第53話 土(つち)
ゼルハイムが二度目に支部を訪ねてきたのは、辺境伯の一行が帰ってから四日後の昼過ぎだった。
応接室の卓に、ゼルハイムは細長い木箱を一つ置いた。蓋は無く、中は薄い板で五つに仕切られている。箱の両端には首から掛ける紐が付き、脇には先の細い小さな移植ごてが一本添えてある。灰色の上衣の袖口は、前に来たときと同じく汚れ一つ無かった。
ミオが台帳と手控えを抱えて入ってきて、サリナの隣に座った。
「研究所から、ミド草の株がほしいと言われております」
ゼルハイムは木箱の縁に指を添えた。
「葉ではなく、株でございます。根を切らずに土ごと掘り、崩さずに運んだものを、一日に五株。先方は、ミド草を自分たちの手元で育てられないかと考えております」
「育てる、ですか」
「はい。森へ入らずに済めば、それに越したことはない、と」
サリナは五つの仕切りを目で追った。
「一株では、足りないのですか」
「生えていた森の土のままのものと、土を替えたものとを並べて、育て方も少しずつ替えて試したいそうです。一株では、枯れたときに何が悪かったのかが分かりません」
「いつまで続きますか」
「根付くかどうかが分かるまで、と伺っております。先方も、日数は申しませんでした」
ミオがペンを止めて顔を上げた。
「根は、ミド草の常の依頼には入りません。お受けするなら、別に依頼を立てていただくことになります」
「存じております。依頼は、研究所の名で出させていただきます。報酬は一株につき千ムーア。葉が減る分のことは考えずに済むように、と先方は申しております」
サリナは木箱から目を上げなかった。
依頼を掲示板に貼り出しても、受けられるのはあの子だけだった。ミド草を見分けられる者は、この支部にほかにいない。そして株を掘れば、その手間のぶんだけ葉は減る。研究所は、ミド草をできる限り多く回せと言ってきた側だった。その研究所が、自分の注文で葉を減らすことになる。それでも株だけで、採集袋が一杯の日の稼ぎを越える額を付けてきた。ほかに頼める者がいないことを、研究所も承知しているのだろう。
サリナが口を開く前に、ゼルハイムのほうが言った。
「支部へ入る葉が減ることは、先方にもお伝えしてございます。それでも、と申しております」
ゼルハイムの声は、前に来たときと少しも変わらなかった。
「わたくしから、あの方へお願いに上がるつもりはございません。サリナ様からお聞きいただいて、お断りであれば、そのまま先方へお返しいたします」
入った葉をどう分けるかは、もう決めてあった。前と同じ割合のまま、どこも厚くしない。けれど今日の話は、分け方の話ではなかった。土を掘るのは、あの子の手だった。
「本人に聞きます。返事は、明日の夕方に」
「十分でございます。では明日の夕方、店の者に空の箱を持たせて伺わせます。お引き受けいただけるのでしたら、その者に、詰めた箱をお渡しください」
ゼルハイムは立ち上がり、木箱を卓に残したまま頭を下げた。
▽ ▽ ▽
その日の納品を済ませると、リナムーアはサリナに呼ばれて応接室へ入った。
畳んだ採集袋を椅子の脇に置き、ミオの隣に座った。座ると卓の縁が胸の高さに来た。卓の真ん中に、仕切りのある木箱が置いてある。
サリナは、昼にゼルハイムが持ってきた話をそのまま伝えた。根付きの株を一日に五株、研究所の名で依頼が出ること。いつまで続くかは決まっていないこと。研究所は、ミド草を森の外で育てられないか試したいのだということ。
「断ってもいいのよ。先方も、そう言っているわ」
「株を掘ると、葉は減ります」
「ええ。その分は、減るわね」
リナムーアは卓の上の木箱に目をやった。
最初に浮かんだのは、クレイルの左手だった。薬指と小指が、半ば開いたまま閉じきらない。四日前、辺境伯は研究所の薬の話をした。治癒魔法の届かないところに効く薬だという。森の外で株が育てば、その薬はそれだけ早く形になるのかもしれない。
辺境伯は、こうも言っていた。試せるところまで来たのは、お前がここにいるからだ、と。研究所は、もっと寄越せと言ってきている、とも。
ミド草は、求められているだけの量には届いていない。そして支部へ入るミド草は、自分の足ひとつで決まっている。北の外れへ出た日、採集袋は半分にも届かなかった。自分が森へ入らない日には、その日の分がどこからも来ない。
森の外で育つなら、それが変わる。
「答える前に、一つ試してもいいですか」
「何を?」
「これを抱えて、採集袋も背負えるかどうかです」
リナムーアは椅子を下り、木箱の紐を首に掛けて胸の前に抱えた。
空の箱でも、腕を回すと手の先がやっと向こう側に掛かった。箱の上端は顎のすぐ下まで来て、足元は少しも見えない。箱の幅は、自分の肩幅をはるかに越えていた。
サリナの目が、箱から肩のほうへ動いた。
「それだと、剣にも弾入れにも手が届かない。足元も見えないでしょう」
「はい」
「株を掘るあいだは、葉はやめてもいいんじゃないかしら。株だけ持って帰ってくれば、それで十分よ」
ミオが手控えの頁をめくった。
「株の額なら、それだけでいつもの日を越えます。葉をやめても、稼ぎは減りません」
「そうね。明日の返事は、株だけということで……」
二人のあいだでは、もう話が決まりかけていた。
葉を切らない日が、明日から続く。そう考えたところで、リナムーアは頷けなかった。毎日森へ入れと言われたことは、一度も無い。それでも、採集袋の空いた日のことを思うと、先に胸のほうが落ち着かなくなった。
リナムーアは箱を抱えたまま、片手で採集袋を取った。畳んだまま肩に掛けてみると、口を括る紐が、箱の紐と首の後ろで重なった。一度下ろし、掛ける向きを変えて背負い直す。二本の紐は首の脇で分かれ、今度はぶつからなかった。
そのまま、卓の脇を一回り歩いた。戸の前でしゃがみ、立ち上がって、体の向きを左右へ変える。箱の縁が卓の角に当たりかけて、半歩よけた。
サリナとミオの話が止まっていた。リナムーアは二人のほうへ向き直った。
「いけそうです。寄ってくるものは、先に分かります。そのときは、箱を下ろします」
サリナは少しのあいだ、黙ってこちらを見ていた。それから、短く息を吐いた。
「……分かったわ。葉のことは、あなたに任せる」
「引き受けます。葉も、切ります」
ミオが手控えに一行を書き足した。
▽ ▽ ▽
翌日、リナムーアは昼過ぎまで、いつものように葉を切った。
掘る株は、帰り道で選ぶことにした。朝のうちに掘れば、株は一日じゅう箱の中で揺られることになる。浅層の境のほうへ戻りながら、『空識』の下絵でミド草の株を探した。太い木の根が張る大木の根元や、石の転がる斜面は外す。平らな土に生えた株を選んで、足を止めた。
木箱を地面に下ろし、株の前にしゃがんだ。
移植ごてを入れる前に、下絵の狙いを株へ置いた。狙いの広がりは、株のまわりの土まで残らず収めている。ふだんは葉の内側の管を読むところを、今日は足元の土の中へ読む先を移した。土の中には、細いものがいくつも走っていた。
根は、真下へは伸びていなかった。髪の毛ほどの細い根が何本も、地面のすぐ下を横へ這っている。その先は、上に広がる葉の端よりも、まだ外まで届いていた。
(……思っていたより、ずっと広い)
茎の根元のまわりだけを掘れば、根の先はみな切れる。リナムーアは葉の広がりより一回り外へ、移植ごての先で輪を描いた。
輪に沿って刃を入れていく。土は乾いて固く、移植ごての先は押し込むたびに小石に当たった。ぐるりと切り終えてから、輪の下へ斜めに刃を差し入れ、少しずつ起こしていく。根が浅いぶん、深く掘らずに済んだ。土の塊ごと両手で抱え上げると、塊の下から細い根がいくつも垂れた。
塊は、仕切り一つにやっと収まる大きさだった。崩さないように下ろした。
掘っているあいだは、両手が土の中にある。背の剣にも、腰の弾入れにも手は届かない。リナムーアは土の中を読む合間に、下絵を端まで数え直した。寄ってくる影は無かった。
残りの四株も、同じように土の中を読んでから掘った。株を一つ収めるごとに、箱は目に見えて重くなった。五つ目の仕切りが土で埋まるころには、木々の影がだいぶ長くなっていた。
採集袋の口を開けて、中を見る。葉は、袋の半分を少し越えたところで止まっていた。
リナムーアは採集袋の口を括って背負い、箱の紐を首に掛けた。応接室で試したとおりの形だった。ただ、胸の前の重さだけが、あのときとはまるで違った。
足元は、箱の縁に隠れて見えない。リナムーアは下絵で地面の起伏を読みながら、表へ向かって歩き出した。
▽ ▽ ▽
門灯の少し前、納品窓口の列に白い髪が並んだ。
ミオの目は、いつものように先に体へ行った。腕にも首にも、傷は無い。ただ、胸の前に木箱があった。箱の縁から、濃い緑の葉がいくつも出ている。背中の採集袋は、いつもより低いところで揺れていた。
リナムーアは台の前まで来ると、両腕で押し上げるようにして木箱を台へ載せた。
「五株です。根は、なるべく切らないようにしました」
「お疲れさまでした」
ミオは仕切りの一つを覗き込んだ。土の塊は仕切りいっぱいに収まり、細い根が何本も垂れている。崩れた塊は、一つも無かった。
それから採集袋を受け取り、中身を盆へ空けた。判別機へ流し込むと、葉はすべて片側へ寄った。下の受け皿は、今日も空のままだった。流し終えるまでが、いつもより早かった。
受け皿から秤へ移し、針を読む。
「二千三百ムーアです」
ミオは台帳のミド草の行に書き入れた。一つ上の行には、昨日の四千がある。続けて、株の依頼の行に五株と書き足し、二つの額をリナムーアの預け入れへ足した。
リナムーアが列を離れてしばらくすると、ゼルハイムの店の者が来た。若い男で、空の木箱を一つ抱えていた。
「明日の分でございます。こちらは、お預かりいたします」
男は空の箱を台の端に置き、詰めた箱を両手で抱え上げた。腕に一度力を入れ直してから、表の扉を出ていった。
台の上には、空の箱が一つ残った。
詰めた箱が置かれていたところに、箱の底の形どおりに土の跡が残っていた。ミオは台の下から布を出し、板の上を拭いた。土は木目の溝に入り込んでいて、二度、三度と拭くうちに、ようやく板の色が戻った。
畳んだ布の面は、土の色に汚れていた。




