〝禁断の恋〟と
エスペランザ王立学園の文化祭は、毎年この時期に開かれる――学園最大の祭典だ。
招待客の顔ぶれも実に華やかで、生徒の家族や友人はもちろん、各国の貴族や要人、そして他国からの視察客までやってくる。この日ばかりは、まるで社交界の縮図だ。
さらに今年は、例年以上に注目が集まっていた。
理由はただひとつ――スターズの存在である。
エスペランザの未来を背負う彼らを一目見ようと、見物客が押し寄せているのだ。……まぁ、顔ファンも少なくないらしいけれど。
校内では出店や展示が並び、演奏会や模擬戦、魔術演目など、様々なイベントが開催されていた。
どこもかしこも、楽しげで明るい雰囲気に満ちている。
……僕も家族を招待していた。でも、母はきっと、ほかの貴族たちを見れば劣等感を覚えるだろう。それを本人がわかっているからか、去年に続いて今年も欠席だった。マリエルが行きたがっていたのだけが、少し残念だ。
僕の事情なんておかまいなしに、文化祭はますます熱気を帯びていた。
時計の針は、まもなく昼の三時を指そうとしている。いよいよ文化祭のメインイベントが始まる時間だ。そう、投票で選ばれたキャストたちによる学園演劇である。
「おい、小道具の最終チェックは終わったか!?」
「か、確認済みです! 問題ありません!」
舞台裏では、衣装係も照明係も走り回り、怒号と返事が飛び交っていた。
もちろん僕も例外じゃない。昼過ぎからずっと、舞台の準備で忙しさに目が回りそうだ。
幕の向こうからは、観客たちのざわめきが次第に大きくなって聞こえてくる。そっと幕の隙間から覗いてみると、ホールはすでに満席――いや、立ち見の客までいる始末だった。
「下僕、お疲れ様」
ようやくチェックも一段落つき、舞台袖の隅で存在を消すように休んでいると、薄暗い照明の中からフィリア様が姿を現した。
「フィリア様――っ!」
思わず息をのむ。
魔女役のフィリア様は、いつもとはまるで違っていた。
長く赤い髪は強めのウェーブがかかり、身体のラインがわかるような濃い紫色のドレスに、真っ黒なローブを羽織っている。
深紅の唇と、瞬きをするたびにキラリと主張する金色のアイシャドウ。目尻の吊り上げるようなラインが引かれ、いつもより色っぽさが増している。
その姿だけ見れば――冷たく美しい悪役そのものだった。
「どう? 少しは魔女に見えるかしら?」
わざと挑発するように口角を上げて、フィリア様がこちらを見る。
「少しどころか、どう見ても……」
「そこまで言われるとあんまり嬉しくないわね」
まずい。正直に言い過ぎた。
「……あの、それで、作戦の準備はできているんですか?」
ここまでフィリア様は大きなやらかしもせず、演劇の稽古に励んできた。準備中も、特に大きな騒ぎは起きていない。仕掛けるとしたら、本番なのだろう。
「ええ。今回はよく我慢したわ。稽古で何度もスターズにやられっぱなしで、ストレスでおかしくなりそうだったもの」
「なにをするか知りませんが、ものすごい数の観客ですよ。舞台を台無しにするなんて、そんなことはしませんよね?」
そうすればフィリア様の功績ポイントも上がらないのでしないとわかっているが……。
「台無しになんてしないわ。むしろ、これまででいちばんおもしろいものを見せてあげる。……覚えておいて。主役は常に私ってこと」
彼女はそう言うと、自分の持ち場へ颯爽と戻って行く。カツカツと響くヒールの音を聞きながら、僕はごくりと生唾を飲み込んだ。
<これより、本日のメインイベント! 選ばれし生徒たちによる学園演劇【禁断の恋と終焉の世界】の開幕です! 最後までどうぞ、お楽しみください!>
アナウンスが響くと同時に、大ホールがどっと沸き立った。
拍手と歓声に包まれながら、いよいよ――舞台の幕が上がる。
「君、大丈夫か?」
「ああ、ありがとうございます。あなたがいなければ死ぬところでした」
最初のシーンは、アルト王子演じる王子〝レオンハルト〟と、姫〝リリーベル〟の出会い。
国境付近で盗賊に襲われたリリーベルを、レオンハルトが救う――定番ながら、観客が一瞬で引き込まれる導入だ。
「美しい人、どうか名前を教えてくれないか」
「……名乗る前に、あなたのお名前を教えてください。その髪、瞳の色……心当たりがあるのです」
「私の名前はレオンハルト。この国の王子だ」
「っ! やはり……そうなのですね……」
「……どうしてそんなに動揺している?」
「いえ。王子と話す機会など、生涯ないと思っていたものですから……」
「それで、君の名前は?」
「……リリーと、いいます」
「リリー。素敵な名だ」
微笑み合うふたり。互いに一目で恋に落ちたが、リリーベルは自らの本名を名乗れなかった。なぜなら相手が、敵対する隣国の王子と知ってしまったから……。
「リリー、よければ君にまた会いた――」
「姫様、どこですか! ご無事ですか!」
そこへ、姫の護衛騎士である〝ヴァルター〟が現れる。
……サディアス様の敬語って、なんだか慣れないな。
「わたくしはもう行きます。どうか、お元気で……」
「待ってくれ! リリー!」
姫だとバレてしまう前に、リリーベルはレオンハルトのもとを去る。
そして次のシーンは、ヴァルターがリリーを見つけた場面。
「姫様、どうしたのですか。顔が赤いようですが」
「……ヴァルター、どうしましょう。わたくし、恋をしてしまいました」
「……恋? いったい、誰にですか?」
「……それは、言えません。でもヴァルター。昔からわたくしをよく知るあなたなら……わたくしのどんな恋も、応援してくれますか?」
「…………もちろんでございます」
リリーベルはその言葉を聞き、安心した様子でにこりと微笑み歩き出す。
無邪気な姫の背後で、ヴァルターは小さく呟く。
「……俺は、本当に応援できるのか……?」
葛藤を抱えたまま、それでもヴァルターは自分の気持ちを押さえつけるのだった。
――よし。出だしは好調だ。スターズが次々と現れて、観客の反応もいい。
その後もモブを交えながら、三人の複雑な恋模様が進んでいく。
リリーという別人として参加した夜会で、ついにレオンハルトに正体がバレてしまう。だが彼は、それでも彼女を愛していると告白をする。
「君が敵だというのは、私たちの先祖が勝手に決めたもの。私にとって、君はたったひとつの安らぎなのだ。……愛している」
「……レオンハルト様……っ!」
アルト王子渾身の告白シーンでは、観客からひと際大きな悲鳴にも似た歓声が上がった。
男の僕から見てもかっこよすぎる。普通に感動してしまった。
だが次の瞬間、場の空気が一変する。
黒い霧のようなエフェクトとともに、ゆっくりと舞台中央に――魔女〝ベルネット〟が現れた。
「敵対した王子と姫の、美しく、純粋な恋……。しかしそれは、禁じられた恋――」
その声が響いた瞬間、客席から小さな本物の悲鳴。艶やかで冷酷なその姿に、誰もが息をのんだ。
「理性に抗えず、己の欲望を満たすため、色に溺れる……。ああ、人間はなんと愚かなのか」
フィリア様が舞台上に姿を見せると、その悪女っぷりに今度は本物の悲鳴が上がった。声のトーンも完全に仕上がっている。彼女の登場に僕はさっきまでの感動が引っ込み、急になにをするのか緊張感でいっぱいになった。
「貴様は誰だ!」
「私の名は魔女ベルネット。……威張るな。お前の剣や魔法では、私を倒せない」
現実でもそうだと言うように、やけにアルト王子……じゃなかった。レオンハルトを見下してベルネットはけらけらと笑った。
嫌味な態度に、既に客席からブーイングが怒っている。
「なんと言われても構いません。わたくしたちは、真実の愛で結ばれているのです」
「そう。真実の愛があれば、なにも怖くなどない」
「では、その真実の愛が、ほかの大切なものを滅ぼすとしたら? ……私は今から、お前たちに呪いをかける。その〝禁断の恋を貫けば、近い未来お前らどちらかの国が滅びる〟――と」
「!」
「!」
「この呪いは、私の命が尽きても終わらない。お前ら以外の国民、町並、すべての命ある生物たち……すべてが塵となって消えていくのだ。さあ、お前たちはどっちを選ぶ? 国か――愛か」
不敵な笑みを浮かべて、ベルネットは夜の闇へと溶けていった。
……あれ。フィリア様、脚本通り完璧に進めている。これでは出番の多さで、スターズより目立つのは不可能だ。
ほかになにか、考えがあるのか?
そしてまた、ベルネット抜きでシーンは進んでいく。
リリーベルの想い人がレオンハルトと知り、猛反対するヴァルター。反対されればされるほど想いが募るリリーベル。
一方レオンハルトは、国の危機に頭を悩ませていた。
ついに舞台は、一幕のラスト。
同時に、メインキャラ三人の最大の見せ場へと突入する。
レオンハルト、リリーベル、ヴァルター――三人の想いが交差する、渾身のミュージカルパートだ!
「愛か、国か……選べぬままに夜が明ける。繰り返される葛藤と、忘れられぬときめき」
「この手で守りたい、あなたの笑顔を――あなたがいれば、わたくしは悪にもなれる」
「もう戻れぬなら、せめて最後は俺の手で恋を終わらせてしまおう」
三人の切ない歌声が、舞台いっぱいに響き渡る。相当練習しただけあって、音程も振り付けも完璧だ。
アルト王子は自信満々に役へ入り込み、セレン様は若干照れ気味で、サディアス様は少しだけぎこちない――それがまたキャラに合っていて、それぞれに個性があった。
スターズの華やかな舞と歌に、観客からはうっとりした溜息が漏れる。まるで本物の劇団のような完成度だ。
演奏が少し落ち着き、間奏に入る。本来なら、ここで魔女ベルネットが僅かなセリフを言い退場――の、はずだった。
「それでいい。壊れるまで愛し合え。愛という呪いからは、誰も逃れられない!」
……だが、彼女は去らなかった。
そのまま舞台中央に進み出ると、次のアルト王子のパートを――奪うように歌い出したのだ。
アルト王子は一瞬声を重ねかけたが、圧倒されて歌うのをやめる。フィリア様はそのまま、セレン様、サディアス様のパートまでも歌い上げていく。
しかも、驚くほど上手い。歌詞も一文字の狂いもない。
突然のアクシデントに、ステージ裏は騒然とした。
僕の周りでも「誰か止めろよ!」「無理だ!」と混乱が飛び交うが、音を止めたらそれこそすべてが台無しだ。
三人もそれを理解しているのか、踊りも演技も完璧に続けている。歌だけが、フィリア様の声で紡がれていく……。
「これまでと違う演出だ!」
「操られてる感じが不気味で、逆にいい!」
当然観客席もざわめくが、そういう演出だと思っているらしい。しかも、なかなかに高評価だ。
フィリア様は最後の一音まで歌い切り、静まり返った会場を背に、ゆっくりと一礼した。
そのまま幕が下りていき……休憩を挟んで、二幕へ続く。
拍手が大ホールを揺らす中、僕は中央で立ち尽くすフィリア様から目を離せなかった。
「……なんなのよ、あの女。スターズのパートを奪うなんて……絶対許せない……」
余韻に浸っていたが、背後から聞こえた低い声におもわず振り返る。
そこには、嫉妬に満ちた瞳でフィリア様を睨む女子生徒の姿があった。見てはいけないものを見てしまった気がして、身体が固まる。
「おい、ぼさっとするな。二幕が始まるまでに舞台上の清掃だ」
「あっ、はい! すぐ行きます」
僕と同じ裏方担当の同級生に遠くから声をかけられ、はっとして掃除道具を取りに行く。その女子生徒も僕なんか気にも留めずに、冷静な態度でその場から動いた。




