魔術師の憂い(ハウィル視点)
「できれば、実物で再確認したいところですが」
ハウィルは魔術的に再現された画像を見ながら、改めてそう言った。
画像に映っているのは、一部の魔石が破損した魔石細工だ。細工のパターンからすると護符として造られているようだが、既知の文様を組み合わせ、新しい魔術回路が作られている。
協力を仰いだ魔術師からは、ぜひ手にとって詳細を研究したいとの要望も出ていた。
もちろん実物が出てくる事など期待してはいないが、やはり実物を確かめたい気持ちはある。
そして
「ファラルの処分が終わるまで、お預けだ」
生国の衣服だというカフスと襟が胴着と一体化した飾り気の無いシャツにベストとスラックス、という気楽な格好の魔導卿は、服装同様に気楽な口ぶりで、ハウィルが予想していたよりもずっと良い答えを返してきた。
「処分が終われば、よろしいのですか」
「あれの術式が判らなければ、他の捜査も進まないのではないかね」
判りにくい事この上ないが、口元に浮かぶ薄い笑みを見る限り、ずいぶん面白がっているらしい。
「ああ勿論、私は魔石細工絡みの捜査は権限を持たないから、しかるべき部署と協力したまえ。支援は惜しまない」
この国に、魔導卿の『支援』を無視できる者はいないだろう。
それは魔導卿を異端と呼び、必ずしも好意的では無い伝統的魔術師であっても、同じ事だった。
「ありがとうございます」
「君はそれをどう考える?」
肘掛椅子に肘をついたまま、魔導卿が問うた。
「卿がお使いのものより、性能は低そうですね」
魔導卿のシャツの襟元を飾るのは、魔石細工のあしらわれた飾り紐だ。試みに作ってみたと無造作に言っていたそれは、魔石の内部に複雑な立体魔力回路を刻み込み、周囲の銀細工が増幅回路を構成する、繊細かつ強力な防具だった。
「立体回路化ができなければ、そうなるだろうな」
「類似回路のように見受けられますが」
「一部は画像もはっきりしないので、推定だよ」
ファラルの持っていた魔石細工の一部を模倣し、さらに高度化したものである事を隠そうともせず、魔導卿は飾り紐を外してハウィルに放ってよこした。
「おっと……おや、この石は」
透明度の高い青い石はほんのりと温かく、ハウィルがこれまでに触れた事の無い材質だった。
「合成物だよ。回路を先に作って、それを固めたものだ」
「これは、卿の祖国の?」
少なくともハウィルが知る限り、このような物はこの国には無いはずだった。
「祖国では一般に普及してる材料と工法だな。設計は私がやったが、まあ、試験だからたいした精度は出してない」
「これは、ずいぶん細かい細工ものと思いますが」
「熟練者ときちんとした道具が揃うならば、もっと細かいものが作れる。耐久性も無いから、一回起動すれば壊れるだろう」
紐とその先端の金具はまったくごく普通のものだ。細工も親指と人差し指で作った輪の中に収まる小さなものだが、わずかに魔力を流すと桁違いに増幅されるのが感じ取れた。
「熱設計が甘かったから、あまり力を入れると燃えるぞ」
「燃える?」
「回路を固定している材質が、熱に弱い。証拠隠滅の役には立つがね」
「魔石では、ないのですか」
強力な魔術師であれば、魔石に細工する事は可能なはずだ。現に魔導卿の使っているカフスボタンという飾りは濃い青の魔石と銀の細工物で、魔石そのものは魔導卿その人が加工したと聞いていた。
「試作品については、面倒だったので可塑性素材を使ったんだよ。一回使って特性が見られればそれで良い」
「しかし、使うような場面で燃えては困るのでは」
「試作品に命を預ける気はないのでね」
鷹揚な口ぶりは、こんなものが無くても身が守れるという、絶大な自信に裏付けされたものだった。
「試作段階で気が付いた事はこちらにまとめてある」
魔導卿がひらりと手を振ると、文書の幻影がふわりと宙に浮かびあがった。
実体はないが、手で触れると文書をめくって読む事ができる、優れたものだ。紙の文書が欲しければ複製も作れるというから相当な技術だが、これも魔導卿に言わせれば、故国の技術を応用したものに過ぎないらしい。
内容をざっくりと確認し、ハウィルはひとつ溜息をついた。
「……我々の出る幕がなさそうですが」
「私の調査が正しいかどうか、そこを検証する仕事が増えただけだぞ?」
魔導卿の人の悪い物言いは、『塔』の魔導師のそれと良く似ていた。
「私は君達の理論にあまり詳しくないから、ファラルの思考をなぞりきれていないだろう。それに試作品には違法魔術を入れずに作成しているから、完全な模倣でもない」
「……この資料を一部頂けますか」
「誰に渡すのかね?」
「『塔』の研究員に」
「君の従兄の友人だったか」
「はい」
ついでに『試作品』も借りたいところだが、これまでの経験上、魔導卿がこちらに提供しない類の技術である事は判っていた。
調査資料にも、増幅回路についての記述はない。
魔導卿にとって、この世界はあくまでも『敵』なのだと思い知らされるのは、こういう時だった。
むやみに相対するつもりはないようだが、高度な知識や技術はけして分け与えようとはしない。世の中が思っているほど冷酷ではないが、近寄ろうとすれば見えない壁で阻まれる、近寄りがたい人物だ。
身勝手な理由で未発達な世界に引きずり込まれ、身体を損なわれ、屈辱と苦痛の中を這い上がった人なのだ、と改めて思い出し、ハウィルは胸の内で溜息をついた。
「それなら丁度良い。漏れや誤りがあったら折り返し報告して欲しい、と伝えてくれ」
「古典理論派ですが、よろしいのですか」
「新しいものに貪欲な人物のようだからな、言葉遊びではない意見が出せるのなら歓迎だ」
「伝えておきます」
幻影の文書を消し、飾り紐を魔導卿に手渡しながら、ハウィルはいささか憂鬱だった。
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「……本当に出る幕が無いんだよ」
盛大に溜息をついたディルク研究員に、従兄のラディクが渋い顔をした。
「何か返事出さないと拙いんだろ、ハウィル?」
「出した方が心証は良いと思うよ」
「無茶言うな、とも言えないんだろうな」
ディルクが卓上に置いた魔導卿の覚書は、ずいぶんと読みこまれて紙の隅が傷んでいた。
「もちろん、いくつかの異論はあるけど、ねえ……」
「それをお伝えするしかないですよ」
「それで怒りの矛先が向くと、塔が文字通り消えそうなんだけど」
内戦期から大戦期にかけての魔導卿の活躍は、粉飾されないそっけない記録だけ見ても桁が違う。辺境の敵要塞を一撃で文字通り粉砕したのなぞ、小手調べに過ぎないくらいだ。
それほどの強大な魔術師を怒らせる度胸は、誰にも無いだろう。
「その点は大丈夫でしょう。意外に話せる方ですよ」
「だいたい、なんで『塔』に返事を求められるかな」
「卿は異端と認識されているとお伝えしたら、古典派に興味を持ったご様子で」
「ちょっとまて、何を恐ろしい事教えてんだよ!?」
ラディクとディルクが声を揃えて悲鳴を上げた。
「面白がっておられましたよ?」
「それは結果論だろう」
と、ラディク。
「良いじゃないか、『塔』はまだ存在するんだから」
「気楽に言うけどね、僕らにとっては笑い話じゃないんだよ」
そう、ディルクも苦い顔だった。
「それを言うなら、この国がまだ存在してる時点で心配は要らないんですよ。あの方はむやみに破壊して回る事を良しとされません」
怒りに触れた対象を破壊するというなら、真っ先に滅ぼされているべきはこの国そのものだろう。
魔導卿を含む異世界人は、先王ラハド五世の愚行で召喚術の被害にあっているのだし。
「……まだ、お怒りなのか」
魔術貴族としてはやはり気になるところなのか、ラディクの顔色はあまり良くなかった。
「そこまでは判らないけど、僕たちをむやみに近づけないようにはなさってるよ。魔術貴族と仲良くする気もなさそうだ」
「だいぶん侮辱してきたからな……」
先代を含めて、魔術貴族の魔導卿に対する態度は酷いものだった。
対等の存在としてすら認めず、そればかりか家畜扱いした者すらいる。
『塔』をはじめとするこの世界の魔術師は、異世界人の技術を見下し、自分達の知識を分け与える事を拒み、そして敗北を喫していた。
「あそこまで異世界人を馬鹿にし続けて、今更相手にして貰えると思う方が間違いでしょう」
「それを考えたら、魔術官僚の君が側近になってる時点で、驚きだよな」
「国務卿からの推薦が無ければ、どうだったでしょうね」
一般官僚のウルクスに比べると、魔術官僚としてのハウィルの出番は少ない。
調査のほとんどが書類を相手の仕事で、魔術の出てくる余地があまり無いのが実情だ。ウルクスの調べ上げた物資や金の流れといった情報はかなりのもので、調査に影響を与えているのはあちらのほうだろう。
その事を魔導卿が気にする様子はないが、もともと期待されていなかったという事実を突きつけられるようで、ハウィルとしてはやるせない気分にならざるを得なかった。
「……魔術で出来る事は、限られているよな」
ぽつりと溢したラディクの言葉は、重かった。
認識のギャップがある模様。
魔導卿こと寺井の服装ですが、「飾り紐」はいわゆるポーラー・タイ(ループタイ)のことです。





