創立祭明け4日目:旧校舎でのカミングアウト
昼休みの鐘がなると同時に、シェリアーナはナバールと共に旧校舎へと移動した。彼が一直線に向かったのは、Aクラスが備品入れに使っていたあの教室である。
「メッセージで備品倉庫って言ってたけど、彼、この教室ってわかるのかな。」
「大丈夫だよー。Aクラスの僕が呼び出したんだから、Aクラスで使ってたここの教室だって当たりをつけてくると思うよ。」
「そう?」
なかなか強引な考え方だと思うが、下手に動かずここで大人しく待つ方がいいだろう。ナバールと二人、教室の端に置いてある簡易椅子へと腰を下ろし、ドゥランが訪れるのを待つ。
シェリアーナがナバールと二人きりになるという状況は、実はかなり珍しい。彼の周りには、いつも誰かがいる。以前、登校時に自分を運んだのが彼かどうかを確認するために二人きりになったことがあったが、あれも滅多にない機会だった。
シェリーが何か話を振ろうとすると、ナバールの方が先に口を開いた。
「シェリーちゃんはさ、ドゥランに相談するって言ってたけど、」
「ん?」
「もう犯人わかってるんじゃないの?」
ナバールの確信めいた物言いに、シェリアーナは思わずハッとした顔で彼の方へと顔を向ける。
ナバールは椅子に浅く座り、腕を組んで、シェリアーナの方を見ないで入口の方を見ている。
「ちなみに、僕はそれが誰だか知ってるよ。」
「は!?」
「だって、あのとき、僕、シェリーちゃんが運ばれていくの見てたし。」
「うそ、え、みんな記憶無いっていってたじゃん。」
「みんな、ね。僕は一言もそんなこと言ってないよ。この前の朝、シェリーちゃんから聞かれたことは『打ち上げのとき、私のこと保健室まで運んでくれた?』だよ。だから君を運んでない僕は、『僕は運んでない』と答えた。ただそれだけ。」
シェリアーナは創立祭の翌日、男子生徒に保健室まで運んでくれたのは誰だったかを確認して回ったときに、確かにナバールはみんなに合わせ相槌を打っていただけだったことを思い出す。
そしてその翌日、彼を呼び出して、『誰が自分を運んだのか』、ではなく、『ナバールは自分を保健室まで運んだか』という聞き方をした気がする。
(そうだった、ナバールはこういう奴だった…)
「でもさ、ただ、君を保健室まで運んでくれただけだよ?なんでそんな必死になって、その人のことを見つけたいと思ったの?」
「それは…」
キスされたから。
でも、そんなこと言えない。
ティラントやカティナカップルには気軽に伝えることができたが、ナバールは、違う。
シェリアーナには自分の中で線引きがあって、男女の話をしてもよいと思える枠の中に、彼は入っていなかった。
ナバールは言葉を途切れさせたシェリアーナの方へ上半身を向け、そっと彼女の肩に腕を回す。
そして、自分の方へとその身体を引き寄せた。
「もしかしてさ、」
彼の親指が、シェリアーナの唇をゆっくりと撫でる。
「ここに、いたずらでもされた?」
「なっ、」
ひゅっと言葉に詰まる。彼とじゃれつくことはあっても、こうやって優しく触れてくることなんてただの一度も無かった。
これがいつものAクラスなら、「もう、ふざけないでよ」と即座に振り払っていたに違いない。
しかし、いつもは飄々として喜怒哀楽のわかりやすい彼が、いまは感情の読めない表情で、真紅の宝石のような瞳を真っ直ぐこちらに向けてくるので、調子が狂って反応が遅れてしまった。
「図星?」
彼の指摘に、シェリアーナの顔に熱が集まる。これでは肯定したも同然だ。
シェリアーナは、その射抜くような視線から目を逸らし、彼の手を払おうとするが、逆に手首を掴まれてしまった。
「ちょっと、手、」
それに、近い。
「答えてよ。じゃないと」
ナバールがさらに自分の方へと距離を詰めたそのとき、
「お待たせしました。」
タイミングよく、入口からドゥランが現れた。
ナバールが彼に意識を取られたその隙に、掴まれていた手首を振りほどく。
「…全く悪趣味な奴だ。さっさと入って来ればいいのに。」
「いま着いたところですよ。」
ドゥランは教室の奥へと歩を進め、シェリアーナたちの前まで来て「それで、」と口を開く。
「私を呼び出したのは、ナバールさんではなくシェリアーナさんということでしょうか。」
「はい、すいません、ちゃんと伝えてなくて…用事があるのは私です。ナバールには、私の付き添いで来てもらいました。」
「ボディーガードだと思ってくれていいよ。」
「どの口が言ってるの。」
さっきまで不穏な態度を見せていた奴のセリフではない。
「わかりました。では早速ご用件をお願いします。この後も生徒会の仕事に行かなければ行けないので。」
「お忙しいんですね。」
「シェリーちゃんの敬語ってめちゃくちゃ新鮮だ。なんだか、いいねぇ。」
「先生にも使ってるよ。お願い静かにしてて。」
「はーい。」
余計なことを言うナバールだが、彼の軽口のおかげでシェリアーナは今朝よりも緊張せずに済んでいる。
さっきは変な雰囲気になってしまったが、彼に付いて来て貰って正解だったと思う。
「では、改めて。確認したいことは創立祭の日ことに関してです。今朝のことは、ちょっと置いといて…先にそっちを確認させてください。」
シェリアーナはそこまで言うと、少し間を開けてから、今まで聞くに聞けなかったことを口にした。
「創立祭の、Aクラスの打ち上げのとき、私を保健室まで運んでくれたのは、あなたですか?」
言った。
やっと言えた。
シェリアーナは胸につかえてた異物を吐き出せたような気分になる。それと同時に彼女の心臓は緊張でバクバクと大きな音を立てていた。
対して、ドゥランは表情を変えることなく、沈黙したままである。
さて、彼はどういう返しをしてくるのか。
しらばっくれるのか、はたまた素直に肯定するのか。
「はい」
ドゥランが沈黙を破る。
「倒れたあなたを保健室まで運んだのは、私です。」
彼の答えは、肯定。
(ああ、やっぱり、ドゥランだったんだ…)
「…その節は、ありがとうございました。」
「いえ、生徒の安全を守るのが、私たち生徒会の仕事ですから。当然のことをしたまでです。」
お礼を伝えて場の空気が和らいだところで、シェリアーナは改めて本題を切り出した。
「もう一つ、確認したいことがあります。」
心臓が再び音を立てる。
それも、先ほどよりも、もっと激しく。
「私は、運ばれているとき、そして保健室のベッドで横になったとき…少しだけど、意識がありました。そのとき、あなたが私にしてきた行為の…意図を確認したいんです。なぜ、私にあのようなことをしたのでしょうか?」
ナバールがいる手前、シェリアーナは「キス」という直接的な言葉を使うのを避けた。
シェリアーナの問いに、ドゥランはあごに手を当て、思案するような仕草を見せる。どうやら、彼女が何を尋ねているのかは理解してくれたらしい。
再度、教室の中に沈黙が流れる。
彼からどういった返答が来るのか、シェリアーナには全く予想が付かなかった。
「…強いていうなら」
やっと頭の中で考えがまとまったらしい、ドゥランが口を開いた。
「仕返し、でしょうか。」
「し、仕返し?」
なんだそれ。
シェリアーナは自分が知らない内に、ドゥランに仕返しされるようなことでもしでかしたとでもいうのだろうか。
思いあたる節がないシェリアーナは訝しげな表情をドゥランに向ける。
「はい。あなたが、猫の私にしたことへの、仕返しですが。」
・・・
猫の、私?
真面目な顔して、この人は何を言ってるんだろうか。
…シェリアーナには、すぐに理解することができなかった。




