2章140話 アトレーユの戦い
「へへ……捕まえた……俺の手柄だぜ……」
己の勝利を確信して、手を伸ばし迫る敵──だが相手が間合いに入ったその瞬間──
──ビュッ!──
鋭い一閃が、真っ赤な鮮血を薄闇に散らした。アトレーユが、背に隠していた曲刀で斬り上げたのだ。
「ぎゃぁぁっ!」
突如降りかかった激痛に、敵は叫び声をあげて崩れ落ちる。地面を転がりながら、ざっくりと斬られた手首からどくどくと血が溢れ出し、痛みにビクビクと身体を震わせている。
だがアトレーユは眉一つ動かすこと無くその様を一瞥すると、敵を飛び越えて袋小路から脱した。
「うぐ……くそっ……!待てっ……!」
背後からのうめき声に振り返りはしない。通路を出れば、もっと凄惨な光景がそこに広がっているのだ。
逃げまどう観客達。未だ爆発は続き、イサエルの軍勢が無秩序に人を斬っている。足元に転がる死体は兵士だけでなく、戦う術の無い女性のものもあり、戦場と言うにはあまりに酷い無法地帯となり下がっていた。
(……これがイサエルの求めたものか……こんなのが……!)
イサエルが自分達の一族の信念に基づいて戦っていることは知っている。苦渋の歴史を耐え抜いてきたことも。だけど、それでも──
「た、助けてぇ……」
「っ──!!」
向かう先から聞こえてきた小さな声。女性がイサエルの軍勢らしき男に、髪を掴まれ引きずられている。
アトレーユはその姿を認めると、一気に駆け出した。相手はまだこちらに気が付いてはいない。アトレーユを探しているのか、ヴェールを被った女性の顔を確認して違うとわかると、男は持っていた曲刀を振りかぶる。
「させるかっ!!」
──ビュッ!ギィンッ!──
女性へ向けて刃が振り下ろされるよりも先に、アトレーユの放った一閃が敵のそれを弾き飛ばす。驚きに振り向いた敵は、アトレーユの姿を見て更に目を大きく見開いた。
「なっ!貴様は……!」
「無防備な相手に剣を振るうなど……恥を知れ!」
「はっ!うるせぇ!こっちはお前を探してたんだ!」
アトレーユの登場に驚いた敵は、曲刀を構え直し、向かってきた。だがアトレーユにとってその単純な攻撃を躱すのは造作もない事。
──キィンッ!──
「はっ!!」
──ザシュッ──
「ぐっ……!」
敵との間合いを正確に把握し初手を弾くと、続く反撃で的確に相手を捉えた一閃を放つ。敵は痛みに堪えきれずに、その場に崩れ落ちた。
「あ……ありがとうございます……」
「いや……ここは危ないから早く逃げるんだ!」
「は、はいっ!」
襲われていた女性は、アトレーユに頭を下げると、急いでその場から離れていった。煌びやかな衣装から察するに、自分と同じアスランの妃なのかもしれない。そのせいでイサエルの軍勢に襲われていたのだろう。
アトレーユは小さくため息を吐くと、再び戦場となった闘技場へと視線を巡らせた。
未だ爆発は続いており、治まる気配はない。それどころか益々酷くなっているように感じる。
「……完全に破壊するつもりなのか……」
そうなれば地下に作られた闘技場はひとたまりもないだろう。急いで脱出しなければと思うも、残してきた人達のことが気がかりで躊躇ってしまう。
だがそうこうしている内に、別の敵に気付かれてしまった。
「いたぞ!あそこだ!」
「っ──!」
(やはり見逃してはくれないか……!)
アトレーユは再び駆け出した。ラスティグや仲間達のことが気がかりだが、今、自分が彼らの元に向かえば、敵も大勢引き連れていくことになってしまうだろう。王太子であるノワールや姉のラティーファの安全を思えば、それは得策ではない。
(どこへ向かえば──)
抜き身の刀を手に、必死で思考を巡らせ駆け抜ける。この場で戦っても、数で押されれば捕まるのは必至。だからと言ってただ逃げるだけでは、先程の女性のように無駄な犠牲を出しかねない。敵を引きつけ、その上でどこへ逃げるかが肝心だ。
そうして敢えて自分の身を晒しながら戦場を駆け抜け、立ち塞がる敵を倒していく。
しかし煙で充満した崩壊しつつある暗い通路は、あまりにも状況が悪すぎた。
「っ──!」
瓦礫か何かに躓き、咄嗟のことでバランスが取れずに倒れ込む。
堅い地面に肩から着地すると、その拍子に持っていた武器を落としてしまった。すぐに掴んで起き上がろうとするが、不運にも追いついた敵によって阻まれてしまう。
「はっ……!やっと捕まえたぜ。ちょこまかと随分派手に逃げ回ってくれたな」
──ドンッ!!──
「くっ……!」
うつ伏せの状態から立ち上がろうとしたところを蹴られたようだ。肺が潰され痛みに顔が歪む。
「大人しくしてろっ!」
寝かされたまま背後を取られ、首筋に冷たいものが触れる。動けば容赦はしないと言うことなのだろう。
だがアトレーユにそんな脅しは通用しない。顔を横にして視線を敵へ向けると、強く睨みつけて逆に脅しをかける。
「…………私を殺していいのか?」
「っ……!」
自分は切り札となるロヴァンスの花嫁だと、イサエル自身がそう言っていた。だからこそ彼の忠実な部下達は、その意に反することを躊躇うだろう。そこに狙うべき勝機を見出した。
「イサエルの元に連れていくのだろう……?ここで殺していいのか?」
「そ……れは……!!」
イサエルという言葉に敵が見せたほんの一瞬の隙──
(それで──十分だ!)
アトレーユは突きつけられた刃と反対の方向に身体を転がし仰向けになると、足をグッと身体に引き寄せ反動をつける。そしてそれを思い切り突き上げた。
──ガッ!!──
「グッ……!!」
腹部への強烈な一撃に、敵はくぐもったような唸り声を上げて後ろへと倒れ込む。
反撃の一蹴は見事に的中し、アトレーユは再び窮地を脱した。そしてそのまま武器を手に立ち上がり、追手から逃れようとしたのだが……
──ギィンッ!!──
「なっ……!」
闇の中から突如として向かってきた一閃が、それを阻んだ。武器を構える余地さえ与えられず、弾かれた曲刀がアトレーユの手から離れていく。
敵か──と思った次の瞬間──
──ドシュッ!!──
「っ!!!」
今度は背後で誰かが崩れ落ちる音がした。真横には前方から突き出された長剣の刃。アトレーユの背後に迫っていた敵を屠る為に突き出されたものだ。
飛び散る血飛沫が頬を濡らす。けれどその感触に恐怖を感じるよりも先に、目の前に現れた人物の方に、アトレーユは気を取られていた。
「何故……貴方が……」
驚きに唖然と立ち尽くすアトレーユを嘲るように、冷ややかな嘲笑が浮かぶ。銀の仮面で覆われた、北方の血を思わせるその白い顔に──
「探しましたよ、ロヴァンスの花嫁──」
そこにいたのは、銀の仮面の男──シュウランだった。




