不穏
17時5分。
璃海はパソコンの電源を落とし、いつものようにデスクの周りを片付けた。
「一之瀬さん、お疲れ様でした」
隣の席の後輩が、荷物をまとめながら小さく微笑む。ずいぶんと機嫌が良さそうだ。
明日からのゴールデンウィークを前に、みんな心なしか浮き足立っている。
「お疲れ様」
笑顔で会釈を返し、市役所の職員駐車場へと急いだ。黒のネイキッドのエンジンをかけると、今朝聴いていたラジオから天気予報が流れてくる。
アクセルを踏もうとしたその時。
ブー、ブー………助手席に無造作に置いたスマホから振動音が響いた。
「誰かな」
エンジンを止めてスマホの画面を見ると、心当たりのない番号だ。
出るか、出ないか……逡巡するうちに電話は切れ、画面は待受へと戻った。 顔認証ですぐにホームが開き、通話アプリの赤いバッジが目に飛び込んでくる。
丸の中には、
〔12〕
という数字が浮かんでいた。
「え!?」
慌てて着信履歴を確認すると、さっきかかってきた電話番号とすべて同じだ。
「何これ、怖っ!」
自慢じゃないが、璃海は交友関係が広くない。こんなにたくさん電話がかかってきたのは、初めてだ。
「誰よ、いったい……」
戸惑っていると、手の中のスマホがふたたび振動した。
(また同じ番号)
訝しみながら受話器マークをタッチすると、電話の向こうから緊張をはらんだ気配が伝わってくる。
『……あの、真白さんのお姉さんのご携帯でしょうか?』
若い女性のおずおずとした声が耳に落ちた。
『何度もお電話してすみません。わたし、真白さんと同じ大学の友人で、堀田 奏衣といいます』
妹の友達、と聞いて、一瞬肩の力が抜ける。それと同時に、ふと嫌な予感がした。
「あの、真白に何か?」
『…………実は真白さんと連絡がつかないんです。何かご存知ないでしょうか?』
「え。それって、どういう?」
『水曜日から授業を欠席していて、電話も出ません。メッセージを送っても既読がつかなくて』
「……でも、昨日もメッセージを」
璃海は慌てて真白とのトーク画面を開いた。
【 暑くなってきたね (^◇^;) 】
【 体に気をつけて 】
璃海から真白に送ったメッセージだ。
――既読が、ついていない。
更に遡ると、真白からの最後のメッセージは火曜日の朝。
【 元気にしてる!】
【 心配いらないよ ^_−☆】
すぐ下には、真白の好きなうさぎのスタンプがぽん、と押されている――。
『お姉さんにも連絡がないんですね……』
奏衣の声はかすかに震えている。
璃海は言葉を飲み込み、視線だけをわずかに揺らした。
「……じゃあ、3日も連絡が取れないってことですよね?」
息苦しさを感じながら、なんとか吐き出した言葉は、奏衣を責めているように聞こえたらしい。
『ごめんなさい。さっきバイト先にも行ってみたんですけど来ていなくて』
声が小さくすぼんだ。
「堀田さんのせいじゃないですよ。むしろ知らせてくれて感謝してます」
『バイト先で会えるかもしれないから。それまで待ってみようと思ったんです。でも……無断欠勤だって言われて』
「まさか……部屋で倒れてたりなんて……」
ひとりごとのようにこぼれた声が、2人の間の空気をさらに重くした。
『わたしもすごく心配です。何か、お手伝いできることがあれば言ってください』
「ありがとう。ずっと1人で不安でしたよね」
『わたし、真白のことが心配で仕方なくて。でもどうしていいかわからなくて……何回部屋に行っても出ないし』
泣いているのか、小さく鼻をすする音が聞こえる。璃海は動揺を隠しながら、なるべく声を抑えて言った。
「できたら、でいいんですけど。管理会社と警察に連絡して、安否確認をお願いしてもらえますか? もちろん立ち会わなくていいですから」
『いえ、立ち会います! すぐに連絡しますね』
「助かります、管理会社の連絡先は…」
『大丈夫です。 何かあったらと思って調べておいたので』
「よろしくお願いします。わたしもすぐにそちらに向かうので、また連絡しますね」
電話を切ると、指先が震えていた。
璃海は両手をぎゅっと握りしめ、もう一度エンジンをかける。
薄暗くなってきた車内で、ラジオからアナウンサーの無機質な声が流れた。
『……東京都M市の山間部で、首と手足のない男性の遺体が発見されました。詳しいことはまだ分かっておりません』
(M市って、日南田市の隣だわ)
日南田市は真白の住む街だ。
璃海の背筋に、じわりと冷たいものが流れた。根拠のない不安が膨らんでいく――。
「何もなければいいけど……」
頭を軽く振ると、璃海はハンドルをもう一度強く握りしめ、駅へと急いだ。




