4 言祝ぎ
「ぐー」
ふみがおうちに帰るより、少しだけ、前の話。
眠ってしまったふみのため、スライムは敷物のように平たく形を変えた。
スライムの上で寝息を立てるふみを、魔王と側近が見下ろす。
側近は思う。魔の物の眼前で警戒心なく眠る人の子に、まったく呆れるばかりだ――頬が緩んだ。
「魔王様、そろそろ娘を家に帰してやりましょう。きっと、母君が心配しますゆえ」
「……そう……だな。しかし……側近よ」
訥々とした、いつもの魔王の声ぶり。
けれど今は、珍しいことに、少しの感情が滲んでいる。戸惑い、恐れとまではいかないが、そのたぐいのもの。――不可解、か。
「何ゆえ、おまえは……この娘をそこまで、気にかけたのだ……?」
確かにそうだ、と側近は思う。
普段の自分であるならば、冒険者であれ迷い人であれ、泣けど喚けど招かざる者は皆、皮を剥ぐか首を刎ねるか、魔物らの餌とするか――迷宮の外に放り出し、理の異なる空間にて臓腑を撒き散らし魂ごと引き裂かれ捻れていくのを眺めるか。
一人の例外もなく、そのような末路を与えていた。
だのになぜ、と思うのは、この魔王であっても不思議ではない――つい、笑みが漏れた。
「恥ずかしながらわたくし、先の大戦で、夫と娘を亡くしておりまして。……どのようなときも笑う子だったなと、思い出しておりました」
「それは……知らなんだ……」
「仕事に私情を挟むなど、あってはならぬことでございます。どのような罰も受けましょうぞ」
「いや……」
魔王は口ごもったようだった。
答えにくいことを話してしまったなと反省したが、そうではなかったらしい。
「……我にも、幼い頃に死に別れた……妹がいる。もし生きていたら、今も……このように……我の前で、笑ってくれていただろうかと――」
「まあ……」
広くなった部屋の中で、たくさんのスライムたちが喜びを隠せず騒いでいる。
彼らのこの喜びようと、さらに、失われたはずの魔剣まで見つけてくれるとは。ふみには、迷宮への侵入という罪を差し引いても余りある恩ができてしまった。
空の宝箱一つでは、到底足りない。
その思いは、魔王も同じだったようだ。しかし魔王は魔王ゆえ、側近と異なり、恩を返す方法を持っていた。
魔王は、ふみの見つけた部屋の中。
ふみの見つけてくれた魔剣を、その腕で高く掲げた。
「……聴すがいい、我が同胞よ――そして、努努、忘れることなく。我が名の下に、我が存在の下に、言祝ぐものである……」
まるで迷宮そのものの鳴動のようにも聞こえる、魔王の詠唱。
スライムたちもそれに気づき、動きを止めた。また、たくさんの魔物たちが、あちこちからこのスライムの部屋へ集まってくる。オーガ、ケルベロス、バンシー、ハーピー、ワーム、レイス……他にも、皆。一様に、魔王の足元へ傅く。
やがて迷宮じゅうの魔物が集まった。皆、顔を伏せ、微動だにしない。
聞こえるのは、ふみの寝息だけ。
「おかあしゃ……くっちー……チョコチップたくさん」
寝言も、ときどき。
魔を統べる者への捧げ物として作られたその剣は、先ほど見つかったばかりというのにそれを思わせることなく堂々と、魔王の手に収まっている。
そして魔王は、伝う言葉を朗々と、歌う。すべての世界に存在する、魔王と同じだけの力を持つ者たちに報せるための歌――祝福の詞。
「どうか……この娘が。多くの者に愛され、健やかに生を謳歌しますよう。そして――」
そして。
「……養育費の支払いが……滞りなく行われますよう」
二度とそんなことをすれば魂ごとねじり切る、という物騒な呪いも、少々。
おしまい。
めでたし、めでたし。
お粗末様でした。ありがとうございました!