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血環 ー西成ハグレモノー  作者: 京田 学
六章 バンコク・ゼロ
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予感



――――ジムのサンドバッグに、慎吾の膝蹴りがめり込む。汗まみれの身体に、子どもたちの声援が飛ぶ。


「シン!今日の試合、観たよ!」

「また倒したな!最後の前蹴り教えてよ!」


――それが、今の慎吾の日常だった。喧嘩じゃない。暴力でもない。ただ“前に進むため”に、拳を振るう場所。


そんな日々に、異物が混じったのは、ある午後だった。


「失礼します。加賀谷選手にお会いできますか?」 


ジムの入り口に立っていたのは、あまりに場違いな男。

仕立ての良いスーツに、やけに白いシャツ。

スラムには似合わない革靴の音を響かせながら、ゆっくり近づいてきた。


「三崎と申します。白水物産という会社の者でして。日本のスポーツ支援プロジェクトで、タイの格闘技事情を視察してましてね。あなたの試合、映像で拝見しましたよ。

“KAMIKAZE”―― すごい迫力だ」


慎吾は応えず、水を飲みながらその男の目をみた。


―― 一瞬で感じ取った。


昔、裏社会に片足突っ込んでた頃、何度も見てきた。“何かを奪いに来た人間の目”。

三崎は続けた。


「本当に素晴らしいポテンシャルです。日本で、もっと大きな舞台に上がってみませんか?必要なら、うちがマネジメントも――」


「……帰ってくれませんか」


慎吾の声は低かった。静かだった。だが、ジムの空気が一気に凍った。


グアンチャイがバツが悪そうに口を挟む。


「どうしたシン? お前の同胞のジャパニーズだぞ。らしくない」


三崎の笑みが、わずかに引きつった。慎吾はそれを見逃さなかった。


(やっぱりこいつ、ただの商社マンちゃう)


三崎は名刺を置き、踵を返した。

ジムのドアが閉まる音とともに、慎吾はゆっくりと息を吐いた。

子どもたちは、慎吾の顔を見上げていた。その中の誰も、さっきの違和感に気づいていなかった。けれど慎吾だけは、背中の奥に冷たい汗を感じていた。

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