徒労
翌朝、璃海は真白のベッドで目を覚ました。軽く横になるつもりが、いつの間にか眠ってしまったらしい。
起き上がってシャワーを浴びたあと、チェストの引き出しから部屋着を拝借し、脱いだ服を洗濯機で回す。
(後で服を買いに行かないとなあ)
仕事帰りにまっすぐここまで来たので、何も持って来ていない。
璃海はため息をついて傍らのスマホを見た。
10:23という時刻の下に、メッセージ通知がある。奏衣からだ。
タップすると、チャトラ猫があくびをしながら〝おはよう〟と挨拶をする。
その下に、奏衣からのメッセージがあった。
【 おはようございます 】
【 もしよかったら… 】
【 警察に 行方不明届を出してみませんか? 】
「行方不明届…」聞き慣れない言葉だった。
もしかしたら、それで警察が真白を探してくれるのかもしれない。璃海はわずかな希望を感じながら返信した。
【 おはようございます 】
【 アドバイスありがとうございます 】
【 今日 警察に行ってみます 】
【 また報告しますね 】
了解! と敬礼するチャトラ猫。
【 何かあればいつでも連絡ください 】
【 あと 】
【 わたしのこと 】
【 よかったら〝かな〟って呼んでください 】
【 ありがとう 】
【 じゃあ わたしも〝りっか〟で 】
【 真白のことも 普段どおり呼んでください 】
【 真白〝さん〟じゃなかったですよね 笑 】
既読がつくとすぐに、OKサインをしたチャトラ猫が現れた。どうやら奏衣のお気に入りのスタンプらしい。
くすり、と笑ってスマホを伏せると、昨日の昼食から何も食べていないことに気づいた。
(買い物がてら警察に行ってみるか)
璃海はベッドに横になり、地図アプリで周辺を確認した。また、ざらり、と昨夜の不快な気配が忍び寄ってくる。
(なんだろう…風邪でもひいたかな)
だんだんと、身体の芯が重くなり、頭がぼんやりとする。――ゆっくりと意識が遠のいていった。
…………………。
………………………。
ピ———ッピ———ッピ———ッピ———!
(!)
洗濯機の終了音にはっ、と目を開いた。
いつの間にうたた寝していたようだ。
時刻は11時を回っている。
乾かした服に着替え、軽く化粧をしてから近くのカフェで軽いランチを終えた。
10分ほど歩くと、三階建のコンクリートの建物が見えてくる。駐車場には数台のパトカーが停まっていた。
休日のせいか玄関は薄暗く、中も閑散として薄気味悪い。
受付の初老の男性に案内され、狭い部屋に通される。小さな机の反対側に、私服の警察官が二人、窮屈そうに並んで座っていた。
若い警察官が、真白の名前や生年月日、身長体重、健康状態を淡々と尋ねる。まるで容疑者になったような居心地の悪さだ。
「妹さんの服装や靴、カバンなど、何を持って行ったかわかりますか?」
もう一人の、こちらは五十絡みの温和そうな男が、はじめて口を開いた。
「すみません。離れて暮らしているので、今の持ち物はわからなくて」
「そうですか。――では、最近の妹さんの写真、何枚かお持ちでしょうか?」
「……最近というと、お正月のものしか」
璃海がスマートフォンを差し出すと、若い方の警察官が「写真のデータ、確認してきますね」と短く言い、席を立った。
年配の警察官が、資料に目を落としたまま柔らかく口を開く。
「妹さん、薬学部の2年生でしたね。一人暮らしで――昨日、堀田さんというお友達と部屋を確認させてもらいましたが、特に変わった様子もありませんでした」
「はい……」
「妹さんは一般家出人となります。警察として捜索はできませんが、データは全国の警察署のコンピューターに登録されますので――」
「……探してはもらえないんですね」
璃海の沈んだ様子に、彼は申し訳なさそうに眉を寄せた。
「事件性や、自殺なんかの可能性がない場合はなんとも……」
気遣うような声色に、かえって望みがないことを思い知らされる。
「ご友人の堀田さんも、心配してあちこち探してくれていたみたいですね。お姉さんも、地元や高校時代の知人のところも確認されるといいかもしれません」
「……はい」
「後は、恋人や、親しい男性がいれば、一緒にいる場合もかなりありますが」
「……え?」
璃海は思わず、顔を上げた。
恋人という言葉に、昨夜の不安がまた頭をもたげてくる。
「…妹さんに、そういう相手がいましたか?」
(ゲームの中に恋人がいたと話すべきなのかな)
迷ったが、結局「わかりません」とだけ答えた。
言っても相手にされないだろう。
「……そうですか」
メモを走らせていた警官の手が、ほんの一瞬だけ止まった。その視線が静かに璃海へ向けられる。だか、すぐにもとの穏やかな口調に戻った。
手続きが終わり、書類にサインをして警察署を後にする。
ふり返ると、玄関からこちらを見送る、年配の警察官と目が合った。――その目に、妹のことを何も知らない姉だ、言われているように、璃海には思えた。
実際、璃海は今の真白のことを何も知らない。
気づかないうちに、妹との間に距離が生まれていたからだ。
両親が亡くなった時、真白は9歳だった。
年の離れた妹は、母のように接する10歳近く上の姉が、鬱陶しくなったのかもしれない。
(でも、たとえ嫌がられても、ちゃんと向き合っておけばよかった……)
ときどき送る短いメッセージは、ささやかな祈りのようなもの。いずれは昔のように、なんでも話せる姉妹に戻れると思っていた。
だか、その ―いつか― は永遠に訪れないのかもしれない。




