11.偽りの姫は世継ぎに難題を授けられる
「私……殿下のお役に立てていませんか」
ぽつりとこぼした呟きに、レイデーアは瞬いた。
「まさか! リリーシャはよく働いているぞ。三月でこんなに使い出のある者に成長をするとは思っていなかった。私はリリーシャの頑張りを見逃したりしない。リリーシャは、きちんと私に自分の能力を証明して見せた。だから、私は約束を果たさねばならない。お前の兄と約束したのだ。お前をきちんとした男に嫁がせると」
リリーシャは首を振った。何度も、何度も。
結わえていたはずの銀の髪がほどけて、はらはらと散る。レイデーアがくれた髪留めが音を立てて床に転がった。自分のように化粧をやめてしまったリリーシャにレイデーアがくれたこれも、伴侶捜しのためだったのだろうか。繊細な彫刻で女神が愛するものだという花が形作られたそれをもらったとき、リリーシャは嬉しくて飛び上がってしまいそうだったのに。
(私、知らないうちにこんなに我が儘になっていただなんて)
そう思って、リリーシャは顔を覆った。
あの美しい金の瞳に、歪んだ顔を見られたくなかった。
「わ、私は、この三月ばかり能力を証明してきました。アーデンフロシアに来るまでは働いたことがありませんでした。だって、そんなことは女性に許されていませんもの。ガネージュでは、殿下やほかのお部屋にいた女性の文官の方のように、政務に勤しむ女性はいませんでした。私は……もう、家の中に大人しく留まっていることはできません。殿下が、仕事の楽しさを教えて下さったのです。なのに、なのに……」
小さく唸って口ごもるリリーシャは、泣いてしまわないよう必死だった。
(泣いては、だめ。泣かないと、決めたのに)
そう思ったとき、顔を覆っていたリリーシャの手のひらは不意に掴まれて、あっさり両脇へと広げられてしまう。リリーシャの前に立っているのは、ほかでもないレイデーアその人だった。
「リリーシャ、あのな」
「で、殿下はひどいです」
ぐしゃぐしゃになった顔を見られないよう、せめてもの抵抗で顔を伏せたリリーシャは、頭上ではあとため息が落とされるのに目を瞑った。
リリーシャは、そもそも誰かに何かを期待することをしない娘だった。
だって、ガネージュでリリーシャをちゃんと見つめてくれるのはほとんどリガードだけだった。貴族や重臣たちはリリーシャを国費をついやすに見合わぬ存在と見做しながらも時に好色な目で見つめ、あの母の娘だと嘲った。でも、期待しなければ平気だった。
そもそも、リリーシャにはお城に上がるまで母しかいなかった。だから、優しさも慈しみもすべてリガードがくれたからそれでよかった。リリーシャは、ちゃんと弁えている。
なのに、レイデーアのため息はリリーシャの胸を深く刺した。
そもそも、リリーシャはただの人質だ。リガードをアーデンフロシアに縛るための人質に過ぎないのだから、レイデーアにこんな駄々や我が儘を言ってはいけない。立場を弁えなくてはいけない。いくらレイデーアたちがリリーシャに気安い発言を許したとしてもだ。なのに、言ってしまった。
小刻みに震えていたリリーシャはぱっと両手を離されて、ついにレイデーアから見放されたのだと思った。そうして、リガードのことを想った。
お兄様、ごめんなさい。そう胸の内で呟いたとき、つうっと顎をすべった指が顔を上向かせる。その仕種に、リリーシャは初めて王城に来た日のことを思い出した。
「おい。この私が、このレイデーアとあろう者が、お前をむざむざ手放すと思っているのか? せっかくここまで仕込んだというのに? そんなのはあまりに無駄だろう。私はそんな能なしではない。無論、リリーシャには結婚後も働いてもらう。たとえ夫となった者の意向に反したとしても、そんな些末なことは関係ない。なぜって、リリーシャの主は夫などではないからだ。自分の主には自分でなれ。お前のことは、ほかでもない私が認めたのだぞ? ん?」
ぱちぱちと目を瞬かせていたリリーシャは、ぼうっとした表情でレイデーアを見つめた。
「ほんとう、ですか……? でも、ガネージュでは、女は結婚したら家の中に閉じ込められます」
ぺちんと頬を叩かれて、リリーシャはきゅっと目を瞑った。
促されておそるおそる視線を上げた先で、こちらを見下ろす金の瞳がいっそう輝きを増しているのが見えた。
「反吐が出そうなことを言うな。もうガネージュという国はない。明日を以て、ひとまず旧ガネージュ領と呼ぶことになった。ガネージュでの思い出を捨てろとは言わないが、ここはどこだ。リリーシャ、答えろ」
「で、殿下の執務室です」
「うん。まあ、間違いではない。
……お前は、もうアーデンフロシアの民だよ。このレイデーアの民だ。だからもう、思い出は胸に抱いても、ガネージュでの常識を軸に生きてくれるな。女は男の装飾品でも財産でもない。自ら成り下がろうとするなんて、みっともないぞ。そんなのはリリーシャに似合わない」
いいか? わかったか? とくり返し頬を撫でられて、リリーシャはこくこくと頷いた。
レイデーアは少々疑わしげな顔でリリーシャを見つめていたが、まあいいかと呟いた。そして、くいと顎の先で自身の背後を示した。
「とりあえず、右から順に逢い引きをしろ。もちろん、逢い引きといっても礼儀正しいやつだ。許すのは手を握るところまで。逢い引きには、必ずマノアと騎士が立ち会う。日程は追って知らせる、下がれ」
レイデーアは一旦男たちを下がらせると、リリーシャの顎から手を離した。
「リリーシャ、お前はまだ十六だったな。確かに、国を出たばかりですぐに婚姻は酷かもしれない。私も忙しいしな。お前にはこれからもっと手伝って貰わねばならないし……。だから、三年やろう。三年、私のもとで過ごせ。その時間をどう使うかはお前次第だ。リリーシャがなりたいリリーシャになって、自分にふさわしい伴侶を見つけろ」
――私にふさわしい伴侶?
瞬いて、リリーシャは美しい金の瞳を仰いだ。
だって、リリーシャは偽りの姫だ。
生まれの父は伯爵位を授かっていたが、旧ガネージュで爵位を授かっていた家も整理されるため、金に余裕があるうちに国外へと逃れる貴族も多いと聞いていたから、あの家がいまも残っているか怪しい。
それに、母が王の愛妾となったことで、リリーシャは系図から削除されている。とてもではないが、先程紹介された男たちの肩書きに釣り合うとは思えない。リリーシャには、持参金だって出せないのだ。
そこでふと、リリーシャはあることが気に掛かった。
「あの、殿下はお幾つでいらっしゃるのですか?」
「私は十八だ。二つしか違わないが、リリーシャが結婚するときには私の義娘にしてやる」
はあ、とリリーシャは困惑と衝撃とでぼんやりする頭で頷いた。
レイデーアこそ、婚儀は挙げないのだろうか? レイデーアはアーデンフロシアの世継ぎだ。いずれ子を設けなければならないだろう。アーデンフロシアではいざ知らないが、十八で未婚はガネージュではむしろ遅いくらいだった。
だが、そんなリリーシャの疑問は、いつまでもぼんやりしていそうな彼女を気に掛けたレイデーアによって半休を言い渡されてしまったので、訊ねる暇は与えられなかった。




