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灰森の巣竜  作者: AI太郎
世界侵食
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希望は枷となる

 城は、まだ崩れていなかった。


 少なくとも、文官エルネスト・ロウの目にはそう見えていた。


 壁には亀裂が走り、天井からは石粉が降り続け、遠くでは何か巨大なものが地面を砕くたびに床全体が震えている。だが、それでも彼が立っている廊下はまだ形を保っており、だからこそ彼は、自分がまだ生きていることを理解してしまっていた。


「……勇者様」


 震える声が漏れる。


 視線の先。


 崩れた壁の向こうで、勇者が戦っている。


 竜の爪を受け、地面の崩落を斬り、落ちてくる城壁の破片を弾き飛ばしながら、なお皇帝を守り、城に残された者たちを守ろうとしている。


 だが、そのたびに傷が増えていた。


 肩が裂ける。


 腕から血が落ちる。


 受けきれなかった衝撃で膝が沈む。


 それでも勇者は立ち続ける。


 エルネストは気づいてしまった。


 自分たちがいるからだ。


 自分たちが助けを求めているから、あの人は無理に守っている。


 そして、彼の周囲には骨の化け物が立っていた。


 帝国騎士の鎧を着た、見覚えのある輪郭。


 死してなお帝国の紋章を掲げるそれらは、守るためではなく、盾にするために配置されている。


「もし……」


 喉が鳴る。


「もし、私が真に帝国を思う勇気があるならば」


 答えは、分かっている。


 自ら命を絶てばいい。


 それだけで、勇者の守るべきものが一つ減る。


 それだけで、あの一瞬の迷いを減らせる。


 だが。


「……死にたくない」


 言葉は、あまりにも小さかった。


 だが、それが本音だった。


 帝国のため。


 陛下のため。


 勇者のため。


 いくらでも自ら命を絶つ理由はある。


 それでも、死にたくなかった。


「勇者様ならば……」


 その思考に縋る。


「なんとか、なんとかしてくれるのではないか?」


 言った瞬間、自分がどれほど卑怯なことを願っているのか理解した。


 だが、願いは止まらない。


 恐怖は理屈より強い。


 生への執着は忠義より重い。


 エルネストは膝をつき、震える指で床を掴んだ。


「……助けてくれ」


 そして、絞り出す。


「助けてくれ、勇者様」


 その声は、戦場へ届いた。


 届いてしまった。


 竜は、それを聞いた。


 意味は分からずとも、構造は理解できる。


 あの声が、勇者を縛る。


 人は力になり得る。


 国家となり、継承となり、魂に厚みを与える。


 だが同時に、枷にもなる。


 守るべきものが増えるほど、勇者は弱くなる。


 助けを求める声がある限り、あれは逃げられない。


 竜は踏み込む。


 狙いは元皇帝。


 勇者が割り込む。


 その瞬間、地蟲界主が城郭の床を歪ませ、離れた区画へ崩落を走らせる。


 勇者は竜の爪を受けたまま身体を捻り、飛来する瓦礫と落下する天井を斬り払うことで人間のいる区画への直撃を防ぐ。

 だがその代償に、竜の尾撃が脇腹を抉り、勇者の身体が地面へ叩きつけられる。


「……まだ、だ」


 勇者は立つ。


 眼の光は消えていない。


 だからこそ、竜は慎重になる。


 焦ってはならない。


 あれは傷ついている。


 消耗している。


 だが、まだ折れていない。


 折れていない強者を不用意に噛めば、牙ごと砕かれる。


 ならば、確実に奪う。


 竜は地脈へ深く接続した。


 菌糸網が震え、最深層の残存魔力が竜の前脚へ集まり始める。


 樹海継承。


 その収束形。


 地皇砕撃。


 全ての力を一撃へ束ねる終撃。


 地面が沈む。


 空気が重くなる。


 竜の前脚に紫晶の亀裂が走り、その奥から灰森そのものの魔力が噴き上がる。


 勇者が気づく。


 バハムートも、気づく。


 城にはまだ人がいる。


 バハムートは動けない。


 勇者が、守らなければならない。


 竜は静かに構えた。


 この一撃で、全てを奪う。


 勇者の魂も。


 皇帝の継承も。


 帝国の残滓も。


 まだ光を宿すその眼から、救えるという幻想ごと砕き取るために。

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