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最高なのはいつだって九月最後の水曜日  作者: 園村マリノ
幕間

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20/21

一九九一年の四人④

「何だあれは」


 俺たちが桜木町駅方面に歩き出して程なく、最初に〝それ〟に気付いて足を止めたのはケンさんだった。


「どうしたの」


「ほら……」ケンさんは石段の向こう、海沿いの歩道を指し示した。「あのやたらとまっ黒いヤツだよ」


 俺たちから約二〇メートル先にいる〝それ〟は、光を通さない黒そのものだった。四つ足で、這うように石畳の上を右往左往している。


 あれ……何か妙だ。頭はあるが、髪や耳、そして顔全体にあるはずのパーツが見当たらないんだが。


「やだ、何よあれ。気持ち悪い」


「うわぁ……」


「パフォーマーか? それにしては……」


 ケンさんは言葉を切ったが、何て続けたかったのかはわかる。


 異様。とにかく異様だ。


 異様なのは、それだけではない。周りの通行人たちに、黒いヤツを気にしている様子がない。いやむしろ、気付いてすらいない?


「変質者ね」ナツエさんが言い切った。「全身タイツ着て、あんな動きして。何が楽しいのか知らないけど!」


「目を合わせない方がいいよ、ナッちゃん。まあ、目玉見えないけど」


「しかし妙だな……全身タイツで顔まで覆っているなら、もっと顔の表面はデコボコしているはずだ。それに呼吸はどうしているんだ?」


「行きましょう……関わらない方が良さそうだ」


 俺は三人の背中を軽く押して、先へ進むように促した。何だか物凄く嫌な感じがしてならなかった──まるで、悪霊にでも遭遇してしまったかのような。


「そういえば俺、中華街に行くのは初めてだ」


 歩きながら、俺は話題を変えようとした。


「小学生の時、授業の一環で中華街に行くはずだったんだけど、連日の悪天候で最終的には中止になったのを覚えてる」


「あたしは三回目かな。お父さんが生きていた時に行った以来」


「私は何度目だろうな」


「ねえ、いい事思い付いたかも。中華街って占い師がいっぱいいるよね? もしかしたら、ループの事がわかる人がいるんじゃないかな」


「ええ、占いで?」


「うん。ほら、霊能力を使う占い師もいるっていうし。ナッちゃんはどう思う?」


 振り返ると、ナツエさんは俺たちに背を向けて立ち止まっていた。


「ナッちゃん? どう──」


「ねえ、あいつこっち来てるわよ!?」


「え……」


 ナツエさんの言う通り、黒いヤツはいつの間にか石段を上がって、俺たちと同じ方向に進んできていた。


「……誰も気にならないのか?」


「何か……見えていないみたいな……」


 俺たちを除く公園内の人間が、黒いヤツに全く見向きもしない事に、ケンさんたちもようやく気付いたらしい。


「わけわかんない。ほんっと気持ち悪い!」


 言い終わるや否や、ナツエさんは大股歩きで黒いヤツに近付いていった。長い髪と手に持ったハンドバッグが揺れ、靴のヒールが彼女の怒りを表すように大きな音を立てる。


「ナツエさん──」


 黒いヤツは、ナツエさんが至近距離まで来ると、四つん這いのままピタリと動きを止めた。

 

「あんた何なの?」


 ナツエさんは腰に手を当て、黒いヤツを見下ろした。


「警察呼ぶわよ? こんな所でそんな──」


 黒いヤツがナツエさんに飛び掛かった。ナツエさんの悲鳴は長くは続かなかった──黒いヤツのパーツのない顔が、ユリの花を一気に咲かせたみたいにパカッと開いたかと思うと、ナツエさんをハンドバッグごと一気に丸呑みしたからだ。


 何が起こったのか、俺たちにはすぐに理解出来なかった。


 そして黒いヤツは、俺たち三人が声も出せずに呆然としているうちに、魔法のように姿を消してしまったのだった。




 残された俺とケンさん、ナコさんは〈臨港パーク〉やその周辺を探した。そしてナツエさんの自宅──木造二階建ての単身者向けアパートだ──にまで足を運んだが、ナツエさんは見付からなかった。


「まあ、心配する事はないさ! 朝になったら元に戻っているよ」


「今までだって、朝になったら全部リセットされていたよな……」


「そ、そうだよね!」


 そう言いながらも、俺たち三人は本能的に勘付いていたんだ──ナツエさんには、もう二度と会えないのだと。


 


「ナッちゃんはさ、ループから抜け出したんだと思うの」


 ナツエさんがいなくなってから三回目のループの時だった。初めてケンさんの自宅──一人暮らしをするには広過ぎる一軒家──を訪れ、居間で淹れたての緑茶を貰いながら今後について話し合おうとしたら、ナコさんがそう言い出した。


「あの黒くて気持ち悪いヤツは、ループの出口になってるんだよ」


 俺は反応に困ってしまった。ケンさんも同じ様子からするに、きっと俺と同じ事を考えているのだろう──〝あんた、それ本気で言っているのか?〟


 ループの出口があるとして、果たしてあんなに気色悪くて悍ましい生き物の姿をしているだろうか。しかもあの黒いヤツは、自らの意志でナツエさんを丸呑みに……そう、喰ったんだ。


 あの化け物は普通じゃない。絶対に。


「ちょっと怖いけど、あの黒いヤツを探しに行こうよ。〈臨港パーク〉にいるかな?」


「いや……私は反対だ」ケンさんは緑茶を一口飲んでから続けた。「あれが、我々にとっていいものだとは到底思えないんだ」


「……じゃあ、どうすればいいの?」


「私たちと同じように、ループしている人間を探してみないか。もしかすると、他にもいるかもしれない」


「どうやって? どうやって探すの? 見付かったところで、その人が脱出方法を知っているとは限らないじゃない」


「……喰われにいくよりはマシじゃないかな」


 俺が口を挟むと、ナコさんは明らかに気分を害した様子だった。ナツエさんは感情表現が素直な人だったが、ナコさんはちょっと珍しい。それだけ俺たちとは気の置けない仲になったという事なのかもしれないが、今は喜んでいる場合ではない。


「俺も、あの黒いヤツはむしろ悪いものなんじゃないかと思う。〈臨港パーク〉付近には行かない方がいいんじゃないかな……」


「黒いヤツが悪いものなら、ナッちゃんはどうなったの!?」


 ……それを俺たちに言わせるつもりなのか。

 

「ごめん……あたしだってわかってるよ、本当は。あの黒いヤツが危険な存在だって……ナッちゃんはもう……駄目なんだって」


「ナコちゃん──」


「あたし、ナッちゃんに何も恩返し出来てない! 小さい頃からお世話になっていたのに……」


 ナコさんはしゃくり上げた。


「悔しいよ、このまま何も出来ないなんて! あんな化け物、殺してやりたい!!」


 不穏な単語が出てきたためか、ケンさんはギョッとして手に持った湯呑みを落としかけた。


 殺す……か。


 ……待てよ。


 もし、あの化け物がループの元凶なのだとしたら。その元凶を断てば、元の時間の流れに戻れるのだとしたら。


「そうだ……それだよ……」


 ナコさんも同じ事を思い付いたらしい。両目がキラリと光ったように見えたのは、涙のせいか、それとも。


「あの化け物を殺せば元に戻れるんじゃない? ひょっとしたらナッちゃんだって……!」


「その予想が正しかったとして、どうやって」


 ケンさんはあまり乗り気ではないようだ。

 

「どう見てもあいつは人間じゃない。心臓や脳味噌はあるのか? そもそも殺せるようなものなのか?」


「そんなの、やってみないとわからないよ! ねえカズ君」


「……確かに、一人じゃ危険だけど三人で協力すれば……」


 ほら! と言わんばかりに、ナコさんはケンさんを見やった。


「三人だって危険だろう」


「じゃあケンさんは外れて。あたしとカズ君でやるから。ね!」


「おいおい……」


「実は俺も、ナコさんと同じ事を考えてたんだ。何もしないままじゃループは終わらないだろうし、出口を探しても見付からない。もう他にないでしょう」


 ケンさんは小さく溜め息を吐くと、降参とばかりに両手を肩まで上げ、苦笑した。


「若い二人にだけ危険な仕事を押し付けられないな」


 その後、俺たちは昼食を取るのも忘れて作戦会議に没頭したのだった。




 黒い化け物を始末する──この決断は決して間違いではなかった。


 ただ、上手くいかなかっただけで。

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