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「はあ? 俺がそんなこと、言うわけないだろう」


 四々本は未だに、自分の失言に気付いていないようだ。まだ惚けたふりして罪から逃れようとしている。

 俺はそんな四々本に、突き付けるようにして尋ねた。


「でも貴方、先程トリックの実演をした時、言いましたよね。『ホースとバケツはくっついたままだし、最も残ったままだ。こんなものはなかったはずだろう』って。どうしてそんなに詳しく現場の状況を知ってるんですか?」


「あっ……」


 そこでようやく自分の犯した過ちを理解したようだった。四々本ははっとした顔のまま、動きを止めてしまった。

 俺は磯子に向き直り、確認をとった。


「磯子さん、警察の方はみなさんに現場の状況を詳細に伝えたりは?」


「いえ、していませんね。そんなことまでは」


 即座に答える磯子。彼はもう完全に四々本が犯人だと納得し、その呆然としている姿を注視している。


「そういうことですよ。現場には一歩も足を踏み入れていない貴方が、どうしてそんなことを知っているんですか?」


 しかし四々本は、嘲るようにして唇の端を歪めた。


「そりゃあ、そんな風にトリックの証拠が残ってたら、不自然すぎてみんなすぐ気付くだろうと思ったから、推測でそう言ったまでで……。第一、そんなの状況証拠にすぎないじゃないか。そこまで俺が犯人だって言うなら、ぐうの音も出ないような物的証拠を見せてみろっての!」


「なんや兄ちゃん、往生際悪いなあ」


 どすの効いた低音の声。静かだが、威圧感のある声だった。それが、トイレの入り口から聞こえてきた。

 それまでの流れが一度止まり、全員がその音源の方を見やる。

 声の主を見るなり、磯子はこれまでの感情を爆発させてしまいそうなところを必死で堪えながら、そこへ駆け寄った。


「藪下警部! 今まで一体どこ行ってたんですか!」


 そこにいたのは、あとは頼んだ、と磯子に放り投げて無責任に現場から離れていった、藪下警部だった。


「すまんのう、この兄ちゃんの家を調べに行っとったんや。そしたら郵便受けに挟まっとったで、こんな礼状がのう」


 どうやら彼は、俺たちとは全く別の方面から、この事件を捜査していたらしい。懐から封筒を取り出し、中の紙を広げて見せた。『お買い上げありがとうございます』と、最初に大きく印字されている。送り主を見てみると、『米田刃物店』とあった。


「ここに書かれとる刃物店に問い合わせたらな、すぐにわかったで。あんたがここでつい最近、被害者の胸に刺さっとったものと同じ包丁を買うたことがな。それからホームセンターあちこち虱潰しに調べ歩いて、水溶性のテープと繊維を購入したことも、もう足ついてんねんで」


 俺は察した。

 藪下は現場から出て行ったあの時点で、犯人が四々本順だとわかっていたのだと。そして、彼が犯人だという証拠を探し歩いていたのだ。

 それを見た四々本は、痙攣したかのように首を激しく振り、俺たちから一歩離れた。


「違う、人違いだ! それは俺じゃない!」


「ええ加減にせえや、こらあ!」


 遂に見かねた藪下の怒号がトイレ内に響き渡った。その迫力に、四々本のみならず、俺たち全員が身を竦めた。


「もっとよう調べりゃあ、あんたがやったっちゅう証拠が仰山出てきよるわ! そんなちゃちい小細工かまして、儂ら警察の目え誤魔化せる思うとったら大間違いやぞ!」


 すっかり萎縮してしまった四々本は、ようやっと観念したのか、がっくりと肩を落として項垂れた。


「そんな……どうして、順が篤を殺さなきゃならないんだ? お前ら、いつも仲良かったじゃないかよ」


 寒河江がそんな四々本に問いかける。

 四々本は、肩を震わせた。最初俺は泣いているのかと思ったが、どうも様子がおかしい。彼の口から漏れているのは、喘ぎ声というよりも、もっと軽やかなものだった。

 それもそのはずで、彼はこれっぽっちも泣いてなどおらず、むしろクスクスと笑っていたのである。

 そしてその嘲笑は、寒河江のもとに向けられた。


「仲が良かっただって? ふざけるなよ。冗談じゃない」


 四々本は急に笑い止み、今度はきっと寒河江を睨めつけた。そこに自らが手にかけた宗田篤の姿を重ねているかのように。


「あいつは、いつもいつも、俺の邪魔ばかりしてきやがった。

 高校の時からそうさ。好きだった子はあいつに取られて、陸上じゃああいつがいつも表彰台で俺よりも高いところにいて、おまけにあいつは性格もよくていつもみんなの注目の的。俺はその陰に隠れた、印象の薄い陰気なキャラだった。それが嫌だったんだよ。いつもあいつと比べられて、俺は俺なりに苦しかった。

 あいつと違う大学に入ったら、少しは変わると思ってた。でもまさか、大学でまた再開することになるなんて、夢にも思わなかったよ。あいつ、直前になってわざわざ俺と一緒の大学に変えてたんだ。それから、また高校と同じような毎日さ。もう耐えられなかったんだよ。あいつが俺の近くにいることに!」


「それで、殺した……?」


「そうさ! この手であいつの胸にナイフを突き立てた時、思わず高揚したよ! それまで溜まっていた鬱憤を晴らせた上に、これでもう邪魔者はいなくなった。俺はあいつという存在に縛られ、比べられることなく、自由に生きていけるんだ、ってね!」


 嬉々とした口調。恍惚とした表情。四々本はすっかり自分に酔いしれていた。

 あまりに身勝手な殺害動機に、俺は、いや、その場にいた全員が呆れ果てた。


「小さい奴だよ、あんた」


 理解のできない演説を終えて満足そうな四々本に、俺は精一杯の軽蔑の視線を与えた。


「一番あんたと宗田さんを比べてたのは、他ならぬあんた自身じゃないのか? どうして素直に彼を認めることができなかったんだよ。だいたい人を殺して、本当に自由に生きていけるとでも思ってたのか? 人を殺した記憶なんて一生拭えないぞ。そして今度は、その記憶と罪悪感に縛られて生きていくしかなくなるんだ。それの一体どこが自由だっていうんだ!」


 その言葉で、少しは四々本の酔いも醒めたようだった。昂ぶっていた感情を折られて、彼は再び力なく項垂れた。

 それを見計らい、磯子が彼の手首に手錠を掛ける。何の抵抗もなかった。四々本はされるがままに、二人の刑事の間に挟まれて、連行された。

 講義棟から出て、パトカーに乗せられる際、彼は俺を冷たい目で見て、小さくぼそりと呟いた。


「お前に何がわかる……」


 すっかり日が暮れて、夜の帳が下りてモノクロに染まりつつあった辺り一帯に、回転する赤色灯の鮮やかな色が映えた。サイレンを響かせながら、夜の街へと走り出したパトカー。

 野次馬の中に紛れながら、俺たちはそれが建物の陰に隠れて見えなくなるまで、ただ黙って見送り続けていた。


 *


 あれから数日後、磯子から再び連絡があった。

 四々本は観念して、素直に全てを自供していのだが、未だに反省の言葉はないとのことだった。


「――それよりも、藪下警部のことなんですけど、実を言うと、君が真相を解き明かす随分前に、もう誰が犯人かもどうやってやったのかも、わかってたらしい」


 やはり、思った通りだった。そうでなければ、あの短い時間で凶器やトリックに使った道具の入手ルートを突き止めることなどできまい。


「警部は最初に四々本に会った時の反応で気付いたそうで……。なんでも、トイレで宗田さんがナイフで刺されて倒れていた、としか言っていないのに、一切その容体を心配してこなかったからだって。それは既に彼が殺されているということを知っている、犯人以外あり得ないって」


 成程。俺たちが四々本と会う前に、そんなやり取りが行われていたのか。それなら、あの時点で藪下に事件の全容を察することができたのも、頷ける。

 負け惜しみ、というわけではないが、何となく悔しかったので、磯子に八つ当たりした。


「それを見ていれば、僕だってすぐわかったと思いますよ。それより、それを目の当たりにして気付かなかった磯子さんの方が問題だと思いますよ」


「何い? 学生の分際で調子に乗るんじゃない。俺はまだ新米だから仕方ないんだよ」


 その言い方がおかしくて、俺が笑うと磯子も笑い出した。

 暫くして笑いが収まると、磯子は真面目な口調になった。


「まあ、もうこれ以上この件について、俺から私的に連絡することはないと思うよ。捜査に協力してくれたことは、警察として感謝します。じゃあこれで」


 そう言って、彼は電話を切った。ポケットにスマートフォンをしまったところで、


「――にしても、いよいよお前、やばいことになってきたな」


 タイミングよく後ろから声をかけられて、肝を冷やして振り向くと、そこに英介が立っていた。


「これまでは出かけた先で事件だったのに、ついに大学で巻き込まれるなんてさ。そのうち、家にいても事件に巻き込まれる羽目になるかもしれないぞ?」


 彼は軽い調子で茶化してきた。しかしここまでくると、完全に冗談だと笑い飛ばすことができない。もしかしたら、本当にそんなことになるかもしれないのだ。

 それで言い返せずに黙っていると、英介が頭を小突いてきた。


「おいおい、そう深刻になるなって。まあ、あれだ。お前ならどこで事件が起きても、きっと解決できるさ」


 彼なりにフォローしようとしているのかもしれないが、とんだ見当違いのところを励ましているので、俺は思わず笑い出していた。


「おいおい、普通そこは、事件なんてそんな簡単に起きないよとか言うべきだろう。事件が起きても解決できるって、何だよそれ。はははっ」


「うっさいなあ。せっかく人が元気付けてやろうとしてんのに、どうしていつもいつもそうやって、揚げ足ばっかり――」


「まあまあ、そうカリカリしないで。学食行こうぜ、な?」


 英介を宥めながら、その背中を押して、俺たちは学食に向かった。

 こうしたいつも通りのやりとりに、事件のせいで殺伐としていた空気は和らぐのだ。俺は、この先どれだけ事件が起きたとしても、この日常にさえ戻れればいい、そんな風に思った。

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