〝終焉の世界〟
少し長めです。学園演劇完結まで。
「おい、どういうつもりだ!」
「サディアス、落ち着け。声が客席に聞こえる」
モップを手に舞台袖へ戻ると、幕の影でスターズとフィリア様が揉めていた。
「っ……! あいつ、俺たちの大事なシーンをめちゃくちゃにしたんだぞ! どれだけ練習したと思ってる!」
「知っているわ。だって、私にも出番はあるもの」
「私たちは君よりずっと歌もダンスも練習してきた。それも理解しているはずだろう」
「わたくしも、自分のパートを奪われるなんて屈辱です。……おふたりに迷惑をかけないよう、あれほど努力したのに……」
「あらあら。そんなに皆さんを悲しませるつもりはなかったのよ」
フィリア様は、肩をすくめて軽く笑う。
「何度も練習に付き合わされたせいか、本番になったら身体がうずうずしてしまって。それに……思っていたの。私のほうが、うまく歌えるって。――結果、観客の反応も悪くなかったでしょう?」
たしかに幕が閉じる直前に起こった歓声は、舞台上にいた彼らにも届いていたはずだ。
そのせいか、スターズの三人は一斉に口をつぐむ。
「……だが、許されることではない」
アルト王子が一歩前に出て、静かに告げた。
「二幕は予定通りにやる。これ以上の独断は認めない。終わったあとで、正式に謝罪してもらう」
返事を聞く前に、三人は衣装替えのために控室へと引き上げる。その直前、サディアス様が低い声こう言い放った。
「数人で、こいつを見張っておけ」
指示された男子生徒たちがそっと取り囲み、フィリア様はそのまま椅子に座って髪を直してもらっている。
その表情はたのしげで、アルト王子の言葉などまるで響いていないかのようだった。
――あの調子だと、二幕でもまたなにかやるな。
僕はひとりで苦笑を浮かべ、床の掃除に改めて取り掛かった。
十五分掃除を続け、そろそろ開幕も近づいてきた。舞台袖に戻ろうとすると――僕が既に磨き終わったところにしゃがみ込み、念入りに床を吹いている女子生徒がいた。
「あの、そこはもう終わってますよ」
後ろから恐る恐る声をかけると、彼女はビクッと大袈裟に肩を跳ねさせてこちらを振り返る。
……あ、この人。さっきフィリア様を睨みつけていた人だ!
「そ、そうだったのですね。ごめんなさい」
だが、さっきの怖い表情を微塵も感じさせないほど穏やかな声で、彼女は僕に謝った。その表情にどこか焦りが見えて、僕は違和感を覚える。
「おい! 早く退け! 始まるぞ!」
舞台袖から怒鳴り声が飛んできて、僕たちは慌ててその場を離れた。袖のいちばん前には、フィリア様が待機していた。
二幕の始まりは――レオンハルトの夢の中に現れる、魔女ベルネットのシーン。
暗い照明のなか魔女が囁き、王子が魘されるように登場する幻想的で、少し怖さも感じるシーンだ。
……あれ?
そういえば、さっき女子生徒が念入りに拭いていたのって――ベルネットの立ち位置じゃなかったか?
嫌な予感が背筋を這う。
まさかと思い、僕は慌ててその女子生徒のあとを追った。二幕の開幕を告げるざわめきのなか、彼女は人目を避けるように舞台裏でひっそりと、掃除用の液体をゴミ箱に捨てていた。
「待って! ……それ、なんですか?」
ただの洗剤なら捨てる必要はない。おもわず彼女の手を掴むと、手のひらにとろりとした感触と、甘いフローラルの香りが鼻を突いた。これは……衣装用のヘアオイルだ。
「まさか、これを床に塗っていたんですか?」
「……ち、違うわ。そんなこと、してない……!」
言い訳をする声は震え、唇もこわばっている。この沈黙の間が、彼女の行いを物語っていた。
「……フィリア様に恥をかかせるために?」
彼女は目を伏せなにも言わない。その無言が答えなのだろう。
だとしても、ここで問い詰めている暇はない。まずはこの件をフィリア様に知らせるのが先だ。
だが、僕が舞台袖に戻った時には、もう開幕のブザーが鳴り響いていた。ゆっくりと幕が上がり、フィリア様は舞台へと歩みを進めていく。
暗闇の中では、いくらフィリア様でも床の異変には気づけない。……このままでは転倒してしまう。
――僕がなんとかするしかない。
「……ふぅ」
深呼吸をして、動揺や緊張を無理やり押さえ込み、全神経を集中させる。次第に周囲の喧騒が遠のいて、視界のすべてが一点に収束していく。
使うのは、位置を固定する補助魔法。本来は、物や魔道具を一時的に特定の場所に固定する魔法である。
この魔法を応用し、力を逆流させることで、対象の位置をわずかにズラすのだ。本来の使い方とは真逆の使い方だが、緊急時にはこういう使い方もできる。とはいえ……理論上は可能だって聞いただけで、まさか本当にやることになるとは思わなかった。
誰にも気づかれないように、静かに、慎重に、フィリア様の足元がその危険な一点を避けるよう、そっと床に魔力を流し込む。
……頼む、間に合ってくれ。
魔法が持つのはせいぜい数分だろうが、それでも、今この瞬間だけ守れればいい。
フィリア様が立ち位置へ近づいて行く、その直前。
――いけた!
僕は魔法に成功した。その証に、フィリア様はなんのトラブルもなく演技を続けられている。
僕が魔法を使用したのも、誰も気づいていないようだ。今回ばかりは、自分の地味さに感謝する。もし誰かに話しかけられたり、肩を叩かれたりしていたら、きっと集中が切れて失敗していただろうから。
安堵から足の力が抜けその場にしゃがみ込み、僕は舞台に目を向けた。
暗闇の中、低く響くオルガンの音と深紅の照明が舞台全体を包み込んでいる。
フィリア様の立ち位置をは反対方向から、レオンハルトが呻き声を上げながらふらふらの足取りで登場すると、また観客席から待ってましたという歓声が上がる。
「愛を選べば、どちらかの国が滅びる。お前はそれでいいのか。愚鈍な王子よ」
「やめろ……魔女めが……! 私を惑わすな……! 邪悪な影よ、消えてくれ――!」
叫んだ瞬間、レオンハルトは勢いよくベルネットへ飛びかかった――が。
ツルンッ。
そんな間抜けな効果音がぴったりな勢いで、レオンハルトはその場に滑り込むようにすっ転んだ。
仰向けに寝転がるレオ――いや、アルト王子はなにが起きたか理解できていないようだ。ベルネット――フィリア様も一瞬、きょとんと目を見開いている。
だけどすぐに口元を覆い、笑みを押し殺して魔女ベルベッドに戻った。
「……足元をすくわれないように、気をつけなさいね。王子様。……フッ」
最後は笑いをこらえきれず、でもわざと妖艶に笑って、闇の中へとその身を溶かし、そのまま舞台袖へ消えていった。
今のは完全なアドリブだが、そのおかげでアルト王子がこけるのも脚本通りだったのでは? と思わせられる。
魔女が去り、照明が再び明るくなると、アルト王子は客席に後ろ姿を見せていた。こちら側から見える彼の顔は、それはもう真っ赤に染まっていた。
「お、おい……大丈夫かアルト様」
「王子、ずいぶん派手に転んだぞ……」
「シークレットブーツなんて履かすからよ!」
「あとでみんなでフォローしてさしあげないと……!」
舞台関係者、そして本人ですら、なにが起きたかわかっていない。そんな状況下で、僕はひとり心の中で深く謝罪した。
僕が位置をズラしたせいで……。アルト王子、申し訳ございません……。でもおかげさまで、僕のご主人様は無事でした。
この結果を知ったら、あの女子生徒はどんな顔をするのだろうか。でも彼女がまいた種だ。僕は同情しない。
――とまぁ、開始早々ハプニングはあったものの、舞台は問題なく進行している。
アルト王子は派手に転んだにもかかわらず、見事に立ち直り、スターズのメンタル力を存分に見せつけてくれた。
……スピーチ事件を経て、だいぶ鍛えられたのかもしれない。
いよいよ物語も終盤だ。
ここからは魔女ベルネットが、メインキャラひとりずつと一対一で対話をするシーンが続く。心の奥深くに語り掛け、本音を引き出す――そして全員が魔女に打ち勝ち、自分の意志を貫くと決める重要なシーン。
まずはレオンハルト。
床を警戒しながら魔女と向き合う。ヘアオイルはアルト王子がすべてその身で拭ってくれた&幕間に拭き直ししているため、もう大丈夫だが気になるのだろう。
「愚かな王子、レオンハルト。お前は本当に、国より恋を選ぶのか?」
ベルネットがレオンハルトに問いかける。
「ああ。そうだ。私はリリーベルを諦めるなどでき――」
「本当にそれでいいのか!?」
「はっ……!?」
この土壇場で、フィリア様はやはり仕掛けてきた。ここからはもう、彼女のアドリブ劇とそれに付き合わされるスターズだと思いながら見させてもらおう。
「次期国王陛下になる権利を持つお前の覚悟は、そんなものか!?」
「ぐっ……そ、それは……!」
「完璧な姿を見せるため常に努力し、心配をかけないように笑っている。そのすべては自分のためではなく、国のため。私には、お前のすべてが見えている。その想いを、たった一時の恋情で乱されるな!」
シナリオとは全然違うセリフだが、なぜかしっくりくる。
レオンハルトも胸打たれたように目を見開いて、その場に立ち尽くした。
「私、私は……私の答えは……」
「まだ呪いが実行されるまで時間がある。答えはそれまでに出すがいい」
レオンハルトは捌けていき、続いて姫リリーベルがやって来る。
「また勝手な真似を……! あの悪女め!」
「で、でもなんだか、アルト王子も世界観に入り込んで、いちばんいい演技をできています」
「た、たしかに……言われてみれば……」
またまた舞台袖は一瞬騒がしくなるが、やはり誰も止められない。そしてアルト王子は本当に物語に入り込んで、袖で項垂れるようになにかぼやいている。
「愚かな姫、リリーベル。お前に問う」
「嫉妬に狂った可哀想な魔女。なにを言われようと、わたくしの心は揺るぎません。彼に愛されない未来など、わたくしはいらな――」
「愛されるのは本当に、お前でいいのか?」
「……へっ!?」
「お前が望むものは、王子に己が愛されることか。騎士を捨ててでも、王子とふたりの世界を作りたいのか。そうすれば王子と騎士はもう二度と、同じ世界で交わることはない」
「そ、そんなっ……わたくしの国が滅びるかどうかは、まだわからないでしょう」
「いいや、お前が王子と結ばれれば、騎士はこの世からいなくなる。それでいいのか!」
リリーベル――セレン様の頭の中は、もう完全に腐女子の妄想でいっぱいに違いない。
リリーベルの感情などどこかへ吹き飛び、セレン様本人として魔女の言葉を受け止めてしまっている。
……もっとも、フィリア様の狙いはそこだろう。
傍から見れば、ずっと一緒にいた騎士を失う葛藤にしか見えないのが、またおもしろい。
「わ、わたくしはどうしたら……!」
「心の正直な方向へ進めばいいのだ。お前の幸せはそこにある」
魔女なのにまるで聖女みたいに優しくリリーベルに微笑むベルネット。
続いて騎士ヴァルターの登場だ。
「愚かな騎士、ヴァルター。叶わぬ恋に忠誠を誓い、お前は幸せなのか?」
「俺の幸せは、姫様の幸せだ」
「剣では救えない痛みもあると、なぜ気づかない。お前は姫ばかりを救い、自分の心を救っていない」
「黙れ! 魔女にはわかるまい。俺の心など! 姫様を傷つけるお前なんぞ、俺がこの手で――!」
剣を抜き、凄まじい速さで魔女に切りかかるヴァルター。その剣術に、観客も圧巻だ。
ここはヴァルターがベルネットに致命傷を負わせ、そのまま自らにも剣を刺すという悲しいシーン……だが。
刺されても、ベルネットは倒れず立ち尽くしたまま。
さらにはヴァルターの胸倉を掴み、自分のほうへ引き寄せる。
「お前は私が救ってやろう」
「な……っ!」
「失恋の傷は必ず癒える。お前の心についたその傷、私が救済する」
「そ、その必要はない! というかお前、さっさと倒れんか!」
……ああ、サディアス様まで素が出てしまっている。
「お前、私を刺して自らも死ぬつもりだったろう」
「当たり前だ。俺の存在は姫を悩ませるだけだから、な……。おい、くっつくな! 離れろ!」
「お前が死ぬのは悲しい。生きろ、ヴァルター。お前は強い。お前のその才能は姫のためではなく、もっと大勢の人の役に立てろ」
「……!」
「お前の力を必要とするものは、ほかに必ずいる」
そう言って、結局最後まで倒れぬまま、ヴァルターを取り残して去って行くベルネット。こうなっては自害する流れもおかしい。元より、ここまでアドリブできてしまったらシナリオもくそもないだろう。
「……ふん。憎たらしい女だ」
ヴァルターは剣をしまい、背を向けた。
この学園演劇史上初めて、騎士ヴァルターは自害を選ばなかった……。
物語はついにクライマックスへ。
レオンハルトとリリーベルが想いを交わし、愛を貫き魔女を討つ場面だ。
「リリーベル……私は……!」
「レオンハルト様……わたくしは……!
ステージ中央、互いの名を呼びながら手を伸ばすふたりの背後では、魔女ベルネットがその様子を見守っている。
……しかし、やはりというべきか。ここにきてスターズまでもがアドリブを始めてしまった。
「やはり国を捨てられない!」
「自分の信念に嘘はつけません!」
恋ではなく、愛国心と信念の勝利――! まさかの展開に、会場全体が息をのんだ。
「……それがお前たちの、本当の答えだな?」
ベルネットが低く囁き、ふたりに歩み寄る。
「ああ。俺はこのエスペランザを愛している」
――エスペランザって言っちゃったよ。
「わたくしも、本当の愛がなにか、最初から気づいておりました。王子と結ばれるのは、わたくしではありません」
……サディアス様でもないけどな。
僕が心の中でツッコミを入れていると、ベルネットがくつくつと笑った。
「私は負けた。完敗だ。お前たちは禁断の愛を選び、すべてを見捨てると思っていた。……もう呪いは必要ない。そして、お前たちにかけた呪いの代償は、我が身を持って償わなくてはならない」
「! なにをする気だ、フィ――ベルネット!」
一瞬名前を呼び間違えたレオンハルトの衣装に隠し持たれていた短剣を、ベルネットは奪い取る。
そしてそのまま自らの胸を貫き――ベルネットは死んだ。
「……私たちは、魔女の思惑に打ち勝ったのだな」
「ええ。本当に大事なものを見つけられたのです」
レオンハルトとリリーベル。最後はふたりの熱い抱擁と、滅びゆく国の背景で終わるはずだったが……ふたりは固く握手を交わすだけ。
挙句の果てにサディアス様を舞台袖から呼び出し、メインキャラ三人で仲良く肩を組んでいる。どろどろの三角関係はどこにいった。
「おい、このままだと悲劇じゃなくて青春劇だぞ! お前、どうにか背景を差し替えられないか!?」
「えっ!? えっと……やってみます!」
急遽変更となった結末にバタバタする舞台裏で、僕は重大な任務を任される羽目に……。
指示を受けて、急いで装置のそばへ走る。舞台用の背景幕は、あらかじめ数種類の絵布が魔法で繋がれており、簡単な補助魔法で切り替えができる仕組みになっている。
僕は手のひらをかざし、そっと魔力を流し込んでいく。
「……素材、切り替え。平和な街並み……これだ!」
暗い崩壊した国の背景が、一瞬で明るい空と笑顔の人々に変わる。ほんの小さな魔力操作だけど、観客にはこれすらも演出に見えたようだ。
音楽までもが穏やかに変調し、明るい空気のもと幕が下りていく。
観客席からは拍手が巻き起こり、会場が震えるほどの大歓声がどっと鳴り響いた。
「最高! こんな〝禁断の恋と終焉の世界〟初めてだわ!」
「今回の魔女、すごくよかった! みんなを導いてくれたんだ!」
「やっぱりハッピーエンドがいい!」
「アルト王子! 一生ついていきます!」
「聖女様と騎士様も! エスペランザの未来は明るいぞ!」
文句なしのスタンドオベーション。
――こうしてメインイベントの学園演劇は、大成功……? で終わった。




