新婚旅行編 第3話:トレビの泉で誓うこと(最終回)
ミラノでの強行視察を終えたあたしたちは、旅の終着地、ローマにいた。
スーツケースの中には、お土産のチョコレートよりも、現地で集めた膨大な技術資料と、二人で書き殴ったプロジェクトのメモがぎっしりと詰まっている。
「……結局、最終日まで仕事のことばかり考えちゃったわね」
夜のローマ。石畳の道を歩きながら、あたしは行人の腕にぎゅっと寄り添った。
「いいだろ、俺たちらしくて。ただの観光客には見えない、いい顔してるぜ、今の夏美」
行人はそう言って、あたしの頭を優しく撫た。
たどり着いたのは、ライトアップされたトレビの泉。
噴水の水しぶきが夜風に舞い、幻想的な光景が広がっている。周囲には世界中から集まったカップルたちが、永遠の愛を誓いながらコインを投げ入れていた。
「一枚投げるとローマに再訪できる、二枚投げると大切な人と一生一緒にいられる……んだっけ?」
あたしがガイドブックの知識を披露すると、行人はポケットから硬貨を取り出し、あたしの手に一枚握らせた。
「三枚目は『結婚できる』らしいけど、俺たちはもう済ませちまったからな。……何願う?」
あたしは硬貨を指先で弄りながら、 shadow。少しだけ考えた。
27歳のあの夜、あたしは「可愛くない自分」を呪っていた。仕事に逃げているだけなんじゃないか、誰からも愛されないんじゃないかと、真っ暗な穴の中にいる気分だった。
shadow。でも今は、隣にこの人がいる。あたしの「可愛くない強さ」を、誰よりも愛し、面白がってくれる最高の相棒が。
「……あたし、決めたわ」
「お、早いな。俺も決まった」
せーの、で二人は泉に背を向け、右肩越しにコインを放り投げた。
チャポン、という小さな水音が、噴水の轟音に吸い込まれていく。
「何願ったの?」
あたしが聞くと、行人は不敵に笑った。
「内緒。…… shadow。でも、一つだけ言えるのは、これからもお前を飽きさせないってことだけだ」
「何よそれ。……あたしはね、『おばあちゃんになっても、行人と仕事の喧嘩ができますように』って願ったの」
行人は一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐにこれ以上ないくらい幸せそうに破顔した。
「ははは! 最高の願い事だな。……よし、約束だ。定年過ぎても、どっちの企画が筋がいいか、杖つきながら議論しようぜ」
夜のローマの真ん中で、あたしたちは深く長いキスを交わした。
周囲からの「Bravo!」という歓声と拍手が、心地よく耳に届く。
明日には、日本へ帰る。
そこには、戦場のようなオフィスと、山積みのタスクと、そして二人で築く新しい家庭が待っている。
冬弥に「可愛くない」と言われたあの日は、もう遠い過去だ。
今のあたしは知っている。
自分の人生を自分の足で歩き、愛する人と共に高みを目指す。その泥臭くて、熱くて、ひたむきな姿こそが、あたしにとっての「可愛さ」なんだと。
「帰ったら、早速ミラノのプロジェクトの企画書、ブラッシュアップしなきゃね」
「ああ、部長を驚かせてやろうぜ。……愛してるよ、夏美」
「……あたしも。愛してるわよ、行人」
トレビの泉の女神が見守る中、あたしたちは未来に向かって歩き出した。
世界で一番騒がしくて、世界で一番幸せな、最強の二人のままで。
(新婚旅行編・完)
(物語 全編・完)
『お~るにゅ』を最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました!
新婚旅行編の結幕をもちまして、夏美と行人の物語は完全完結となります。
失恋のどん底でビールを煽っていた夏美が、自分だけの「強さ」と最高の戦友を見つけ、異国の空で生涯の誓いを立てるまでを一緒に見守っていただけて、作者としてこれ以上の幸せはありません。
読者の皆様の毎日にも、夏美のようなタフで輝かしいハッピーエンドが訪れますように!
これまでたくさんの温かい応援、星やレビュー、本当にありがとうございました!




