犯罪
タケシのポケットの中で、スマホが小さく震えた。
夜の天王寺公園。冷たい風が頬を撫でる。近くでは、チャリを停めたホームレスが焚き火を囲んでいた。煙の匂いが微かに鼻をつく。
タケシはスマホを取り出し、画面を見た。
英語ばかりの無名アプリ。カタカナすら出てこない。剛田のとこで“使え”と言われて入れたやつや。起動した瞬間、十五分のカウントダウンが始まる。それを過ぎれば、すべてのチャットが消える。スクショ禁止、通知も残らん。
兄貴分の栄二は「LINEなんて雑魚の連絡網や」と鼻で笑っていた。
画面に表示されたのは、たった一文。
「19:45 京橋ロータリー裏 手押し」
“手押し”は隠語。客はネット掲示板経由でつながった“ミヤ” ってやつ。名前も顔も知らん。けど、関係ない。運んで金が入れば、それでいい。報酬は一回三万。成功すれば、その夜はキャバで姉ちゃんとシャンパンが飲める。
「クソ、寒ぃ…」
缶コーヒーの熱を唇で確かめながら、中継地のコインロッカーへ向かう。ブツを受け取って、スマホで指定された座標を確認。マニュアル通りや。
途中、ゲームアプリの裏チャットで「もうすぐ着く」「目印は白キャップ」とDMが届く。
取引は数分で終わる。ベンチの下に仕込まれた封筒にブツを入れ、現金が置かれているのを確認する。姿は見せない。“見せない、喋らない、関わらない”が鉄則や。
だが、その夜の京橋には、風に混じってもう一つの気配があった。
封筒を置いて背を向けた瞬間
「警察や。動くな」
鼓膜を突き破る声と同時に、地面に押さえつけられる。冷たいアスファルトの感触が、手のひらから腕へと染み込んでいく。スマホを奪われ、ポケットをまさぐられながら、タケシは無抵抗のまま目を閉じた。
警察署。殺風景な取調室。机越しに、刑事が無表情で言う。
「尿、出してもらうで。シャブの反応、見せてもらわなな」
終わったかもしれん。でも、ここからが勝負や。剛田の周りの連中は、全員“もし捕まったら”を想定して動いてる。
タケシも教わっていた。
「知らん外人に封筒渡された」、それだけ言え。絶対に名前は出すな。出したら“終わる”のは自分だけやない。
刑事がスマホを机に置いた。
「これ、お前のか?」
「……知らんす。拾いました。さっきのベンチの下に落ちてたやつです」
画面には、何も残ってへん。アプリは時間切れで全てを消去済み。LINEも入れてない。証拠は、どこにもない。
タケシは机の下で、拳を握りしめた。剛田の名前が頭に浮かぶたび、背筋に氷が走る。
あの目。あの無言の圧。言葉にせずとも、存在そのものが“処刑命令”みたいや。
兄貴分の栄二が言っていた。
「絶対に余計なこと言うな。お前が消えるぞ」
それだけで充分だった。結局、タケシは一貫して「拾ったスマホ」「知らん外人」しか口にせんかった。
証拠も状況証拠しかない刑事は、苛立ちを隠せず、歯ぎしりする。
このままいけば、数日で出られる。大丈夫や。絶対に“あの名前”は出せへん。なぜなら、剛田理貴の背後には、“恐怖”という名の“信用”がある。
タケシは、その傘の下でしか、生きられない。
これが現実。生きるってのは、こういうことや。




