勇者
異変は、気配よりも先に“確信”として訪れた。
アルグレートはすでに走っていた。
帝都の石畳を蹴り、風を切り裂きながら、何かが起きる“前”に動いていた。
理由は単純だ。
嫌な予感。
「何かが来る」
しかし、その予感は確定している。
その瞬間、世界が歪んだ。
だが、彼は止まらない。
むしろ加速する。
空間が切り替わる寸前、彼はすでに探知を展開していた。
魔力が広がる。
都市全域を覆うほどの精度。
そして――
「……いない。いや、これは」
“分断された”。
同時に理解する。
帝都にいたすべての存在が、どこかへ散らばった。
そして自分もまた、その一人であると。
「ダンジョン……のしわざか」
短く吐く。
即座に判断する。
「なら、優先することは一つ。」
足が止まることはない。
むしろ、次の行動が決まる。
できうる限りの救助。
そして――皇帝と合流。
できれば――討伐。
「皇帝バハムート八世と合流する」
独り言のように呟き、方向を定めた瞬間だった。
大地が、鳴動した。
低く、重い。
骨の奥まで響く振動。
ただの揺れではない。
“意思を持った地形”が動いている。
アルグレートは立ち止まり視線を落とす。
地面が、波打っている。
これは――
「何かが動いている?」
理解した直後、地面が裂けた。
爆ぜるように開いた亀裂から、巨大な影が浮上する。
土を押し上げ、岩を砕き、空間そのものを歪めながら現れたそれは――
巨大。
だが、その言葉では足りない。
ダンジョンに存在する“層”そのものが持ち上がったかのような質量。
節。
殻。
圧縮された筋肉のような構造。
そして、無数の脚が地面に食い込んでいる。
それは生物でありながら、同時に地形だった。
地蟲界主。
視界に収まりきらない巨体が、ゆっくりと蠢く。
その動き一つで、地面が再構築される。
通路が変わる。
距離が歪む。
位置関係が狂う。
アルグレートは目を細める。
「なるほど」
この時点で、判断する。
これは王級頂点種ではない。
“それ以上の何か”。
その瞬間だった。
天井が、軋む。
壁が、震える。
そして――
無数の根が伸びる。
床。
壁。
天井。
すべてを貫き、覆い尽くすように広がる。
逃げ場を塞ぐのではない。
空間そのものを“固定”している。
一見ただの根であるが。
触れた瞬間、違和感が走る。
「……魔力を、吸われる?」
魔力が、削られている。
ほんのわずか。
だが確実に。
戦闘が長引けば致命的になる量。
アルグレートは一歩踏み込む。
剣を抜く。
その動きは迷いがない。
しかし――
止まる。
ほんの一瞬だけ。
「……もう一体いるな」
視線が揺れる。
探知には映らない。
だが、確実に存在する。
この空間全体に満ちる、別の“圧”。
それは目の前の”巨大な何か”とは別。
そして、根を通して作用している。
つまり。
「二体いるのか」
答えは出た。
地形操作。
空間封鎖及び魔力吸収による制限時間。
この三つが同時に成立している。
遅延だ。
アルグレートは剣を収める。
その判断は一瞬だった。
「……悪いが、付き合ってる暇はない」
踏み込む。
だがその瞬間、地面が“歪む”。
進んだはずの距離が物理的に引き延ばされる。
位置が実質的に戻される。
そして同時に根が締め付ける。
「なるほどな...足止め特化か」
地蟲界主が動く。
巨体が波打つと同時に地面が隆起し、進行方向を潰す。
その衝撃で空間が波打ち、足場が崩れる。
しかしアルグレートは空中で体勢を整え、そのまま踏み抜くように着地する。
その瞬間、根が絡む。
最短距離を潰し、遠回りを強制する。
「少々、手荒く突破させてもらう。」
短く呟く。
勝てないわけではない。
それも事実。
この場で戦えば、必ず討伐できる。
地形ごと斬り裂き、根を焼き払い、強引に戦闘することも可能だ。
だが。
その場合――
「間に合わない」
他の戦場。
分断された帝都。
救うべき人間。
そして皇帝。
すでに戦いは始まっている。
ここで時間を使えば、すべてが遅れる。
アルグレートは息を吐く。
決断は終わっている。
「無視するしかないか」
踏み込む。
“読まれない軌道”。
しかしそれでも地形が動く。
根が追う。
完全に追従されている。
だが速度は落とさない。
むしろ上がる。
地形操作と空間拘束。
それを“前提”として動く。
その動きに対し、地蟲界主が反応する。
巨大な体躯が持ち上がり、進路を潰す。
同時に根が密度を上げる。
封鎖が完成する。
だが――
アルグレートは止まらない。
「邪魔だ」
踏み込みと同時に剣が振り抜かれ、空間ごと切り裂くような一閃が地形と根を同時に断ち割る。
その衝撃で道が一瞬だけ開き、彼の身体はその隙間を抜けて前方へと滑り込む。
「これでも無理か...」
振り返らない。
追撃も来る。
再構築も始まる。
だが、それでいい。
これは――
「時間を稼ぐ戦いなんだろ?」
その言葉に応えるように、大地が再び鳴動する。
根がさらに広がる。
封鎖は終わらない。
追撃は続く。
だがアルグレートもまた、止まらない。
この戦場は、決着の場ではない。
ただ一つの目的のために存在する。
勇者を、縛るために。




