私と諸悪の根源。2
「キャロル。どうしても欲しいものがあるんだ。可愛い妹は、兄の為に頑張ってくれるかな?」
一緒に暮らしてみて、どうしようもない程に欲深で自分の気持ちに正直な人なのだと気づいた異母兄が、キャロラインにそう囁いたのは、彼女が13歳となる誕生日の日。
お前が生まれてきたことを誰よりも私が祝福する。誕生日おめでとう、私のキャロル。
お前は華やかを好かないからね。本当ならば、国中の貴族達を集めて夜会を開くべきだし、商人達を集めてプレゼントを山のように用意するべきだが、お前の事を考えて我慢したよ。
食べきれないような大きさのケーキに豪華な食事の数々。
それらが並ぶテーブルの、普段は異母兄の為にしか使われない場所に座らされたキャロラインの耳元で、異母兄は微笑んで、そう言った。
我慢。
異母兄がその言葉を知っていたのか、と戦慄を覚えたのは間違いではなかった。
自分に我慢させたのだから、可愛い妹であるキャロラインも異母兄の為にプレゼントを用意してくれるだろうね。と自分の誕生日の日付を囁いた。
それは半年程先の日付。
ダラダラと汗を流しながら、ケーキに手を伸ばそうとして侍女に優しく止められている弟に目を向け、異母兄とは目を合わせないようにしながら、キャロラインは「何をすればいいのか」と尋ねてみた。
そして返ってきたのが、欲しい物は三つだ、と異母兄は上機嫌な様をどうどうと見せ付ける、歌うような言葉をキャロラインの耳に差し込んだ。
「三つ?」
「そう。愛しい妻に、有能なる部下、そして国だ。」
「…そんなの、私にどうしろっていうの?」
「大丈夫。何も危険なことをしろとは言っていない。そんなに怖がらなくてもいいじゃないか、私が可愛い妹に酷いことをすると思うか?」
「………無い、って言わないとまた酷いことをするんでしょう?」
拗ねて口先を尖らせたキャロラインを、異母兄は可愛いと笑い、キャロラインの額に口付けを落とした。
「お前はただ、私が指示する通りに、ある場所に娘として入り込んでくれればいい。その後は、流れるままだ。細やかな事は私の部下達が舞台を整えてくれるし、手助けもしてくれる。お前はただ、何時ものように『魅了』してくれればいい。」
向かう先は、ローラン王国の子爵家。
彼は、他家との繋がりを強化する為に近々、外に生ませた娘を引き取るそうだ。
我慢が出来なくなり、むずがり始めた異父弟キースの為にも、キャロラインの誕生日の祝いである食事は話の途中ではあったが始まった。
余ることが前提の大量のご馳走を前にして、キャロラインが"お願い"をしたことによって、普段世話になっている護衛騎士達や侍女達も食べることになった。主と席を共にするなんて、と躊躇った彼らだったが、それが命令ならば従わない訳にはいかない。ましてや、『魅了』されていることで愛してやまない存在となったキャロラインのお願いならば、命令でも、と躊躇ったことも忘れて、大量の料理達はどんどんと片付いていった。
「それで、兄様。国はホーラン王国で、有能な部下は王国に仕えている人なのだとは想像出来るけど。愛しい妻って誰のこと?」
かわいそうに。
そう思っての質問だったが、聞いた瞬間の恍惚としてみせた異母兄の笑顔は、聞くんじゃなかったと思わせるに充分な、今も時折、悪夢としてキャロラインを襲い来るものだった。
「お前が呼んでくれたと聞いてね、駆けつけてきたよ。」
あの時と同じ様な恐ろしさを覚える笑顔を浮かべ、上機嫌に異母兄カルロはキャロラインの顔を覗き込む。
「別に呼んでない。」
ベットの上に腰掛けて並ぶ、キャロラインとカルロ。
年頃の異性が、夜も深けた時間帯にベットの上。見る人が見れば、勘違いしても可笑しく無い光景だったが、二人の間にそんな愚かな空気が流れることは絶対にない。
兄は妹を、妹として可愛いと慈しみ。
妹は兄を、兄として尊敬し憧れている。
何より、別に部屋に二人きりという訳ではない。
もう一人、二人の邪魔をしないようにと気配を消して、扉近くに立ったままでいる存在があった。
「可笑しいな?私は呼ばれていると言われたのだが、なぁアーサー。」
「兄と弟に会いたい、というのが最期の願いだと、俺は聞きましたから。」
それをそのまま伝えただけだと、アーサーはあっさりと言う。
「違うわよ!勘違いしないでよ。会いたいじゃなくて、顔くらい見たいって事。」
処刑台へ連れていかれる最中に垣間見えればいいかな、というささやかな願いがどうしてこうなった、とキャロラインは異母兄の部下であり、まだ義父の家に居る頃から傍に居たアーサーに苦情を言う。
「兄様も、ようやく手に入れたんだから、リリアーナ…リリス様と仲良くしてればいいでしょう?こんな所に私に会いに来たなんて知れて、どうなったって知らないから!」
「それは、それで、可愛らしいだろうな。本当に彼女は、私の愛しい人だよ。『戦神』の国の皇妃として、あれ以上に相応しく、好ましいものもいまい。」
己が愛し、恩寵を与えた帝国の皇帝に、『戦神』が申し渡したことが一つあった。
それは、皇帝の子を産み恩寵を次代へと繋ぐ妃は"毒"であれ、というものだった。
嫉妬、色欲、傲慢、憤怒…争いを巻き起こす"毒"を誰よりもその身に宿し、周囲に撒き散らすものこそ、争いを司る『戦神』の恩寵を受け一族の妻としても、母としても相応しい、と。
「此処に来よう部屋を出る時、あれは嫉妬を露にしていた。王国を終われた時には、輝くほどの憤怒を滾らせていた。自分の『運命』の意味を読み間違える傲慢さといい、なんともいえない愛らしさだ。」
そうそう、とカルロは妹へと向けていた顔を、アーサーへ向けた。
「友と呼び、我が騎士と呼んだ、あの二人の人間の血を浴びて微笑んでみせた姿は美しかった。お前も思っただろう?」
「俺にそういう趣味はないので。」
主からの同意を求める言葉を、アーサーはあっさりと動揺することもなく切り捨てた。
自身がその力を見い出し、私兵として招き入れた者達に対しては、カルロも寛容さを見せていた。普通ならば無礼なっと処罰するような物言いや行為も許すのだと分かっているからこその、アーサーの反応だった。
「悪趣味。」
キャロラインも切り捨てる。
それが本心から言っているのだから、性質が悪い。
皇妃に相応しいから、とか、『偉大なる王の妻となり、母となる』という『運命』を持っているとか、そんな事を抜きにしても、カルロはリリスを愛らしいと思い、自分の妻にと望んだ。
ロリコン。
年の離れた妹キャロラインの一つ上の、当時はまだ14歳だった隣国の公爵令嬢が欲しいのだと聞かされた時は、思わず義父の家での農民としての生活の中で得た、好ましくはない言葉を漏らしていた。
有能な異母兄はその言葉をしっかりと意味も含めて知っていたようで、キャロラインは頭を叩かれた上に説教、そしてカルロがどれだけその公爵令嬢を愛しているかを語られる羽目になった。
「酷いことを言う。少し、兄に冷た過ぎるのではないか、妹よ。私は、お前が頑張っていてくれている間、お前の望みの通りにキースを温かく見守り、教育も最高のものを与えてやっていたのだよ?」
キースに酷い事したら、死んでも兄様の事を恨み続けてやる!
キャロラインという存在がいなくなれば、何の関わりも、庇護する理由もなくなる弟のことを、効果を望めないとは思っていても、しっかりと釘を差してキャロラインは子爵家へ向かった。
自分に正直な『強欲』カルロは、自分の本性を知っている気心知れた者に嘘をつくことはない。
「キースは元気にしてる?」
「教師達が手放しに褒める程には優秀で物分りが良い。近々、何か仕事でも与えようかと思っている。」
私の下に居るのだ、元気なのは当たり前だろう、と可笑しな自信を持ちながら、カルロは血の繋がらない弟の近況を説明した。
「仕事?私みたいなのだったら、駄目だからね。」
「優秀な副官もつけるから、危険なことはないだろう。」
最近手に入れた、災いを見抜く確かな『目』を持っている優秀な部下を貸し与える。
キャロラインは、カルロのその言葉にホッと胸を撫で下ろす。
これでもう大丈夫。
心残りもなく安心して、ラシドの下にいける。
キャロラインの顔に、満面の笑みが輝いた。
「さて、そろそろ行こうか。」
キャロラインの隣に座っていたカルロが腰を上げる。
名残惜しい、そんな思いがキャロラインの頭に過ぎったが、何時までもこんな場所に皇帝、キャロラインの敵である筈のカルロが居ていい訳もない。
明日は処刑台まで頭を袋に覆われて行くという話だ、ならば異母兄と顔を合わせることが出来るのはこれが最期。せめて、笑顔を覚えていてもらおう、とキャロラインは顔を持ち上げた。
「えっ?」
「何をしている、さぁ。」
顔を持ち上げたキャロラインが目にしたのは、立ち上がりキャロラインに手を差し出しているカルロの姿だった。
この手は何だろう、と目を丸めていると、早く手を取れとカルロの言葉が戸惑うキャロラインの耳に入った。
「え?なんで?」
「なんで、とは何だ?流石に、リリスの目が届く場所には暫く入れてやることは出来ないが、お前がゆっくりと休むことの出来るよう取り計らってある。」
お互いがお互いとも、相手が何を言っているのか理解しようとしなかった。
「……私は、明日処刑されるんでしょう?皇妃リリスの故郷を惑わした『魅了の魔女』として。」
「どうして、私が可愛い妹を殺さなくてはならない。なんだ、迎えに来なかったことを拗ねているのか?それは、お前がなかなか"助けて"とこの兄を呼ばないからであって…」
忘れていた。
異母兄はこういう人だった。
キャロラインは口元を引き攣らせた。
キャロラインがお願いするか、助けを求めるかしないと、この兄は昔からキャロラインが窮地に陥っていても、簡単には手を貸してはくれなかった。後々に知ったことだが、義父が借金をつくり生活に苦しんでいた時も、助けを求めてくれるまで、と静観していたのだという。キャロラインが娼館に飛び込まなかったら、あの生活はまだまだ続いていたのかも知れない。
「まったく頑固な子だ、お前は。さぁ、行くぞ。」
「……私は行かないわ。兄様、今までお世話になりました。キャロラインは潔く、犯した罪を背負って冥府に参ります。そして、冥府でラシド様に謝ってきます。」
もう一度差し伸ばされた手を握り返すこともせず、キャロラインは笑顔を作って、軽く頭を下げてみせた。
「キャロライン?」
異母兄は、キャロル、と異母兄だけの愛称でキャロラインを呼ぶ。
そうではなく、普通にキャロラインの名前を呼んだことからも、カルロがキャロラインの言葉に驚いていることが分かった。
軽く頭を下げたまま、キャロラインはほくそ笑んだ。
「お前が、何の罪を背負うというのだ?」
「『魅了』を使って、ローラン王国の王宮に仕える人達に貴族達、全員を操ったわ。王国に混乱をもたらした。罪のない、あったとしても罰金や軽い処罰で済むような貴族達を、重罪に陥れて国から追い出した。リリス様の御家も、そうやって罪を着せた。第一王子を殺したっていう罪を。」
公爵家は第一王子を殺してはいなかった。
昼、キャロラインに食事を運んで来た元・公爵が、冤罪と言っていたのは本当のことだった。もちろん、無罪というには色々と画策し、手を伸ばしていた。横領もしていたのだから、何らかの罪には問えただろう。カルロの手駒によって逃げ延びる手筈になっていたとはいえ、死罪に処されるような罪は一切犯していなかった。
キャロラインの『魅了』を受けた者達による、作り上げられた証拠と証言がラシド達へと報告され、公爵家、そしてそれに連なる人々が罪に問われたのだった。
キャロラインも、第一王子を殺した犯人を知らない。アーサーや影に潜んでいた兄の部下に聞いてみたものの、皆が知らないと口にする。彼らに調べてもらっても、犯人はついに分からないままだった。
分からないからこそ、その罪を公爵に擦り付けた。
『魅了』を持ってすれば、それは容易いことだった。
多くの人々が、処刑日が決定してからキャロラインの下を訪ねてきた。
その多くは、キャロラインの『魅了』を受けたままだった。
彼らは、"キャロラインを敵視する立場にあれ"というキャロラインのお願いを今も聞き続けていた。
「私の命令だろ?」
「でも、やったのは私。ラシド様を騙していたのは、私だもの。ちゃんと、謝らないと。」
それに、とキャロラインは笑った。
「ラシド様にあって、告白がしたいの。」
「告白?」
愛しています。
キャロラインは、ラシドにそう言いたかった。
ラシドは夫だった。正式な形での婚姻ではまだ無かったが、彼の求婚を受け入れ、れっきとした夫婦になっていた。
でも、彼女はまだ、その言葉を彼に伝えていない。
兄よりも、弟よりも長く一緒に居る内に芽生えた、キャロラインの心の底からの想い。
キャロラインは許されないことをした。
ラシドから兄を奪い、国を奪い、民を奪い、命まで奪った。
だから、処刑を受けて追いかけたとしても、許してもらえないのは分かっている。
罵られ、殴られ、すでに死んでいる身になっていても殺されても仕方ない。
それでも、キャロラインが抱いている想いを、ラシドに伝えたい。
「冥府でなら、きっとラシド様に掛かった私の『魅了』も解けていてくれると思うの。だから、私の想いを伝えて、ラシド様の本心を聞きたい。」
命は地上での生を終えた後、冥府に赴き全てを洗い流し、次の生への準備を整える。
だから、冥府でなら、キャロラインが解き方を知らない『魅了』の効果も洗い流され、本来のラシドの心を知ることが出来るだろうと、キャロラインが考えていた。
ラシドはキャロラインを愛してくれた。
でも、それは『魅了』の効果だと、キャロラインは最初から知っている。
でなければ、田舎から出てきた野暮ったい、見た目にもあまり際立ったところのない侍女であるキャロラインを愛してくれるとは思えない。
婚約者として近くに居たのが、手入れの行き届いた、整った顔立ちの美女リリアーナであったのだから、尚の事。
知っているからこそ、キャロラインはラシドの愛に答えることが出来なかった。それは兄の指示には無いことだったし、何よりキャロラインが戸惑ってしまったのだ。
『魅了』を解けたのなら、ラシドはキャロラインに何を言うかは分からない。
多分、想いを伝えたとしても、答えてはもらえないだろう。
それでもいい。
卑怯かも知れないが、全てをさらけ出したとしても、その後にあるのは『冥府の神』の裁きだけ。
すっきりとした気持ちで、来世に向かってやる。
それがキャロラインの覚悟だった。
キャロラインは、自身が今の今まで考え続けていた思いを全て、吐き出してみせた。
カルロは呆気とした顔をしながら、胸の奥深くから溜息を吐き出した。
「仕方ない子だ。」
溜息と共に吐き出された異母兄の言葉に、納得の気配を感じることが出来た。
自分の思いを認めてくれるのか、とキャロラインは喜んだ。
「今までありがとう、兄様。リリス様とお幸せに。キースの事、お願いね。」
これで最期。
キャロラインは別れの言葉を口にする。
「さようなら、兄様。色々と大変なことも多かったけど、兄様の事はずっと、大好きだったよ。」
「あぁ、さようならだ。可愛いキャロル。この『強欲』が手放すことを許すなんて、ただ一度だけの事だろう。」
処刑の日。
その日を祝福するように、『昼の神』が太陽が昇らせるまで、あと少し。
今更ですが、この世界では神は実在し、人々のすぐ近くに存在しています。なので、冥府の存在を疑うこともありません。