異常
最初に気づいたのは、兵士ではなかった。
塔の上で帝都の外を描いていた、ただ一人の老人だった。
彼は何気なく、外を見ていた。
そして、違和感に気づく。
「……なんだ、あれは?」
空が歪んでいる。
それは比喩ではない。
本当に、歪んでいた。
遠景の地平線が、わずかに折れている。
空と地面の境界が、重なり、ずれ、揺れている。
まるで水面に波が立っているかのような、そんな歪み。
「おい……見ろ」
声が上がる。
次第に、それは広がっていく。
誰もが気づく。
だが、誰も理解できない。
その瞬間だった。
音が消える。
風が止まり、鳥の声が消え、すべてが一瞬だけ“無音”になる。
そして――
世界が、地面が割れた。
揺れはない。
衝撃もない。
だが確実に“何かが変わった”。
「……?」
誰も倒れない。
誰も吹き飛ばされない。
だが、何かがおかしい。
違和感だけが残る。
そして、次の瞬間。
「外が……」
誰かが呟く。
城壁の外。
そこに広がっていたはずの帝国の大地が――
存在していなかった。
代わりにあったのは、黒。
岩壁。
天井。
「……洞窟?」
別の区画では、光が揺れていた。
巨大な水面。
どこまでも広がる蒼。
地底湖。
そしてさらに別の場所では、 空が見えない。
しかし、天井も見えない。
切り立った岩壁が遥か上方へと伸び、その奥は闇に溶けている。
巨大な地下谷。
「な、なんだこれは……」
混乱が広がる。
当然だ。
帝都の外に広がっていた世界が、完全に消え、見慣れぬ洞窟に飛ばされたのだから。
建物も、人も、そのままだ。
だからこそ、余計に理解できない。
外の景色だけが、変わっている。
いや――
外“だけ”ではない。
帝都そのものが、どこかへ移動している。
だが、それを理解できる者は――
一人しかいなかった。
帝城。
最上階。
窓際に立つ男が、静かに外を見ていた。
北方帝国皇帝。
バハムート八世。
その目には、混乱はない。
むしろ、確信に近い何かがあった。
「……なるほど」
低く、呟く。
その声にはわずかな感嘆すら混じっている。
「予想よりも遙かに早い。」
それは予測ではない。
理解だ。
この現象の正体を、すでに見抜いている。
彼はゆっくりと手を上げる。
空気に触れる。
その瞬間、わずかに指先が震える。
魔力。
それもただの魔力ではない。
濃度が違う。
質が違う。
そして――
「見覚えがある。これは灰森の」
外から内へ。
空間を通して、魔力が“侵入”している。
これは転移ではない。
単なる位置交換でもない。
もっと根本的な何か。
彼は目を細める。
そして、確信する。
「あの、竜人の空間を支配する力・・・。その延長か。」
その言葉は、静かに落ちた。
だが、その意味は極めて重い。
帝都が移動しただけではない。
帝都が――
“取り込まれた”。
その証拠に、魔力の流れが逆転している。
本来、国家とは閉じた構造であり魔力を散らすように作られている。
外から内へ、これほど明確に魔力が流入しとどまることなどない。
だが今は違う。
帝都そのものが、外部構造の一部として再定義されている。
「……分割され、利用されたのか」
わずかに視線を動かす。
空間の歪み。
魔力の流れ。
そのすべてが示している。
「してやられたな。」
帝都が崩れた。恐らく超遠隔から”帝都ごとダンジョンに取り込まれる”という埒外の術によって。
そして恐らくそれぞれが別の環境に接続されている。
洞窟。
地底湖。
地下谷。
そして――
帝城の最上階から見える、常識外の魔力を発しながら猛る竜が1匹。
そのすべてが意味するものは一つ。
「戦場の分割」
逃げ場を消すための配置。
戦力を分断し、各個撃破するための構造。
あまりにも。
そして、それを実行できる存在は限られる。
「灰森の....竜!」
名を口にする。
その瞬間、空気がわずかに震えた。
応答はない。
だが、それに答えるように濃密な魔力が爆発するように流れを作る。
「つくづく...人類の天敵だな」
その言葉は、戦意だった。
恐怖ではない。
理解した上での、受容。
そして――
対抗。
背後で扉が開く。
「陛下!」
兵士が駆け込んでくる。
顔は蒼白。
「外が……! 外の景色が! これは一体――」
「来るぞ!全員、伏せい!!」
爆発的な魔力の不規則な流れが、竜の元に指向性を持ちながら集まり。帝城を破壊しようと発される。
普段の姿からは想像できないほどの一喝。
「崩天鯨轟」
皇帝は振り返らない。
その目には、一切の迷いがない。
あの悪夢の。天を穿つほどの棘が剣圧により全てはじき返される。
「これは侵攻だ」
断言だった。
兵士が息を呑む。
「では……」
「帝都は既にダンジョンに呑み込まれた!」
その言葉で、すべてが確定する。
帝都は囲まれたのではない。
“内側に呑み込まれた”。
それがどれほど致命的か、理解できる者は少ない。
だが――
この男は違う。
「総員、そして勇者殿に通達しろ」
静かに命じる。
「こちらから向かうまでもなく戦争が始まったと。」
その声は低く、だが確実に響く。
わずかに間を置く。
その目が、外を見据える。
「相手は魔物。ダンジョンだ。」
空間の向こう。
歪んだ世界の先。
そこに存在するものを、理解した上で。
「総員聞けい!生きて。ここを脱出するぞ!」




