予感
――――ジムのサンドバッグに、慎吾の膝蹴りがめり込む。汗まみれの身体に、子どもたちの声援が飛ぶ。
「シン!今日の試合、観たよ!」
「また倒したな!最後の前蹴り教えてよ!」
――それが、今の慎吾の日常だった。喧嘩じゃない。暴力でもない。ただ“前に進むため”に、拳を振るう場所。
そんな日々に、異物が混じったのは、ある午後だった。
「失礼します。加賀谷選手にお会いできますか?」
ジムの入り口に立っていたのは、あまりに場違いな男。
仕立ての良いスーツに、やけに白いシャツ。
スラムには似合わない革靴の音を響かせながら、ゆっくり近づいてきた。
「三崎と申します。白水物産という会社の者でして。日本のスポーツ支援プロジェクトで、タイの格闘技事情を視察してましてね。あなたの試合、映像で拝見しましたよ。
“KAMIKAZE”―― すごい迫力だ」
慎吾は応えず、水を飲みながらその男の目をみた。
―― 一瞬で感じ取った。
昔、裏社会に片足突っ込んでた頃、何度も見てきた。“何かを奪いに来た人間の目”。
三崎は続けた。
「本当に素晴らしいポテンシャルです。日本で、もっと大きな舞台に上がってみませんか?必要なら、うちがマネジメントも――」
「……帰ってくれませんか」
慎吾の声は低かった。静かだった。だが、ジムの空気が一気に凍った。
グアンチャイがバツが悪そうに口を挟む。
「どうしたシン? お前の同胞のジャパニーズだぞ。らしくない」
三崎の笑みが、わずかに引きつった。慎吾はそれを見逃さなかった。
(やっぱりこいつ、ただの商社マンちゃう)
三崎は名刺を置き、踵を返した。
ジムのドアが閉まる音とともに、慎吾はゆっくりと息を吐いた。
子どもたちは、慎吾の顔を見上げていた。その中の誰も、さっきの違和感に気づいていなかった。けれど慎吾だけは、背中の奥に冷たい汗を感じていた。




