください」


「文面で通知してください」


「賃料減額請求の

 余地があります」


「近隣相場との差を

 確認してください」


「消費生活センターへの相談も

 検討してください」


三号棟のLINEには、

添付ファイルが三つあった。


雨漏り動画。

契約書画像。

AI回答スクリーンショット。


息子の顔から血の気が引いた。


動画を開くと、

天井から水が落ちていた。


ポタ。

ポタ。

ポタ。


それは雨漏りの音だった。


だが息子には、

時計の音に聞こえた。


母の土地神話が終わるまでの、

カウントダウンの音だった。


百軒ばあさんは怒った。


「最近の若いもんは、

 すぐ権利、権利と言う」


息子は静かに言った。


「母さん。

 それは権利じゃない。

 暮らしを守るための声じゃ」


ばあさんは黙った。


本当は分かっていた。


昔、

自分は借主の沈黙に

甘えていた。


借主が知らないことに

甘えていた。


借主が泣き寝入りすることに

甘えていた。


借主がAIを持っていない時代に

甘えていた。


だが、

令和の雀はもう黙らない。


写真を撮る。

動画を残す。

AIに聞く。

記録を取る。


そして、

大きいつづらを選んだ大家の前に、

静かに請求書を置く。


その夜、

ばあさんは夢を見た。


小さな雀が、

舌を切られたまま、

血の代わりに雨水を垂らしていた。


雀は口を開かなかった。


ただ、

スマホの画面をこちらに向けた。


そこには、

こう書かれていた。


「賃料減額請求の可能性が

 あります」


■第五章

 誰も信じられない夜


――借主、職人、銀行、

 息子夫婦、そして自分――


百軒ばあさんは、

だんだん誰も信じられなくなった。


借主は、

わざと大げさに

雨漏りを撮っているのでは

ないか。


職人は、

修繕費を盛っているのでは

ないか。


銀行は、

融資を引き締める相談を

しているのでは

ないか。


税理士は、

本当は危ないと分かっていて

黙っているのでは

ないか。


息子は、

物件を売ろうとしているのでは

ないか。


嫁は、この家から

逃げようとしているのでは

ないか。


AIは、

自分を悪徳大家と

判定しているのでは

ないか。


Xで、

百軒ばあさんの悪口が

流れているのでは

ないか。


夜中、

ばあさんはスマホを開いた。


検索窓に、

自分の名字を入れる。


出てこない。


次に、

物件名を入れる。


出てこない。


それでも安心できない。


「誰かが書いとるはずじゃ」


「誰かが見とるはずじゃ」


「誰かが笑っとるはずじゃ」


百軒ばあさんの心は、

ゼロトラストになった。


誰も信じない。

何も信じない。

全部疑う。

全部監視したい。

全部自分の手元に置きたい。


だが、

一番信用できなかったのは、

他人ではなかった。


自分が二十年間、


記録を残さず、

修繕を先送りし、

借主の声を無視し、

息子夫婦に甘え、

土地神話にしがみついてきた、


その空白だった。


「この屋根、

 前に直したはずじゃ」


記録はない。


「この水道管、

 交換したはずじゃ」


写真はない。


「この借主には

 説明したはずじゃ」


文書はない。


「昔は

 これで通ったんじゃ」


昔はもうない。


ばあさんは、

誰かに裏切られたのではない。


自分のどんぶり勘定に、

裏切られていた。


その夜から、

ばあさんは家の中を

歩き回るようになった。


玄関の鍵を確認する。


二階の窓を確認する。


仏壇の引き出しを確認する。


古い契約書の束を確認する。


確認しても、

確認しても、

安心できない。


なぜなら、

本当に開いていた穴は、

玄関ではなかった。


二十年前の見積書。


十五年前の修繕未記録。


十年前の借主の苦情。


五年前の水道管の異音。


去年の銀行の注意喚起。


それらが全部、

小さな穴になっていた。


そして今、

その穴から、

令和の雀たちが帰ってきていた。


■第六章

 屋根裏から聞こえる声


――百軒分の未修繕が母を呼ぶ――


二〇四五年の夏。


三号棟の雨漏りは、

まだ直っていなかった。


職人が来ない。

材料が来ない。

見積もりが高い。

借主は怒る。

AIは冷たい。

銀行は待たない。


ばあさんは、

夜中に目を覚ました。


天井から音がした。


ポタ。

ポタ。

ポタ。


自宅は

雨漏りしていないはずだった。


それなのに、

音がする。


ばあさんは布団の中で、

目を開けたまま動けなかった。


ポタ。

ポタ。

ポタ。


やがて、

音が声に変わった。


三号棟。

三号棟。

三号棟。


ばあさんは耳をふさいだ。


すると今度は、

別の声がした。


七号棟。

十六号棟。

二十二号棟。

四十五号棟。

九十一号棟。


百軒の家が、

番号で自分を呼んでいた。


「わしは悪くない」


ばあさんは小さく言った。


「わしは

 家を残したんじゃ」

「わしは

 土地を守ったんじゃ」

「わしは

 息子のためにやったんじゃ」


だが、

屋根裏の声は止まらなかった。


修繕履歴はどこですか。


水道管の交換日はいつですか。


借主への説明文書はありますか。


解体費の準備はありますか。


息子夫婦への同意はありますか。


ばあさんは震えた。


それは幽霊ではなかった。


AIの声でもなかった。


自分が見ないふりをした現実が、

ようやく言葉を覚えただけだった。


恐怖とは、

知らないものが現れる

ことではない。


知っていたのに

見なかったものが、

夜中に名前を呼び始める

ことだった。


■第七章

 黒いつづらが開く


――土地神話の底から

 出てきたもの――


ある夜、

百軒ばあさんは

仏間で古い箱を見つけた。


黒いつづらだった。


昔は金色に見えたはずなのに、

今は炭のように黒かった。


蓋には、

うっすらと文字が浮かんでいた。


「土地神話」


ばあさんは、

震える手で蓋を開けた。


中には、

宝など入っていなかった。


一枚目に出てきたのは、

二十年前の修繕見積書だった。


「高いから後回し」


ばあさんの字だった。


二枚目に出てきたのは、

借主からの古い苦情メモだった。


「雨の日に天井から水」


その横に、

ばあさんの字で書いてあった。


「様子見」


三枚目は、

息子の嫁が昔書いたメモだった。


「将来、

 百軒全部は無理では?」


その横に、

ばあさんの字。


「若い者は根性がない」


四枚目は、

銀行からの注意文書だった。


「金利上昇時の

 返済余力について」


その横に、

ばあさんの字。


「土地があるから大丈夫」


五枚目は、

税理士からの資料だった。


「相続税対策としての

 不動産活用」


その下に、

太い丸印がついていた。


ばあさんは、

思い出した。


あの日、

自分は小さいつづらを

見なかった。


人間の顔を見なかった。


借主の暮らしを見なかった。

息子夫婦の未来を見なかった。

職人の高齢化を見なかった。

人口減少を見なかった。

屋根の老化を見なかった。


見たのは、

節税と家賃だけだった。


黒いつづらの底から、

最後に一枚の紙が出てきた。


そこには、

こう書かれていた。


「あなたが残したものは、

 財産ではありません。

 未判断です」


ばあさんは叫んだ。


だが、

声は出なかった。


昔、

雀の舌を切ったのは、

自分だった。


今、

声を失ったのは、

自分だった。


■第八章

 小さいつづらには

 仏心が入っていた


――記録、謝罪、修繕、

 撤退、感謝――


百軒ばあさんは、

ようやく気づいた。


大きいつづらには、

土地が入っていた。


家賃が

入っていた。

節税が

入っていた。

地元名士の肩書きが

入っていた。


だが、

その奥から出てきたのは、

百軒分の雨漏りだった。


百軒分の未修繕。

百軒分の未記録。

百軒分の未判断。

百軒分の

「あとで何とかする」。


一方、

小さいつづらには、

何が入っていたのか。


修繕履歴。

職人への感謝。

借主への謝罪。

息子夫婦への自由。

売る勇気。

壊す勇気。

残す家を選ぶ覚悟。

家賃の向こうにいる

人間を見る心。


それは、

お金には見えなかった。


だから、

百軒ばあさんは選ばなかった。


でも二十年後、

一番高かったのは、

その小さいつづらの中身だった。


息子は母に言った。


「母さん。

 今からでも遅くない。

 全部守るんじゃない。

 人間が壊れん形に変えるんよ」


百軒ばあさんは、

初めて聞き返さなかった。


ただ、

小さく言った。


「わしは、

 大きいつづらばっかり

 見とったんじゃね」


息子は答えなかった。


その沈黙は、

責める沈黙ではなかった。


二十年分の因果が、

ようやく言葉を失った音だった。


仏心とは、

優しい言葉ではない。


見積書を

捨てないこと。


修繕を

先送りしないこと。


借主に

頭を下げること。


職人に

無理を言わないこと。


息子夫婦を

道具にしないこと。


残せないものを残せないと

言うこと。


仏心とは、

人間を数字の下敷きにしない

勇気だった。


■第九章

 百軒ばあさんの因果


――お金で人を見た女は、

 最後に人間が見えなくなった――


百軒ばあさんは、

最初から悪人だったわけではない。


家を守りたかった。

土地を守りたかった。

息子に残したかった。

家族を安心させたかった。


そこまでは、

きっと本当だった。


だが途中から、

土地が

目的になった。


家賃が

目的になった。


節税が

目的になった。


名士の地位が

目的になった。


人間は、

その下に置かれた。


借主は

家賃を払う人。


職人は

安く直す人。


銀行は

金を貸す人。


息子夫婦は

跡を継ぐ人。


嫁は

家に入る人。


誰も、

一人の人間として

見られていなかった。


その因果は、

二十年後に戻ってきた。


借主は、

AIを持って戻ってきた。


職人は、

半年待ちになって戻ってきた。


銀行は、

屋根を見るAIになって戻ってきた。


息子夫婦は、

沈黙になって戻ってきた。


家は、

百軒分の番号になって

夜中に戻ってきた。


百軒ばあさんは、

やっと理解した。


お金中心に生きると、

お金がなくなる前に、

人間が消える。


人間が消えると、

最後に残るのは、

自分を見つめる物だけになる。


土地。

屋根。

水道管。

契約書。

見積書。

借入金。

解体費。

AI判定。


それらは、

しゃべらない。


だからこそ、

一番怖い。


百軒ばあさんは窓の外を見た。


町は静かだった。


子どもの声は消え、

若い職人の軽トラは消え、

商店街の灯りも半分消えていた。


Starlinkの光だけが、

夜空を冷たく切り裂いていた。


ばあさんは小さく言った。


「わしは、

 何を残したんじゃろうね」


息子は答えなかった。


その沈黙の中に、

百軒分の屋根と、

百軒分の水道管と、

百軒分の借主の暮らしと、

百軒分の母の言い訳があった。


すべてを守ることはできない。


でも、

残すものを選ぶことはできる。


記録を

残すことはできる。


借主に

謝ることはできる。


職人に

頭を下げることはできる。


息子夫婦を

地獄から救うことはできる。


百軒ばあさんの

土地神話は終わった。


だが、

そこからやっと、

仏心の相続が始まろうとしていた。


………


❥Z世代のあなたへ


君たちは、

親や祖父母から、

家や土地を相続するかもしれない。


でも本当に相続するのは、

土地だけではない。


先送りされた修繕。

残されなかった記録。

説明できない契約。

壊せない空き家。

売れない土地。


そして、

親世代が見なかった人間関係。


それを相続するかもしれない。


大きいつづらは、

いつも魅力的に見える。


土地。

資産。

家賃。

肩書き。

節税。

勝ち組。

他人より有利な場所。


でも、

その中に何が入っているかは、

開けるまで分からない。


小さいつづらは地味だ。


記録。

修繕。

感謝。

謝罪。

撤退。

責任。

人を壊さない知恵。


でもこれからの時代、

本当に価値があるのは、

そちらかもしれない。


お金を否定する必要はない。


でも、

お金で人間を下に見始めた時、

人生は静かに怪談になる。


百軒ばあさんになるな。


もし、

もうなりかけているなら、

そこから始めろ。


AIを

使え。


記録を

作れ。


職人を

大事にしろ。


借主を

人間として見ろ。


親の見栄を

そのまま継ぐな。


残すものと捨てるものを

決めろ。


土地より、人間。

節税より、次世代。

所有より、責任。


君たちは、

大きいつづらを選ばなくていい。


小さいつづらを選べる世代だ。


………


★あとがき

 ホームズとワトソンの

 やすきよ漫才風


――大きいつづらを開ける前に、

 屋根裏を見ろ――


ワトソン

「ホームズさん、今回の事件、

 完全にホラーですやん」


ホームズ

「幽霊は出ていないがね」


ワトソン

「出てますやん。

 三号棟、七号棟、十六号棟。

 夜中に番号で呼んできますやん」


ホームズ

「それは幽霊ではない。

 未修繕だ」


ワトソン

「未修繕が一番怖い!」


ホームズ

「ポタポタ」


ワトソン

「雨漏りですな」


ホームズ

「ゴボゴボ」


ワトソン

「水道管ですな」


ホームズ

「ピコン」


ワトソン

「借主LINEですな」


ホームズ

「添付ファイル三つ」


ワトソン

「写真、動画、AI回答。

 大家即死セットやないかい!」


ホームズ

「即死ではない。

 どんぶり勘定が死ぬだけだ」


ワトソン

「今回の百軒ばあさん、

 令和の舌切り雀なんですな」


ホームズ

「そうだ。

 大きいつづらを選んだ」


ワトソン

「土地、家賃、節税、

 名士の椅子」


ホームズ

「そして中から出てきたのは」


ワトソン

「雨漏り、空室、解体費、

 銀行AI、借主LINE」


ホームズ

「地獄の福袋だ」


ワトソン

「小さいつづらには?」


ホームズ

「修繕履歴、

 職人への感謝、

 借主への謝罪、

 息子夫婦への自由」


ワトソン

「地味やけど、

 それが宝やったんですな」


ホームズ

「仏心は地味だ。


 だが、

 長い時間を支えるのは

 地味なものだ」


ワトソン

「ほな結論は?」


ホームズ

「大きいつづらを開ける前に、

 屋根裏を見ろ」


ワトソン

「怖いけど、名言ですわ」


ホームズ

「そしてもう一つ」


ワトソン

「何ですの?」


ホームズ

「百軒持っていても、

 百軒分の仏心がなければ、

 それは百軒分の怪談だ」


ワトソン

「座布団三枚!」


ホームズ

「火星へ行く前に、

 地球の屋根を直せ」


ワトソン

「続編、待ってまっせ!」


おしまい。

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