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婚約者は鴉天狗  作者: 天笠恭介
終章
31/31

君の隣で



 その日最後の科目が終了し、真希は三日ぶりの授業で固くなった身体を大きく伸ばした。

 蒸し暑いために拭いても拭いても汗が出てくるが、今の真希にとっては歓迎すべき事である。

 その理由は単純だ。たった三日の入院生活だったが、人の身体は簡単に鈍るものであり、家に帰ってから体重計に乗って悲鳴を上げたのはご愛嬌である。

 味気ない病院食でも、入院していれば十分太れるらしい。ここはなんとしても祖父直伝のトレーニングで引き締めねばなるまいと心に誓った。

 ちなみに、蒸し暑い理由はクーラーが故障しているせいである。


「真希、今日はどっかに寄り道をして行くんか?」


 帰り支度をしている真希の下へ、小太郎がやってくる。暑苦しい教室での授業も、何故か彼は一人涼しげな顔をしてこなしていた。着ている服なんかは一番暑苦しそうに見えるのだが。特にお面とか。お面とか。お面とか。


「あんたって色々着こんでお面までつけて、暑くないの?」

「うん? ああ、まあ暑くなくはないが、普段から陽に近い場所に居たけえ。単に慣れじゃろう」


 憎らしくなるほど余裕である。


「で、さっきの話じゃが、今日はどっかに寄り道するんか?」

「そうね。本当は十和子に呼ばれてたけど、あの子自身に用事入って流れちゃったしね」


 放課後に真希の退院記念パーティーをやろうという話になっていたのだが、どうも外せない用事が出来てしまったらしく、明日に持ち越しとなってしまっている。

 真希としてはそれに乗じて小太郎に渡したいものがあったのだが、今日は無理そうだった。


「あんたはどっか行きたいところ無いの? しばらくこっちで暮らすんだったら、色々見ておくといいんじゃない?」


 真希の言葉に、小太郎が腕を組んで考え込む。


「そうじゃのう。儂の好みでいいんなら、またあの店に行ってみたいのう」


 あの店というと、まず間違いなくあの激安ショップだろう。確かに所狭しと色んな物が並んでいて、面白いといえば面白い。


「いいわよ。じゃあそこに行きましょうか」

「おう」


 教室を出て、下駄箱で靴を履き替える。教室がすでに蒸し暑かったため、外に出てもそれほどの変化は無い。そのまま二人で校門から学校の外に出て、この前のように歩道を進んで行く。


「そう言えばお店に行くのはいいけど、また何か買うの?」

「いや、買うかどうかは分からん。ともかく胸が躍るところだったけえ。もう一度行ってみたかったんじゃ。お主と一緒にのう」


 最後の一言で真希の顔が真っ赤になる。隣を歩く小太郎の顔をまともに見れない。


 ――な、な、何をいきなりこいつは~……


 とにかく真希は心を静める努力をする。小太郎に気付かれない程度にゆっくりと深呼吸をし、どうにか安定させた。


「おお、そうじゃ」


 小太郎が突然手を打った。懐をまさぐり、奇妙なものを取り出す。


「何? それ」


 首飾りの類だろうか。紐にいくつか色の付いた石が通してあり、色も含めて左右対称になるように配してある。そして、中央部には一枚の黒い羽と、その羽柄によって貫かれた琥珀のような球体があった。


「ほれ」

「え?」


 目の前に無造作に差し出されるそれを、真希は瞬きして見つめた。


「やる」


 ぶっきらぼうに一言だけ。しかし、いきなりそんな事を言われても困るというのが真希の想いだった。


「えっと、どういう事?」

「退院祝いだと思えばええ」


 小太郎は手を引っ込める気配を見せない。やはり困ったなと思いつつ、真希は心のどこかで小太郎の差し出すそれに強烈に惹かれていた。


 ――退院祝いなら、いいよね?


 誰でもない。自分に対してそう弁解しながら、真希はおずおずと小太郎から首飾りを受け取る。


「あ、ありがとう」

「おう。気にするな。儂が作ったもんじゃけえ、そんなにいいもんでもない」

「え?」


 小太郎が作ったと聞いて、真希はもう一度まじまじと首飾りを見る。その精巧な造りは、素人が作ったような品には見えなかった。


「あんた、手先が器用なのね」

「どうじゃろうな」


 口ではそういいながら、小太郎は真希の褒め言葉にまんざらでもなさそうだった。

 真希は首飾りの手触りを何度か確認して、せっかくだからと身に付けてみる事にした。こういう時は髪が短いと苦労が無い。


「どう、かな?」


 胸元で揺れる飾りを、真希は小太郎に見せる。ちょっと恥ずかしい。


「おう。よう似合っとる」


 さらりと答える小太郎。真希としてはもう少し照れるなり何なりの反応が欲しいところだが、彼にそれを期待するのもどうかと考え直す。


「あ、そうだ」


 小太郎から贈り物をもらった真希は、パーティーが流れて諦めていた、カバンの中に入れっぱなしにしているある物の存在を思い出した。


「どうかしたんか?」


 不思議そうにしている小太郎の目の前に、真希は包装された品を差し出した。


「何じゃ? これは」

「まあなんていうか、とりあえずのお返しって事で」

「とりあえず?」


 変な言い方をしてしまったために小太郎の疑問が深まってしまったようだった。


「物的に全く釣り合わないから、とりあえずなわけ。元々あんたにあげようと思って買ってたんだけど、渡すタイミングが無くてさ。で、ちょうどいいから今、とりあえずのお返しであげるの」


 真希はさらにぐっと手に持つものを小太郎の方へ差し出す。しばし迷う様子を見せた後、小太郎はようやくそれを受け取った。


「これは開けてもいいんか?」

「うん。重ねて言うけど、あたしにくれたこれと比べたら駄目よ」


 そんな事考えておらんと、たぶん苦笑しながら小太郎が真希の目の前で包装を破り、箱を開けて中身を取り出す。


「お……」


 中に収まったものを見て、小太郎が小さく声を出した。ゆっくりと取り出して、注意深く観察している。


「ほらそれ、なんか結構欲しそうに見てたから気に入ったのかと思ってさ」


 真希の声が届いているのかいないのか、小太郎は無言でその手の中にある小さなガラスコップを見つめている。

 二人で行ったあの店で小太郎が手に取り眺めていた、ひらひらと舞い踊る羽毛が描かれたコップだ。


「えっと……」


 小太郎が何も言わずにじっくりとコップを眺め続けているので、ちょっと真希は心配になった。明らかに自分の世界に行ってしまっているのだから、その心配は当然だろう。


「小太郎ー?」


 呼びかけてみるが反応はない。ちょっとムッと来た真希は、スッと小太郎の耳元に身を寄せ――


「小太郎!」

「ぬおあっ!」


 ビクッと大げさな反応を示して小太郎が跳ねる。どこかの家の塀を背にして荒い呼吸をしながら、真希の方を見てきた。


「い、いきなり何じゃ。びっくり、するじゃろうが」

「あんたが自分の世界に入り込んでたから連れ戻してあげたのよ。驚くよりも感謝しなさい」


 何か、たかだか百均の品に注目度で負けた事が腹立たしい。


 ――そんな物よりもどうせなら――


「ん? 真希。顔が赤いが、熱でも出たのか?」

「な、何でもないわよ!」


 ぷいっと真希は小太郎から顔をそらす。


 ――どうせなら何だってのよあたしは!


 内心で自分に盛大に突っ込みを入れる。その勢いで、何かの拍子に考えてしまった事も振り払っておいた。


「そ、それで、その、コップだけど」

「おう。真希がくれたもんじゃけえ。大事にさせてもらう」


 小太郎は手に持ったままのコップを慎重に箱に戻し、その箱をこれまたそーっと懐にしまい込んだ。だというのに、その懐に全く膨らみがない。


「前から思ってたんだけど、あんたの懐って異空間にでも通じてるの?」

「そんなわけあるか。詳しくは話さんが、まあちょっとしたコツがあるだけじゃ」


 コツなんてもので片付けていいことなのかどうかは分からないが、聞いても教えてくれそうにないので真希はとりあえずその謎の解明を放り投げた。


「さて、渡すもんも渡したし、意外な物も貰えたしのう。先を急ぐとするか」

「あ、そういえば店に行く途中だったのよね」


 当初の目的を思い出し、二人はまた並んで歩き始める。


「しかし、本当に儂の好きな所でよかったのか? 久しぶりの外出なんじゃ。行きたい所があったんじゃないか?」

「だから、特に無かったからあんたの行きたい所に行くんでしょう? ……あー、まあ強いて言うなら今一つ思い付いたけど」


 胸元で揺れる黒羽の飾りが、真希にそれを思い出させていた。


「お。なんじゃ、やっぱりあったんじゃな。儂の目的の半分は今貰ってしまったけえ。やっぱりここは真希の行きたいところへ行くべきじゃろう」


 小太郎が大事そうに懐を撫でている。そこまで気に入ってもらえると真希としては嬉しいような何だか恥ずかしいような。百円なのだが。


「でも小太郎に迷惑がかかりかねない、というか絶対にかかるところだから」 


 半分本心。だがもう半分は、


「構わん。儂に遠慮せずに言うてみい。どこへでも供させてもらうぞ」


 策略の心。真希は小太郎の口から見事に安請け合いを引き出した。


「どこへでも、って言ったわね?」

「……お、おう」


 突然にやりと笑った真希に驚いたのか、小太郎が勢いなく答える。


「じゃあ、はい」


 真希は遠慮なく小太郎に手を差し出した。握手するためではない。手を取ってもらうためでもない。掌を上に向けたそれは、要求を意味する行為だ。


「……む?」


 その真意を量りかねた小太郎は顎に手を当て、しばしの間考え込む。


「小太郎」


 思い悩む相手に対し、真希は差し出した方とは反対の手で空に向かって指をさした。


「…………あー、真希、それはさすがにのう」


 真希の要求を理解した小太郎が渋い声を吐き出す。


「遠慮するな。どこへでも。って言ったのは、どこのどちらさんだったっけ?」


 相手が渋ったからといって、真希は退いたりしない。有利なカードは真希が持っているのだから。


「あー、分かった分かった。安請け合いした儂の落ち度じゃ」


 観念した小太郎は懐から結界の札を二枚取り出し、一枚を真希の手に乗せる。


「あ、ねえ、簡単に貰っちゃったけど、いきなり人が消えたらちょっと騒ぎになったりしないの?」

「消える? 何の事じゃ?」

「この札を持ってると、あたしたちの姿が見えなくなるんじゃないの?」


 だからこそ背中に翼が生えようと空を飛ぼうと問題ないと真希は考えていた。


「いや、姿を消すもんは別の札と陣が必要になる。儂らのこれは人の認識をごまかして、儂らの事を認識させないようにしておるだけじゃ」


 それはつまりどういう事なのだろうか。真希が理解出来ないといった顔をしていると、


「簡単に言えばじゃ。真希の言うたもんは写真なんかには写らんが、今の儂らは写真には写る。人間がたまに撮った写真見て大騒ぎしよるのは、まあどこかの妖怪が映り込んだんじゃろう」


 また一つ、真希の前で不思議現象の正体が明かされた。この調子で行けば、その手の話は全部嘘っぱちだけど本当の話になってしまうのかもしれない。

 今更ながらに、真希は自分がそんな超常現象と関わり合いを持っているのだと再認識する。


「よし。またちくっとするが、我慢してもらおうか」


 空気を打つ小太郎の黒翼。真希はくるりと小太郎に背を向け、すぐにちくりとした痛みと、いつかの不思議な感触を背中に得る。

 試しに生えたての翼を動かしてみる。思っていたよりは動かし方を忘れてはいなかった。


「ほんじゃ、行くか」


 小太郎が真希に手を差し出してくる。まだちょっと気恥ずかしく思いながらも、真希はその手に自分の手を重ねる。

 ふわりと水に浮くような浮遊感を感じ、真希と小太郎はゆっくりと空に浮かび上がった。

 塀を越え、屋根を越え、高く高く上がって行く。

 不意に杉の木から落ちた時の記憶が蘇り、真希の心に恐怖が宿った。だが今は隣に小太郎がいて、自分の手はしっかりと彼に掴まれている。だから、恐くない。

 二人は天高く舞い上がると、一度そのまま停止した。


「真希、大丈夫か?」


 小太郎の少しだけ不安そうな声。真希を心配する、優しい声。


「……うん。大丈夫。だってほら」


 つながった手を持ち上げて、真希はにっこりと笑う。


「恐くないよ。あんたと一緒だから」


    ◇


 青い空の中を、二対の黒翼が翔けて行く。競うように、寄り添うように、そして楽しむように翔けて行く。 

「真希」

「何?」

「何でまた空を飛びたいと思ったんじゃ?」


 隣を飛ぶ小太郎からの単純な質問。真希の答えは――


「そんなの、決まってんじゃん」


 ちらりと向けた視線の先で、風に吹かれて真希の胸元の黒羽の飾りがパタパタと揺れている。

 その飾りを見て、もう一度空を自由に飛び回りたいと思ったからだ。


 この、どこまでも続く広い空を。


 他の誰でもない。


 小太郎の隣で。












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