揺れる地下
熊の咆哮が背後で震えたとき、アレンは振り返りかけた。
だがセインの手が強く腕を引く。
「走って」
その声は震えていない。
アレンは歯を食いしばり、木立の間を駆け抜ける。
枝が頬を裂き、息が荒くなる。
師匠の気配は遠ざかるが、消えてはいない。
やがて咆哮が途切れ、森は重たい静けさを取り戻した。
二人は倒木の影で立ち止まる。
アレンは息を整えながら周囲を見渡す。
「戻るべきだ。師匠を――」
「戻らない」
セインが即座に言う。
「あの人は逃げるために戦った。私たちが戻れば無駄になる」
アレンは拳を握る。
理屈は分かる。
だが胸の奥が熱い。
悔しさか、恐怖か、自分でも分からない。
そのとき、足元がわずかに沈んだ。
二人は顔を上げる。
地面が不自然に柔らかい。
鹿の踏み跡とは違う、削られた痕跡がある。
セインが目を閉じる。
「……下がざわついてる。流れが、ここに集まってる」
「地下って言ってたな」
アレンは膝をつき、土を掘る。
浅い空洞が連なっている。
「何かが掘ってる」
森の奥ではなく、足元だ。
振動は微かだが規則的で、遠くで削るような響きがある。
アレンは立ち上がる。
「確かめる。これが王を動かした原因かもしれない」
「危険よ」
「もう知ってる」
言い切ると、アレンは掘られた跡を辿る。
やがて、広げられた入口に辿り着く。
自然の洞穴ではない。削られ、整えられ、わずかに湿っている。
二人は目を合わせる。
セインが小さな光を灯す。
淡い光が通路を照らす。
広い。
思ったより広い。
熊が入れそうなほどに。
「罠かもしれない」
セインが言う。
「それでも行く」
アレンは剣を抜き、足を踏み入れた。
地下は静かだった。
だが完全な静寂ではない。
どこかで湿った壁が軋み、微かな振動が伝わる。
通路は広く、だが奥へ進むほど足場が不安定になる。
アレンは慎重に進むが、焦りが歩幅を乱す。
突然、足元が滑った。
薄い膜のようなものが靴裏に絡む。
アレンは体勢を崩しかけるが、剣を地面に突き立てて持ち直す。
「滑る……?」
「スライム?」
セインが小さく呟く。
その瞬間、壁から甲殻虫が崩れ落ちるように降ってきた。
顔に、腕にまとわりつく。
アレンは振り払うが、視界が一瞬奪われる。
奥から低い唸りが響いた。
暗がりから姿を現したのは、トカゲのような魔物。
だがただの魔物ではない。
体躯は太く、鱗は鈍く輝いている。
目が光を捉え、動きを読むように細められる。
「……でかい」
アレンは踏み込み、正面から斬りかかる。
刃は鱗の隙間を狙う。
浅く血が滲む。確かに通る。
完全に通らないわけではない。
魔物が反撃する。
爪が振るわれ、アレンは受け止める。
衝撃は強いが、熊ほどではない。
いける。
勝てる。
セインが小さな火を飛ばす。
火は鱗に弾かれるが、目の前で爆ぜる光が一瞬だけ視界を奪う。
アレンはその隙に肩へ斬り込む。今度は深い。
魔物が身を捻る。
通路の一部が崩れ、土が落ちる。
足場が揺れる。
甲殻虫が再び降る。
スライムに足元を奪われる。
アレンは一歩踏み込むが、わずかに遅れる。
熊との緊張が、判断を鈍らせている。
呼吸が浅い。
脇腹が痛む。
逃走の消耗が残っている。
魔物はそれを見ている。
低く喉が鳴る。
次の踏み込みは、迷いがない。
セインが叫ぶ。
「アレン!」
通路の奥で、さらに崩れる音がした。
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