主役と脇役
案の定、舞台のあと――フィリア様はスターズに囲まれ、反省会の真っ最中だ。僕は舞台道具を片づけながら、ついその会話に耳を傾けてしまう。
「こんなの前代未聞だ!」
「でもアルト様。あなたもラストはノリノリだったじゃない。ほかのふたりもね」
「そ、それは……君がうまく誘導したからだろう!」
「ああもう、うるさいわね。結果的に大成功だったのだからいいじゃない。例年通りの演出より、ずっと観客の心に残ったはずですわ」
一理ある。……誰もがそう思ってしまい、場が一瞬静まった。
しかしアルト王子は何かを思い出したように、再び口を開く。
「ラストシーンはまあいい。私たちも君の勢いに飲まれたのだから文句は言うまい。……だが、二幕最初のあれはなんだ!? 私はあんなシリアスな場面で……こ、こけ……」
「見事な大滑りをしていましたわね。今思い出しても……ふっ」
フィリア様が笑いを堪えきれずに唇を押さえると、王子の背後でセレン様とサディアス様もそれぞれ俯いて肩を震わせた。――絶対、笑ってる。
「あの時は混乱して気づかなかったが、冷静に思い返すと、明らかに床がぬるぬるしていた! 君がなにか仕掛けたんだろう!?」
「言いがかりはおやめくださいませ。私は二幕の準備中、ずっと見張りつきでしたのよ? そこにいる、魔女に堕ちた騎士のせいで」
「なっ!? 俺が魔女なんぞに堕ちるかっ!」
「どちらにせよ、私には不可能だわ」
毛先を指先にくるくると巻き付けて、フィリア様はつーんとそっぽを向く。
……僕は犯人を知っている、が、告発するべきなのか。フィリア様のせいにされるくらいなら、真実を言うべきだと思うけれど……。
例の女子生徒がいる方向をちらりと見る。すると、彼女と目が合ってしまった。
僕に告げ口されると思ったのか、彼女はひどく焦った顔をして、突然大声を上げる。
「彼が怪しいと思います! 床を磨いていたのは……彼ですから!」
「はっ、えっ!?」
みんなの前で指を差されて、僕は驚いた。
「私、怪しいと思って、それで、最後に一生懸命拭き直そうと……」
「ち、違います! 僕はっ!」
まずい。このままでは床磨きの件をうまく利用されて、罪を擦り付けられてしまう。
「……リアムくんじゃないか。そういえば君は今回、フィリア嬢の推薦で裏方をしていたね」
「以前からこいつらは交流がある。この魔女に頼まれて、お前が実行したのではないか」
「……リアムさん、どうなのですか?」
なぜかスターズの矛先が僕に向きだした。最悪だ。いっそ僕が独断でやったと言うべきか。でも、真犯人はあの女子生徒だ。信じてもらえないかもしれないけど、ここは正直に――。
「はーぁ。なんだか白けちゃったわ」
「フィ、フィリア様……?」
「観念するわ。私がやったの。二幕の最初は照明が暗かったから、舞台中にオイルをたらしたのよ。メイク直しの際に使ったヘアオイル。あれをこっそり使ったの」
フィリア様が突然そんなことを言いだした。
そんなはずない。だってあれは、フィリア様を嵌めるために塗られたものだったのに……。
……まさか、僕を庇おうと?
「あんな少量であそこまで転ぶと思わなかったわ。ごめんなさいねアルト様」
「やはり君の仕業か……! ミュージカルパートの件といい……私は君にペナルティを与える権利がある!」
「勝手にどうぞ。個人的なペナルティは、功績ポイントに関係ないもの」
「そうか。では、きちんと受けてもらうぞ」
今回の一件は結局、フィリア様がペナルティを受けるという形でなんとか収まった。そして――。
** *
「まさか、打ち上げパーティーに入れてもらえないなんて……」
「仕方ないじゃない。それが〝ペナルティ〟なんだもの」
文化祭終了後、すっかり暗くなった王宮の庭園。僕とフィリア様はそこに立っていた。 文化祭の日は王家の厚意で、学園関係者全員が王宮大広間の打ち上げパーティーに招かれる。
しかし、フィリア様は入り口でアルト王子により参加を拒否されたのだ。
「もっと早く言ってくれればよかったのに。ばっちりドレスも着て、髪もメイクも……ぜーんぶ台無しだわ」
「本当ですよね。突然決めたのでしょうか……」
「それは大いにありえるわ。さっき、演劇のアンケート結果が出たのよ。いちばん印象に残ったキャラクター、私が一位だったみたい」
その逆恨みね、とフィリア様は笑った。
スターズからすると、メインをやったのに一位をとれなかった。しかも、またフィリア様にしてやられたという苛立ちがあったのだろう。
「あの……ごめんなさい。フィリア様、僕を庇ったんですよね。二幕のアルト様の件で……そのせいでペナルティを……」
「なにを言っているの。私を助けてくれたの、下僕でしょう?」
「……え」
「実は、あの時床に魔力が流れてるのを感じたの。私自身の魔力は少ないけど、近くの魔力を感じ取るくらいはできるわ。その後アルト様が転んで、確信した。あれは、下僕が補助魔法で私を助けてくれたんだって」
フィリア様――気づいていたのか。
「オイルを塗ったのは、下僕を告発した彼女でしょう? 熱心なスターズ信者だもの。彼女が私によくない視線を向けていたのもわかっていたわ」
「そこまでわかっていたなら、なぜ自分が罪を被ったんですか!?」
「私と下僕を陥れようとしたあの女から、罪を償うチャンスを奪ってやろうと思ったの」
髪を耳にかけながら、フィリア様は笑った。しかしその柔らかな笑みに優しさも慈悲も滲んでいない。
「あの子の中には、一生罪悪感が残り続ける。いつか絶対、それを後悔する時がくるわ。でもその時にはもう、誰も彼女の罪を裁いてはくれない。一生罪悪感と共に生きていけばいいのよ。きっとこのパーティーだって、心から楽しめてないはずよ」
罪を償えない。それが罰になるのだと、フィリア様は言った。
「……ところで、下僕はそろそろ大広間に行ったら? あなたは参加禁止じゃないのだから」
「いえ。僕もああいう場は得意じゃないので。それに……フィリア様がいないなら、つまらないです」
「……!」
「フィリア様がいないパーティー会場に行くのなら、ここであなたといたほうがずっと楽しい」
僕の言葉に、フィリア様が大きな目を見開いた。夜の星に照らされて、彼女のブラウンの瞳がひと際大きく輝く。
その時、王宮から音楽が聴こえてきた。きっとダンスタイムが始まったのだろう。
「……下僕、踊りましょう!」
「えっ……」
「私、大広間には入れないけど、ここで勝手にパーティーをするぶんには問題ないでしょう? ふたりだけの打ち上げパーティーなんて、わくわくするじゃない」
フィリア様は笑顔で僕を見つめて、ダンスに誘ってくる。正直、彼女の相手をするなんて恐れ多いが――幸いにも、ここには僕たち以外誰もいない。
「……それなら、こういうのはどうですか?」
僕はそっと手を掲げ、夜の風に指先を滑らせた。空気の流れに意識を重ねて魔力をそっと流し込む。
――風の粒子が震え、大広間から届く旋律を乗せて運んでくる。
そうすれば奏でられている音楽が、まるで目の前で演奏されているかのように、庭園いっぱいに響き渡った。
「すごい……! すごいわ! 下僕、これは……?」
「空気の振動を共鳴させて、音を近くに運ぶ魔法です。僕が使える魔法の中では、結構派手なほうなんですよ」
「ええ! これが上級魔法だって、すぐにわかるわ。ねぇ、あなたの魔法って、本当に素敵!」
待ちきれないというように、フィリア様は僕の手を取った。そしてそのまま優雅に軽やかなステップを踏んでいく。僕も彼女に置いて行かれないように、一生懸命ついていった。
彼女の髪がふわりと舞い、可憐な笑い声が夜空へ溶けていく。眩しい笑顔が胸を高鳴らせ、気づけば僕の頬も自然と緩んでいた。
「最高の文化祭だったわ! ありがとう、下僕!」
「それは――こちらこそ」
彼女の言う通りだ。主役はいつだって、フィリア様。
僕はその物語の脇役でもいい。あなたが主役の物語の中にいられるなら、それでいいんだ。
彼女と踊ったこの夜のことは、一生忘れないだろう。




