ずっと、このまま
「私、恋をしたいの。映画とか小説みたいなさ。この人に出会うために、今まで生きてきたんだって思えるようなやつ」
永原鳰は大袈裟に胸の前で手を組み、うっとりと目を瞑った。
「それはご立派な夢だね。で、運命の王子様は見つかりそうなの?」
対面でページを繰る十二里かがみは、開かれた参考書から視線を上げることもなく応じる。
夏の間あれほど学生で賑やかだった図書館の自習スペースも、秋の深まりとともに客足が遠のき、今ではすっかり二人だけのものとなっていた。
「あ、また馬鹿にしてるでしょ」
「いつの間に読心術を習得したの?」
わかりやすく頬を膨らませる鳰に、かがみはクスッと笑って手を伸ばし、その柔らかい髪をなでた。
「恋をしてもしなくても、鳰は鳰でしょ。私の大切な友達」
「もう! かがみはいっつも私を子ども扱いする」
悪態をつきながらも、鳰は心地よさそうに目を細める。
高校一年生の秋。二人で共有するこの穏やかな時間がずっと続いていくのだと思っていた。
かがみが手早く課題を片付け、鞄から借りていた文庫本を取り出してしおりのページを開いたときだった。
対面の鳰が「うーん」と唸りながら頭を抱え、そのまま背もたれへ深く倒れ込む。助けを求めるような視線を送ってくるが、かがみは気づかないフリをして手元の活字に意識を落とした。
「かがみはさ」
「なに?」
「恋したこと、ある?」
「ないね」
「だよね。よかった、安心した」
思わず眉間にシワを寄せ、「それ、どういう意味?」と視線で咎める。けれど鳰の顔には悪意のかけらもなく、ただ心底ほっとしたような表情を浮かべていた。
「どこかに教科書があってさ。その通りにすれば、簡単安心に運命の恋に巡り会えたらいいのにね」
「鳰は教科書があったところで、どうせ途中までしか読まないでしょ」
ぐうの音も出ないと言わんばかりに、鳰は大袈裟なため息をつく。
ふと目線を落とすと、机の上に置かれた彼女の鞄の隙間から、派手な装丁の恋愛小説がチラリと顔を覗かせていた。
――なるほど、影響されたわけだ。
わかりやすい奴、と心の中で呆れながらも、かがみは口元に浮かぶ笑みを隠せなかった。
やわらかな『夕焼け小焼け』のチャイムが、静かな館内に優しく響き渡る。閉館を告げるその音は、今日の二人だけの時間に終わりを知らせる合図でもあった。
「そろそろ帰ろっか」
あれほど回り道と寄り道を繰り返したというのに、鳰は大雑把に参考書を鞄へ放り込む。どう見ても課題は半分も終わっておらず、家に帰ればまた頭を抱えることになるのだろう。
――また夜中に助けを求められるな。
そう予感してかがみが呆れ顔を向けると、鳰はニッと胸を張った。
「おあいにく様。課題はもう終わってるよ」
得意げに軽やかなステップを踏む鳰の背中を、かがみは微笑みを噛み殺しながら追いかける。
薄赤く染まった秋空の下、駐輪場に二台並んだ自転車の鍵を外し、それぞれサドルに跨がった。
「鳰、また明日ね」
「うん、また明日! ……って言っても、どうせ夕飯を食べたらまたメッセージ送ると思うけど」
「気が向いたら返す」
「気が向かなくても私の相手してよ」
「はいはい。じゃあ、本当にまた明日」
かがみは片足を地面につき、ペダルを踏み出した鳰を見送る。
カタカタと鳴るチェーンの音と、小さくなっていく背中。いつもならすぐに自転車を漕ぎ出すはずなのに、なぜだか今日は、彼女が見えなくなるまでその場を動くことができなかった。
帰宅し、自室へ駆け込むなり、鳰は机の引出しの鍵を開け、小さなノートを取り出した。
今日あったことをほんの数行だけ殴り書きし、すぐに閉じてまた引出しに仕舞って鍵を掛ける。
膝をぎゅっと抱え込み、ただじっと静寂に耐える。
やがて、スマートフォンの無機質なタイマー音が静けさを切り裂いた。
鳰はため息ひとつつかずにそれを止めると、ゆっくりと手を解いて立ち上がる。
鏡に向かって口角を上げ、いつもの「永原鳰」を作り上げると、扉を開けて階段を降りていった。
図書館で借りてきた文庫本を読み終え、かがみはベッドの上に倒れ込んだ。
天井を仰ぎながら、ひとつ溜め息をつく。
――やっぱり、滋賀と言えば琵琶湖なのか。
総合学習の課題である「ふるさとのにぎわい創出」。グループごとに地域の魅力を再発見して発表するというテーマなのだが、早くも壁にぶち当たっていた。
滋賀県=琵琶湖など、いまさら言われるまでもない周知の事実だ。けれど、湖に面していない内陸部で育ったかがみにとって、琵琶湖は普段意識しない「遠くにある大きな湖」程度の認識でしかなく、いまひとつ実感も思い入れも湧いてこない。
手元のスマートフォンを手に取ると、通知欄には鳰からのメッセージがすでに何件か並んでいた。
どうせ「課題が終わってない」「ここ教えて」という泣き言だろう。あれほど得意げだったくせにと、かがみは呆れ混じりの笑みをこぼす。彼女の考えることなど、手に取るようにわかった。
『滋賀県に、琵琶湖以外でアピールできるものって何かある?』
鳰からのヘルプをまるごと既読無視して、かがみは自分の聞きたいことだけを投げかける。すると、送信の文字が消えるか消えないかのものの数秒で通知が届いた。
『無いよ』
一言だけの潔すぎる回答に、かがみは天を仰いだ。
――彼女に郷土の知識を求めたのが間違いだった。




