◇男爵家の人々(4)
「どうぞ、お立ちください。娘と同じ学園、しかも同じクラスの同級生の親御さんに、そのように畏まられても困りますからな」
目の前で膝を突くドハル老に、笑顔で手を差しのべるモンテグロ男爵。だが、そのいかにもな悪徳貴族然とした笑い顔に、周りにいた武装兵たちは引き気味だった。
「はぁ……」
声をかけられたドハル老も、曖昧な返事をする。気安く声を掛けられても、相手は男爵位を戴く貴族なのだ。はい、そうですかと立ち上がる訳にもいかない。
しかし、モンテグロ男爵は、困惑顔のドハル老の手を取り構わず強引に立たせると、メリルの話に何度か出てくる同級生の名前を思い浮かべていた。
「確か、お孫さんの名前はサリーさんではなかったですか?」
「あ、はい……そうですじゃ……その孫娘が治安局に連れて行かれたと聞いて居ても立ってもいられず、焦って通りに飛び出した所へ男爵様の馬車に……申し訳ない事で……」
慌てて弁解するドハル老に、モンテグロ男爵は大丈夫ですよと鷹揚に頷く。
「そうだったのですか、お孫さんも治安局に……それはさぞかし心配でしょう。ですが、心配はいらないようですよ。今回の事件では、学園の生徒には怪我を負った者はいないと聞いています。それに治安局に呼ばれた生徒は皆、今回の事件で犯人捕縛に活躍したのだとの報せを治安局からもらいましたので。だから、誉められこそすれ叱責されるような事は何もないはず」
と、そこでいったん言葉を途切らせた男爵が「そうだろう」と、横で膝を突き畏まっていた治安局の小隊班長であるブラッカイマーに目を向けた。
急に話を振られたブラッカイマーが、慌てた様子で肯首する。
事件に巻き込まれた生徒の中でも、一般生徒の親にはまだ詳しい説明はなされていない。それも当然だった。テロ事件の実行犯は確保されたものの、事件の全容はまだ掴めていない上に、犯人たちの周囲にいるだろう協力者など犯人グループの全てを検挙してはいないのだから。だが、それも両親が貴族家となれば、治安局の対応も変わってくる。ましてや、相手が五爵位の男爵家なら尚更だ。
モンテグロ男爵も、先ほど公園に駆け付け、その場の責任者から丁寧な説明を受けたばかりなのである。
それは警邏中だったブラッカイマーたちも同じで、現場の公園へと急行する間に、魔導通信にてある程度の事件の概要は聞いていた。
「はっ、我らもその場にいませんでしたので詳しくは知りませんが、生徒会を中心とした学園生徒によって、テロ事件は未然に防がれたと聞き及んでおります。我ら治安局の兵士の間でも、さすがは名門アグラリア魔導学園の生徒だと褒め称えていた所であります。ですので、今現在本部へと呼ばれている生徒は、より事件の詳細を求められての事と思われますので、それほど心配される必要はないかと――」
相手は貴族家、それも男爵家の当主である。追従するように言葉を連ねるブラッカイマーだったが、その表情は緊張で強張っていた。
いや、鋭い眼光を放つ男爵の視線を恐れたと言っても良かった。額や背中には冷や汗が止めどなく沸き上がると同時に、男爵に対して恐れにも似た感情を抱くのを禁じ得なかったのである。
男爵の鋭い眼光――それは比喩でなどではなく実際に妖しい光を放っていた。瞳から放たれるのは僅かに漏れ出る魔力光。男爵自身にも制御仕切れない魔力が瞳から溢れ、視線を向けるだけで相手を威圧し、より一層の悪印象を与えてしまう。だから外出するときは何時も、少しでも魔力光を抑えるために魔導具の遮光眼鏡をかけるようにしているのだが、今日は慌てて屋敷から飛び出て来たため、それを忘れていたのである。
ブラッカイマーの様子からそれと気付いた男爵が、また苦笑いを浮かべる。そしてドハル老へと視線を向け直した。
「ですが治安局から報せを受けても、娘の無事な姿を見るまでは気も急いてしまいましてな。つい御者に命じて馬車の速度を上げさせてしまったのですよ。そういう訳で此方にも非はある。幸いにもドハルどのも無事な様子。それに此方の馬車にも問題はない。ならば大した事故でもないようなので、今回は双方が頭を下げて良しとしませんか」
今回の事故はこれでもう終わりだとする男爵が、「それで良いな」と、ブラッカイマーにも同意を求める。
「あ、はい。男爵様がそれで宜しければ、何も問題はないかと……」
慌てて同意するブラッカイマー。それを確かめ、男爵はまたドハルに声をかけた。
「ところでドハルどの、ここから治安局本部のある帝城まではかなりの距離があると思うのですが……いかがですか、私の馬車でご一緒しては」
「え、いや……そう言われても……」
「今は帝都内も、事件の影響であらゆる交通が規制されているようです。お孫さんを迎えに行くといっても、大変な困難が伴いますぞ」
と言うと、ドハル老の手を取り「ささ、遠慮なさらずに」と、馬車へと誘う。そして、更に言葉を重ねるだ。
「それと道行きがてら、お孫さんから聞いている学園の様子なども、こちらにもお聞かせ願いたいものですな」
そこまで言われると、逆に断るのも失礼にあたる。
それに大丈夫だと言われても、孫娘のサリーの顔を見るまでは安心もできない。少しでも早く駆け付けたいとの思いが強いドハル老にとっても、その申し出は願ってもない事であった。
「はぁ……では、お言葉に甘えさせてもらって……」
と言うと、ドハル老はあっさりと了承し、男爵と二人して馬車へと向かう。
尤も、またしても男爵は、恭しく扉を開ける御者に押し込まれるようにして馬車に乗り込むのであるが。
その際、振り返ると、ブラッカイマーたち治安局の武装兵に、「ご苦労であった」と労いの言葉をかける事も忘れない。
このように男爵は、その見た目と反して誰に対しても分け隔てなく礼節を忘れず、本来であれば好人物な印象を与えるはずなのではあるが、なかなか周りには認められない不運な人なのでもあったのだ。
この時も、ブラッカイマーたちは想像とは違う意外な成り行きに唖然とするも、自分たちやご老人にとっても願ってもない結果となったとホッと胸を撫で下ろす。そして、よほど男爵様の機嫌が良かったのだろうと考え、馬車を見送るのであった。
◇
治安局本部へと向かうモンテグロ男爵家の馬車の中――古色然としているが、さすがは貴族家の馬車と思わせる豪華な装飾。向かい合わせにゆったりと据えられた革製の長椅子は、座った感触もふかりと沈み込む心地好さ。広さも、本来は四人乗り、或いは少し詰めれば六人は乗れそうな大きさがある。
だが、その殆どを男爵が占拠していた。
長椅子の端に縮こまるドハル老は、目の前に迫る肉圧に呆れつつも、ちらりちらりと男爵を窺う。その視線は、少々不躾ともとれるものだった。
「で、学園の……ん、何か?」
「あ、いや……何でも有りませぬ」
すぅと視線を逸らすドハル老。
最初は自分の不注意によって馬車に巻き込まれかけ、そこへ登場したモンテグロ男爵に面食らい、言葉をなくすほど驚いていた。が、馬車に乗りようやく落ち着きも取り戻し、孫のサリーもどうやら無事だと聞くと、ドヴェーフの民らしい反骨心もふつふつと沸き上がる。帝国貴族何するものぞとの気概も漲ってくる。しかも、相手が話に聞くモンテグロの一族であれば、工学士としての好奇心も刺激されるというもの。
その一方で男爵はといえば、人口の多い帝都でも珍しいドヴェーフの民、しかも名匠とも噂される人物でも見た目の印象に左右されるのかと、少し肩を落としていた。
「やはり、この容姿が気になりますかな」
「いえ、そういう訳ではありません」
だが、ドハル老は否と力強く返事する。モンテグロ男爵の悪相やその容姿、そして炯々(けいけい)と鋭く光る眼の中に別のものを見ていたのだ。
ドヴェーフの民は炎を操る技術にも長けているが、それ以外にも精眼視と呼ばれる能力を備えていた。それは、魔力の流れを読み取る能力。だからこそ、魔鋼石等の魔力を帯びた金属を精練する事にも優れているのだ。ドヴェーフの伝承では、最初のドヴェーフは炎の精霊から生まれたとも言われ、別名炎の民とも呼ばれていた。
そして、名匠とも言われるドハル老クラスの職人になると、人の体内を巡る魔力の流れを読み取ることも簡単なのだ。
「ただし、これは……少々……」
しかし、続けて出る言葉は曖昧なものへと変化した。それは、精眼視を使って男爵を眺めると、確かに魔力の流れが妙な具合に捻れているのが見えるからだ。
内心で「やはり」と頷くドハル老。彼に見えているのは、例えるなら、川や池での取水や水量の調節するための堰のようなもの。男爵の身体を巡る魔力が、各所でその流れが阻害されているのが見えていた。
そして、悪相ともいうべき風貌――魔力光を放つ瞳の奥に隠れる、仁と義を兼ね備えた清々しいまでの純粋な輝きをも認めたのである。
――信頼にたる人物。
それが、男爵を改めて眺めたドハル老の感想だった。
若い頃には一つ所にとどまらず、大陸中を渡り歩いた。時には命にもかかわる危難にも幾度となく出くわし、人にも言えないような修羅場も潜り抜けた経験もある。悪相や風貌などの外観で、人格や本性を見誤るようなドハル老ではなかった。
だから、またしても少々不躾ともとれる行動に出てしまう。
「男爵さま、少しお手をよろしいですかな」
「ん? 何を」
了承する前に、ドハル老は男爵の腕を掴んでいたのだ。ドハル老にすれば、見るだけでなく直に体に触れる事によって、魔力の状況が更に詳しく知れるので思わず手が伸びてしまったのだが――体内を巡る魔力量の多さ、それに急峻な滝を流れ落ちるが如き魔力流の暴れっぷりに、驚きを通り越し驚愕していた。
「むぅ、これは……これほどとは……このままでは、お命にもかかわりますぞ」
驚き振り払おうとした男爵だったが、ドハル老の様子から危害を加える積りもなく、それ所か、一族の宿業ともいえる病を見立ててくれた事に気付き、途中で動きを止めた。
「分かるのですか?」
「はい……ですから、少しお手伝いさせてもらえませんか」
「ふむ……」
一族に課せられた呪いと噂される病。それは、制御できない程の魔力過多から起きる容姿の醜悪な変貌だけにとどまらず、程度の差こそあれ、一族の者は全て短命に終わっていた。そして、今代の当主である男爵は、魔力過多の症状――容姿や風貌や瞳の輝きなど、これまでの当主にないほど顕著に現れていたのだ。
故に男爵自身もまた、己れの死期が、そう遠くない日に訪れるだろうと覚っていた。
だから一目見ただけで、その事を指摘された事に驚くと同時に、病状の改善に協力したいとの申し出に困惑もした。それは、これまでにも神聖系や呪術系の術士に、或いは目の前のドハル老のような魔導工学士にも見てもらっていたからだ。そして、皆が首を振り匙を投げていたのだ。
近頃は男爵も半ば諦め、間近に迫りつつある死を従容と受け入れようとしていた。
だから、男爵も期待せずに、力ない言葉で訊ねてしまう。
「出来ますかな?」
「断言は出来ませんが、或いは……」
「ほぅ、この病は誰もが見放したのにですか」
「たぶんそれは……診察した者たちが、男爵さまの多過ぎる魔力を、無理に押さえ込もうとしたからでしょうな、違いますかな」
ドハル老の言う通りだった。当の本人である男爵自身が、どうにか魔力を押さえ込もうと幼い頃より努力を重ねてもいたし、数多くの術士や工学士にも「何か押さえる方法は無いのか」と依頼していたのだから。
――しかし、それ以外に方法は無いはず。
男爵は、改めてドハル老へと目を向ける。
目の前にいる人物は、ドヴェーフの民にして隠れた名匠と呼ばれる人物。もしやすると直せるのかと、僅かな希望を抱く。
「何か方法があるとでも言うのですか」
「発想の逆転ですな。詳しくは工房にある魔道具にて、魔力値やその他諸々を測定してからになると思いますが……放出、いやこの場合は、魔道具を身に付け吸い出すべきか……いやいや、もっと……埋め込めば……」
探究心の強い工学士らしく、馬車の中だという事も忘れ、あれこれと考え出し物思いに沈むドハル老。しかし、男爵は驚き目を見張ると、直ぐにガバッと音のしそうな勢いで、ドハル老の手をしっかりと掴んだ。
「ぜ、是非にもお願いしますぞ!」
それは微かな希望。藁にも縋る思いで、飛び付いた。男爵自身は勿論だが、病の完治への光明を見いだすのは、一族の悲願でもあるからだ。
しかし同時に、疑問も浮かぶ。
「しかし何故、力を貸す気になられたのですか」と。
男爵にとっては願っても無いことだが、モンテグロの一族を悩ます病は、ある意味では噂通りに呪いのようなもの。誰もが治すのは無理だと首を振る不治の病。
名匠と呼ばれるような者でも、出会ったばかりの親しくもない人のために、おいそれとは手を出せるようなものではない。
しかも、相手は貴族家。男爵にはその積りもなくても、普通であれば申し出た後に無理と分かれば、何を言い出されるかも分からないのにだ。
例え馬車の件や、孫娘と男爵の娘が同級生であろうと、軽々しく口にできるものではない。
だからこそ、男爵は不思議に思ったのだ。
しかし、ドハル老は親しげに笑みを浮かべる。
「理由は三つでございます」
「三つもですか……」
「はい。孫娘のサリーも、同級生となった男爵さまの姫様の病を気にしておりましたからな。その縁がひとつ」
「縁が大事なのは分かりますが……」
「二つ目は、工学士としての興味ですな。そして三つめの理由が最も肝心な事です」
「ほぅ……それは」
しかし、ドハル老は照れたような笑みを浮かべ、中々言い出そうとしない。
「ご老体、どうにも気になって仕方がありませんな。是非ともお聞かせ願いたい」
少し苛立った声で訊ねると、ようやくドハル老も口を開く。
「人によっては大した事もないと思うかも知れませんが、わしにとっては大切な事でしてな……老い先短い身ではありますが、終生の友となり得る人との出会いは大切にしたい。それだけの事ですよ」
「おぉ……それは……」
容姿にコンプレックスを持つ男爵には、これまでにも、このような事を言ってくれる者もいなかった。産まれた頃より常に従っていた家臣は別にして、他人から――他家の貴族からも、終生の友となど言われた事もなかったのだ。
照れ笑いを浮かべ、白くなったあご髭をこするドハル老を眺め、男爵は感動に打ち震えていた。
年齢も身分も駆け離れてはいるが、いや逆に、だからこそ胸に響くのであった。
そして、この日のドハル老との出会いこそが、凋落も著しかったモンテグロ家の、回天への転換点ともなるのであった。
尤も、それには娘であるアンジェラや、その専属侍女であるメリル、そしてドハル老の孫娘であるサリーが、大いに関わってくるのではあるが……。