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16.安らかな日々

 ある日の朝食。明らかに食卓の空気が淀んでいた。女系家族の親になって幾年月か? 何かがあったことは感じた。

「和葉、今日もジュジュ元気?」

「…………」

 返事が返ってこない。

「幸枝、今日の夕飯は何かな?」

「…………」

 こちらも同じだ。

「園美、ウォーキング暑くなって来てないかい?」

「…………」

 園美までも。

 普段、お喋りな娘達が揃いも揃って、無視を決め込んでいる。

 私は危うさを覚えた。何か癇に障ることをしただろうか? 男というものは元来鈍い生き物だから、こういった窮地に陥って、漸く事態の変化に気付く。だが、全く思い当たらない。

 円満な一家団欒は、妻が存命の頃からの荻原家の家訓のようなものだ。閑やかな食卓など求めていない。自らの分を弁えず、図々しく言いたいことを言い合うずけずけした家庭も品性に欠けるが、談笑がないのもこれまた寂しい。こういう時は変に詮索せず素直になれば道は開ける。この五十代半ばまで、それでなんとかこうとかやって来られた。仕事でも嘗ての家庭でも。だから正直に聞こう。そうして意を決して言った。

「ごめんね。お父さん察しが悪くて。何かみんなに気に触ることでもした?」

 そうすると、緊張感で張り詰めていた食卓の空気が一瞬解けた。続けて、

「お父さん。言葉にしてもらわないと分からないんだ。勘の鈍い父さんで、ごめん」

 と続けた。そうすると貴実子が満を持して、

「分かんないなら、はっきり言うね。お父さん。私達、お父さんの彼女。塔子さん嫌い」

 と言った。

 そうすると、貴実子から園美、幸枝、和葉までも順々に塔子さんについての不満を述べて言った。全員が全員とも一家言(いっかげん)あるようだった。

 それを一頻り聞いて、私は感じ取った。皆に取って塔子ちゃんは家庭の不協和音であることを。そうして私は、

「みんなの意見は分かった。明日までに返事するよ。それまで待ってくれないかな?」

 と答えた。皆ひとまず納得してくれた。

 そして思い巡らした。不意に思い当たることがあった。そしてこれまで溜めておいていた、座右の銘のメモを洗い出した。

 やっぱりな。丁度打って付けの訓示を見つけた。

 翌朝、「少し周り口説くなるけれど我慢して聞いて欲しい。いいかな?」と前置きして述べた。

「仏法には无我(むが)にて候うへは、人にまけて信をとるべきなり。と記されているんだ」

と語り出した。

「信をとるとは、信心を得ようとすること。信心とは願を掛ける心。お父さんに()ける信心は、今の家庭を守ること。これがまず一番。その為には人に負けることは厭わない。誰かが勝てば負ける人が出てくる。しかし信をとるためには、負けることも大切だとされている」

 そして続けた。

「塔子さんとの交際を経て成り立った家庭は、私はみんなに勝つことになるかも知れないが、君達、誰かが負け犠牲になる。それは火を見るより明らかだ」

 私は深く息を吸って、

「だからよくよく考えた。そして決めた。私が負けることにする。彼女との交際は縁を断つよ」

 そう言うと娘達はホッと胸を撫で下ろした。最後に告げた。

「だからこれからも一家五人とジュジュとで平穏な家庭を、信を築いていこう」

 そこまで言うと貴実子が、

「みんな。いいよね? このままの家族のままでいいよね?」

 と妹達に掛け合った。皆頷いた。そして和葉が、

「ねぇー。ご飯食べ終わったらジュジュの散歩行こう」

 と言った。皆納得した。和葉はウキウキと。園美や幸枝は嬉し泣きしながらご飯を食べていった。それを見て貴実子と私は視線を交わし、笑い合った。

「ジュジュ待てー」

 和葉自らが投げたボールを追うジュジュを、今度は和葉が追う。追い掛けっこだ。

 丁寧に芝生を刈り取られた公園の広場。その光景を一同眺めていた。

 風香り木々がゆらゆらと靡いている。

 久しぶりに一家は、安らかな日々へと戻っていった。

出典/引用/参考文献


・共同訳聖書実行委員会訳/日本聖書協会訳/解説 佐藤 優「新約聖書Ⅱ」(2010)文春新書

・EIGHTーJAM【大反響の宇多田ヒカル特集 完結編‼︎】テレビ朝日/2024ー4ー28

・産総研マガジン/2022ノーベル物理学賞「量子もつれ」とは/産総研マガジン編集部/2023

https://www.aist.go.jp/aist_j/magazine/20230308.html(参照2025ー7ー12)

・日経サイエンス/マイクロキメリズム あなたの身体に潜む〝他者〟の細胞/J.Lee Nelson(フレッド・ハッチンソンがん研究センター)/2008

https://www.nikkei-science.com/page/magazine/0805/200805_068.html

(参照2025ー7ー12)

・【藤井フミヤスペシャル5 神々が住む場所・高天原は茨城にあった?】BSフジ/2024ー11ー30 25:00〜26:00(再)

・山本 明「地図と写真から見える! 古事記・日本書紀」(2011)西東社

・加唐 亜紀「ビジュアルワイド図解 古事記・日本書記」(2015)西東社

・チャイコフスキー バレエ組曲「くるみ割り人形」作品71a

・瓜生津 隆真「現代語訳蓮如上人御一代記聞書」(1998)大蔵出版

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