あの子の運命
生まれたばかりの頃、キースはキガスト村の農夫ガルトの息子という存在だった。
帝国の繁栄の恩恵からは程遠い、王都の良識的な貴族に買われた奴隷の方がいっそ恵まれた生活を送っているのではと思えるような暮らししか知らない小さな村の、その中でも力のない農夫が、キースの父親だった。母親は、そう派手な顔立ちではないものの人の目を惹きつけて止まない女だった、らしい。
でも、父親のことも、母親のことも、キースには知らぬことだ。
母親はキースを生んだ後にベットから起き上がることなく死に、父親の姿は母親の死のすぐ後に見えなくなったのだから、キースの人生に二人は生みの親という肩書きでしか存在しない。
キースが分かっているのは、ただ一つ。今のキースを作り出してくれたのが、父親の違う姉キャロラインであるということだけだ。
キースが物心ついた頃には、もう小さな村で生活などしてはいなかった。『戦神』の名付け子である若き皇帝によって更なる繁栄を歩もうとしている帝国の中心、皇帝を始めとする皇族が住まう王宮の中で優しい侍女達や騎士達に何かと世話を焼かれながら、国の要職に就く官吏や貴族達に勉強や護身の術を教わり、王宮への自由な出入りが許される程の好々爺然をした老貴族達にかまわれ、甘やかされて、キースは育った。
本来、キースにはそうされる資格はない。
皇族の血など一滴も流れていない。父親はただの農夫。母親はただの踊り子。皇族の住まいである王宮に、髪の毛一本も入る余地などない、そんな存在だったキースが王宮で育ったのは、ひとえに彼の異父姉が当時はまだ皇太子だった兄が一番目にかけて可愛がっている異母妹だったからでしかない。
姉が、弟は私が護る、ずっとに一緒居るの、と言ったから。それを貫こうと、兄が配していた部下達の目や腕を掻い潜り、自らを娼館に売ろうとさえしたと聞かされた時には耳を疑うほど驚いた。
何の関係はないのだと自らを知ることもない幼子の頃から続く甘やかな生活に、普通の子供ならば驕り、どうしようもない存在へと育つことだろう。
命令することを当然として、周囲が望みのままに全てを整えてくれるのを当たり前と思う、貴族の子供の殆どが持っているような高慢さを、キースは持つことがなく育った。
その理由はただ一つ。
兄が怖かったからだ。
『兄』と呼ぶ事を特別に許された、血の繋がらない兄、若干22歳で先帝を退位させて帝国の頂に立ってみせた皇帝カルロ。
彼は何くれと、キースに言い続けた。
"私から妹を奪った『弟』がただの人間であるなど、許すことが出来るか否か"と。
どうだろう、とキースに聞くのだ。
唯一、キースを助けることが出来る姉の姿は傍にはない。兄が皇帝になった直後、兄の頼みを聞いて遠くへと行ってしまった。キースがまだ、3歳の頃だ。
時折、ごく短い時間会って顔を合わせることが出来るだけで、あとは手紙のやり取りだけ。頻繁に交わしたやり取りだったが世間一般の姉弟関係からすれば少なすぎる関わり合いが、キースと姉の繋がりだった。そんな僅かな繋がりでも、姉の存在を忘れないのは、兄がなにくれと姉の話をするからで、キースの周りの人々も、キースに聞かせる為というか自分が酔い痴れる為にと話をしてくれたからだった。
"兄様に苛められたら、隠さないで私にちゃんと言うんだよ?"
"キースは元気?私は元気だよ。早く、キースに会いたいな。"
姉は凄い人だと思っていた。
厳しく、恐ろしい兄を、手紙に名前を出すだけで表情をころころと変えてみせるのだ。姉はキースの10歳違い。10年後、キースもあんな風に兄の信頼を貰い、一人で他国に向かわされても心配一つされない程に強く、賢くなっていられるか、と。姉キャロラインは、キースの目標だった。
何より、キースは姉を愛していた。
もちろん、愚かな想いを抱いている訳ではない。純粋に、弟として姉を、唯一の血の繋がった家族に向ける思慕をキースはずっと抱いている。
物心もついた頃からキースの中を占めていたその想いは、キースが『祝福』として与えられて力を使いこなせるようになった事で、それまで以上に大きくなった。
キースの『祝福』は、『記憶すること』だった。
見たもの、感じたもの、聞いたもの、その全てをキースは覚えることが出来た。いや、正確に言えば自然の内に忘れるということが出来ない。
まるで、今まさに聞いているというように、文章を読み上げてみたり。
記憶しておいた映像を人に共有してみせることも出来た。
その『祝福』は、キースが自覚を持つ以前から無意識に使っていたようで、自分の頭の中を探ってみれば物心つく前の記憶などを掘り当てることが出来た。
ボロボロの家に服、涙を堪えてキースを抱き締める、今よりも幼い姉の姿。
あの映像を、キースは死ぬ時が来るまで、消去することなく大切に記憶し続けるだろう。
自分の持つ『運命』や『祝福』を厭う者が、キースの周りでは多い。
特に、兄カルロによって見い出され、彼の私兵『影』として働く人々は、カルロによって告げられた自分の『運命』を嫌って、表舞台から己を消し去って『影』となったのだと堂々と言ってのけるような人達だった。
でも、キースは自分の『祝福』を歓迎した。
滅多に会うことの出来ない姉の姿を忘れることなく覚えていることが出来るから。
そして、優秀であることしか許してはくれない兄の望みを叶える力を、キースの『祝福』は含んでいた。
書類の内容を、一言一句間違うことなく覚えていられたし、望まれれば戦場の地形を小さな凹凸一つから覚えていられた。人の顔も名前も、発言も、違えることなく兄に報告出来た。
キースは『祝福』を与えてくださった『冥府の女神』に感謝を捧げることを欠かさない。
そして今日この日、キースは何一つ忘れることなく記憶するだろう。
国を破滅へと追いやった『魅了の魔女』キャロラインが処刑される日。
彼女が幽閉されていた塔から出て来たところから、処刑台に乗せられ罪状を告げられ、首を落とされる、その瞬間まで。観客達の姿や、高台に乗ってそれを見下ろしている皇帝と、目を逸らすふりをしながらも口元に笑みを湛えて瞬きもなく見つめている皇妃の姿まで。
キースは記録し続けた。
コンコンッ
「失礼いたします、キースです。」
皇帝達が寛ぐ部屋の、正規の護衛である近衛騎士二人が護る扉を叩けば、中から許しの言葉が聞こえ、扉が開かれた。
扉を開いたのは、真っ白な仮面で顔を覆った騎士。
怪しげでしかないそれは、素性などを全て捨てた皇帝直属の兵『影』の一人だった。
部屋の中には、寄り添うようにソファーに腰掛け、軽い食事をとっている皇帝夫妻。
侍女達が取り分けて小皿に盛って二人に手渡す中には、薄く切られてソースが絡められた肉料理もあるのだから、美しく整った繊細そうな顔立ちの皇妃が実は根性が大分座っていることが知れる。
普通、汚れから引き離された令嬢達は、処刑をマジマジと見ることもしないし、その後すぐに火を余り通していない、最上の食材を使っているからこそ出来る肉料理を美味しそうに口にしはしないだろう。
「あぁ、キースか。来ていたなら、声をかければいいものを。」
何時来た、とカルロは食事の手を止めて朗らかに笑う。
自分達の向かいに座れと指示し、キースがそれを承諾するよりも早くに『影』の青年騎士が皇帝夫妻の腰掛けるソファーとテーブルを挟む位置に、部屋の脇に置かれていた椅子を運んだ。
「言われていた仕事に、勉強を終わらせて急いで来たんです。着いた時にはもう処刑が始まっていたので、声なんて掛けられませんよ。」
皇帝相手にするには気安すぎるキースの物言いに、カルロの隣に座る皇妃リリスは驚いたようだった。
キョトンと目を広げ、隣に座る夫の顔を見上げた。
この人はどなた、と聞きたそうな顔でカルロを見上げるリリスだったが、それを口に出す事はない。夫の、しかも皇帝の言葉を遮って自分の言葉を発するなど許されることではないと分かっているからだ。
その視線に気づいていながらも、口元にずっと傍に居た弟だからこそ気づく変化で嗜虐的な笑みを浮かべ、
カルロはキースとの話を続けた。
「昨日の内に来ていれば、姉と久しぶりに会うことも出来たというのに。運の無い奴だ。あれはもう、出掛けてしまったぞ?」
クスクスと笑うカルロに、キースは微妙な顔になる。
「来ることが出来ないように、課題やら僕がしなくていい仕事やらを押し付けたのは兄上じゃないですか。お願いして、皆に手伝って貰えたから良かったものの、僕みたいな子供には荷が重すぎますよ。」
「複雑な兄心だ。あれは、私の心情のことなど一切気にもせずに、お前のことを気にしたり、自分の愛しい男のことばかり。些細な嫌がらせだ。」
「兄?」
いけないことと分かっていても、水を差すように声を出してしまった。
リリスはハッと自分の口を押さえて目を伏せた。
7年前。リリスが冤罪によって故郷を追われたのは、16歳の時だった。着の身着のまま、家族と共に故郷を抜け出して帝国に来た。それまで味わったことのない苦しみを負いながらも、彼女は皇帝に会う事が出来た。それまでの間に一年という月日が流れていたとしったのは、皇帝の胸の中で「もう大丈夫だ」という優しい言葉を聞いた後。
婚約期間を含めれば、リリスは皇帝の庇護の下、帝国の王宮に六年間居た。
その間には、帝国の歴史を知り、王国には無かった礼儀作法を学び、彼女が皇妃として采配を任されることにもなる王宮に住む皇族達、爵位を得て臣下へと降りた皇帝カルロの異母兄弟、異母姉妹達の把握に努めた。元々、そういう教育をなされていたリリスに、それを成す事は何の苦難でもなかった。
今では、多情であった先帝の側妃、妾妃に至る全ての存在を、彼女達が生んだ先帝の子供等の存在を諳んじることも出来るようになった。
絵姿を含めて覚えた記憶の中に、キースと呼ばれる名前があったかしら、と思ったのだ。
「あぁ、すまない。紹介しよう、私の愛しいリリス。これは、私の弟のような者で、名をキースと言う。近々、跡目がいないと困って居る侯爵家を継がせる予定だ。」
「兄上、それは僕も初耳です。」
「弟、のような者、ですか?」
さらりと告げられた重大な言葉にキースは口を挟んだのだが、呆然とキースを凝視しているリリスと、そんな妻を頬を緩めて見ているカルロは全く聞いていない。
「昨日の夜、会いに行ってくると君に言った妹の、弟だ。父が、妹の母が好いた男の下に行く事を許し、そして生まれたのがこのキースになる。血の繋がりはないが、優秀でとても私を助けてくれる。」
「まぁ、こんなにもお若いのに?」
「確か、今年で12だったか?」
「はい。それで、侯爵家ってどういうことですか?」
年齢の話が出たので、キースはわざとらしく頬を膨らまして拗ねたふりをする。
普段はこういった子供っぽい真似はしないのだが、妻に夢中なカルロの気を引いて質問に答えてもらうにはこうするくらいしか方法はない。
「言葉のままだ。グランデ侯爵家は17年前だったが、不運な事故によって近しい親族を失ってしまっている。跡目がいなければ爵位を返納させて終わりなのだが、お前が居ることを思い出してな。打診した所、我が家が姫の帰る場所になれるのならば、と年甲斐もなくはしゃいでいた。」
「侯爵って…。こんな子供が得ていいとは思えない、高位の爵位なんですけど…」
「まぁ、あの方の息子で、あの子の弟だ。異を唱えるものは少ないだろうが、箔をつけておく必要はあるな。」
そこで一端言葉を切ったカルロは、隣に腰掛けて様子を窺っている妻を優しく見下ろした。
「リリス、少し席を外してくれないか?」
「……はい。分かりましたわ、カルロ様。」
少しだけ困惑した様子を見せたリリスだったが、夫の頼みを断る理由もない。カルロの指示を受けた侍女達を連れ、リリスは足早に部屋を後にした。
「さて、別に聞かれても問題はないだろうが、彼女が居ない方が話が早い。」
「今回の件でキャロルが成した事に対する恩賞はお前の物になる。そうするのが、あの子の願いだからな。その上で、お前には実績を伴った経歴を作ってきてもらおう。」
「実績を伴った経歴?」
何をさせられるのか、色々と無茶を強いる兄の言葉を固唾を呑んでキースは待った。
「何、ちょっとの間、西の大陸に行ってきて貰いたいだけだ。欲しい物があってな。」
「それ、覚えてる。姉さんにも同じ様なこと言ったでしょう、兄上。」
うわぁ。キースは顔にありありと嫌だ、断ると描き出した。
記憶しているのは、姉の誕生日の祝いの席。
あの後すぐに、姉は帝国から姿を消したのだ。
「まぁ、あの子には力があったからこそだ。お前が嫌なら、断ってもいいが…。」
そんなことを言うのは珍しい。
キースだけでなく、部屋に残っている数人の『影』達も仮面の下で驚いていた。
「キース。あの子は嫁に行った、と私が大臣達やあの子やお前が何かと世話になった皆に教えてやった時、どんな反応が返ってきたか知っているか?」
「えっ?そ、そりゃあ、驚いて…あとは泣き暮れた?」
カルロが口にした人々が、二人の母の魅了に囚われ続け、姉の魅了にまで囚われてしまった人々だと予想する。彼らは国の重臣として今だ現役だった。それもこれも、「私を困らせるような子は嫌いなの」という言葉による効果らしい。国に仇なすことなく、争うことがあってもそれはお互いに国を思いやってのことという、健全で有能な彼らを、皇帝ではない誰か一人に魅了され続けているという危うい存在であると分かっていても切り捨てることは出来ない、とカルロは重宝していた。
「泣いたな。鬱陶しい程に。そして、こう言った。"こうなれば、男でも…"と。」
「ヒッ。」
キャロラインとキースは母似の容姿をしている。そして、どちらかといえば、キースの方が母に瓜二つで、まだまだ成長途中の線の細さは少女のようだと言われてしまうことも多い。
「行ってくれるか、キース。」
「行く、行く行く!あっちに行っても訓練を怠らずに、立派な男になって帰ってくるよ!」
もう、ゴッツゴツの、暑ッ苦しい男になって…。
「そうか。そういってくれて、私も嬉しいよ。そんな可愛い弟に、私の友人を貸してやろう。とても優秀で、お前の助けになるだろう。」
焦るように打診を受けたキースに、騎士達から哀れみの視線が集まる。だが、そんな視線も次の瞬間には驚きと、キースに向けた以上の哀れみが込められてカルロへと集まった。
「友人?」
何、その奇特な人。
その心の声は、キースだけではなく騎士達も抱いたと思われる。
「とても欲しくて欲しくて仕方なかった『祝福』を持っている男だ。ありとあらゆる危険を見つけ、嘘偽りも見抜いてくれるだろう。彼を勧誘する時に色々と話をして、とても気があってな。友人と呼び合うようになった。それをお前の副官として貸してやろう。慣れぬ西の大陸での生活にも困ることはないだろう。」
全員が抱いた感想を察しているであろうカルロは、平然とした顔でさくさくと話を進めた。
「本人の事は後で紹介するが、それとは別に大陸には先に、もう一人優秀な部下を向かわせてある。新婚旅行がしたいとごねたので、それの妻の同行も許可してやった。まぁ、頑張るといい。」
あれ、それって…。
「馬に蹴られるか、八つ当たりされるか。どっちも嫌なんだけど。」
それでも、母や姉の虜達にいいようにされるよりは、とキースは渋々ながらも承諾した。




