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「無料で?」
情報おくれの要求に、ひんやりとした声色で森は答えた。
「無料でってことは、手に入れること自体はできるのね」
「……」
突っ込まれて、一瞬言葉が出遅れたのを、コーヒーを飲む時間で稼いだ。
「……そんなものは、端野さんの警察官時代のお友達にでも頼めば快くやってくれるんじゃないですか? それとも、お友達いないんですか?」
ひんやりと笑いながら言葉を返す。
「いるいるぅ。友達百人いるぅ」
端野はアロハシャツのポケットから湿気た煙草の箱を取り出した。ライターを弄りながら、視線は灰皿を探している。
もちろん、夜には酒を出す店であるので、曇りなく磨かれたクリスタルガラスの灰皿が宝石のように鎮座している。美術品と見まごう形状のため、端野は灰皿であることに気づいていないが。
コーヒーの香りを楽しむ横で煙草など吸われてはと、森は眉をしかめて手で制した。
「けどさ」
対する端野はへらへらして手とうを切り、煙草をポケットに戻した。
「東京じゃなくて、山梨とかそっちで活動している反社会的な人たちの団体さんをリストアップしてほしいのさ。友達百人はみんな東京の人なんでね。警察組織ってのは管轄が違うと別の会社みたいなもんだから」
「山梨とか、どっち?」
「直接的に言えば、富士山麓の自衛隊駐屯地近く」
「……」
ここにきて初めて森の目が細められた。髪をかき上げて皮肉を言う妹の姿がちらと朝日の中でよぎった。
そして、自分に一枚かませるために端野がわざと自衛隊の名前を出したのも分かった。
「……」
「あー、分かってる分かってる。マル暴じゃないって言いたいんでしょ」
そんなことはひとかけらも考えていないが、まるで思考を先回りしたかのような得意さで端野は鼻をひくつかせていいる。
大きく膨らんだその鼻の穴の中に純銀製のスプーンを入れてかき回したい衝動に駆られながら、森はコーヒーカップを置いた。