krika
視界が鮮明な初期画面へと切り替わり、画面の中央に大きく文字が浮かんだ。
[言語を選択してください]
網膜上のメニューから〔日本語〕をつまむと、指先にやわらかな感触が返ってくる。
「まるで本当に触ってるみたい」
想像以上のリアルさに驚いていると、頭の奥が少しぼんやりとしていることに気づいた。
遠くでかすかに、子どもの声が囁いている。
――耳元?それとも頭の中?
(昨日から、なんかヘンだわ……)
妹が行方不明なのだ。平常でいられなくても当然かもしれない。そう思うものの、胸のあたりがざわざわと落ち着かない。まるで誰かが自分をじっと見ているような違和感。
[Wi-Fiネットワークを選択してください]
璃海は軽く首を振って、ふたたび画面の指示に従った。ネットワークを選択し、パスワード入力画面でバーチャルキーボードを叩く。グローブの指先に、きちんと振動まで返ってくる。
すぐに、[アカウントログイン]の文字が浮かんだ。
「またか」
なかなか前に進めないことに焦りを覚えるが、三度目ともなれば慣れたもの。
あっさりと[登録完了]の文字が現れた。
すぐに、[プレイエリアを設定してください]と表示され、手のひらで示された境界線をなぞる。
光をまとって現れる軌跡を見つめながら、璃海はふと手足の重たさを感じた。
(風邪でもひいたのかな)
ぼんやりする頭を小さく振ると、突然、耳元で声がした。
『この境界は、キミの命を守る約束。ぜったい無視しちゃダメだよ――』
はじめに聞いた甘やかな声とは違う、合成された幼い声。さっきから聞こえていたのはこの声だったのか。
声の正体がわかったことで安心出来たものの、相変わらず頭がすっきりしない。
璃海はどうにか集中し、ヘッドセットの調整画面を見つめた。
視界の明るさや音量を調整すると、感覚が一層クリアになる。
[グローブの動作確認を行ってください]
『拳を軽く握って。指を一本ずつゆっくりと曲げ伸ばししてね。……いいよ、その調子』
歪な子どもの声は、システムにしても妙な違和感があった。訝しみながらも指示に従うと、璃海の指の動きと連動し、空間に光が灯っていく。
(あれ、今、何してたんだっけ)
一瞬思考が途切れた気がして、璃海は目を瞬かせた。
[動作確認完了]
「終わったの?」
声は何も答えない。かわりに、最初に聞いた甘やかな声が告げた。
『それでは――〝天球の再誕室〟への扉を開きましょう』
蔦に覆われた黒々とした石が浮かび上り、石の中央に刻まれた〔 ANIMA NOVA 〕の刻印がゆるやかに光を帯びていく。
『石に触れ、新たな生命に生まれ変わりなさい』
声に導かれるまま、そっと石に手を伸ばす。
刹那――璃海の身体は強い力で刻印に吸い寄せられ、呑み込まれた。
視界が万華鏡のように回転する。
摩天楼の稜線、砂を蹴立てるバイソンの群れ、果てしない海、空高く舞う鷹……次々と景色が流れていく。
やがて地球を後にし、いくつもの銀河を通り過ぎ――、
[ANIMA NOVA サーバーに接続中…]
[キャラクター作成画面に移行します]
――目の前に闇より濃い深淵が口を開けていた。
その中央に、一本の巨大な樹が青白い枝を広げている。璃海はその樹に、ぐんぐんと引き寄せられていった。
(ぶつかる!)
眼前に迫る幹に思わず目を閉じた。
気づけば――音は一切なく、深い水底にいるような静けさの中。ただ、ちらちらと光の粒子だけが漂っている。
淡い光は少しずつ集まり、やがて数えきれないほどの粒子が、小さな人型をつくりあげた。
その時、璃海は唐突に理解した。
――これは、わたしだ。
すると、またあの甘い声が、どこからともなく響いた。
『ここは〝天球の再誕室〟。今からあなたが望む姿を作りなさい』
光の人型を、透明な卵のような膜が覆っていく。
同時に、わずかに光を帯びた選択肢のパネルが、璃海の前に浮かんだ。
卵の中で、ゆっくりと人型が璃海を見た――ような気がした。ざわりと一瞬総毛立つ。
「ただのゲームじゃない……ナーバスになりすぎ」
璃海は自分に言い聞かせるように呟いた。
気を取り直し、現れたパネルを女性、ハーフエルフと選ぶと、光の人型がぐにゃりと引き延ばされ、ほっそりとしたシルエットに変わる。
璃海は次々と現れるカスタマイズ項目を選んでいった。
黒髪ショートボブ。海色の瞳。身長をゲージで165センチに調整すると、光の人型がすっと背筋を伸ばし、こちらを見る。
「なんか、わたしと似てる?」
完成したアバターは、ハーフエルフの尖った耳と目の色以外、見事に璃海の特徴を備えている。何故かぞっとした。
『よくできましたね。では、あなたの職業を選んでください』
「職業まであるの? いつになったら終わるのよ……」
ふたたび璃海の周りにパネルが並ぶ。
文字を追っているうちに、視界の端が少しぼやけた気がした。目をこする。
もうなんでもいいわ――そう思った時、リストの薬師という文字が目に留まった。
ふと、妹の顔が過る。自然とそのパネルに手を伸ばしていた。
最後に名前を入力するらしい。
あの勿忘草色の妖精の名前は何だろう? と思いながら、璃海はパネルに[rikka]と入力した。
「うーん。いくら何でも、そのままじゃまずいわよね」
考えなおし、[krika]と打ち直す。
『krika、素敵な名前ですね。では、あなたの目指す場所を選んで旅立ちなさい』
言葉と共に、無数の泡が浮かんだ。
そのひとつひとつの中には、水晶のように透きとおる森、巨大遺跡が聳える砂漠、星海に浮かぶ天球都市――数えきれないワールドが見える。
「真白はどこにいたのかな……」
小さく呟くと、ふたたび子どもの声が耳元で――いや、頭の中で?――囁いた。
『ここはどう? はじめての人でも、きっと楽しい世界だよ』
ひとつの泡が割れると、淡く光るゲートが出現した。
その向こうで風が吹き、見知らぬ地平線が広がっている。
璃海は小さく息を吸った。手を伸ばそうとして、一瞬身体が揺れた気がした。
いや、揺れているのは自分? それともゲート?
その疑問が消える前に、璃海の手はゲートに触れていた。




