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15.貴実子と塔子さん

 家族みんなで同乗して一路イタリアンレストランに向かった。

「話、付いたよ」

 と貴実子が家に向かいに行くと、妹達は嬉しそうに玄関を出た。お父さんは、

「何だか待ちぼうけ食ってたけど、なんだったんだい?」

 と聞いてきたが、貴実子は、「女同士の、たわいない話よ」と(なだ)(すか)した。

 お父さんは腹ごなしが悪いような印象を受けたが、義母さんの存命の頃から女世帯の我が家では、こんなことはざらだった。

 いちいち込み入るとうるさがられるのは周知の事実だったので、柳に風で受け流した。

 そうして六人では、やはり塔子さんが拍子をとって盛り上げてくれた。やはりお義母さんに変わる、太陽、はこの人かも知れない。義母が亡くなって父も患って、不幸続きだったのが、塔子さんという陽の光が差し込むんだ。もう彼此(かれこれ)月日が流れた。園美は大学生。幸枝が今度は大学受験生。和葉は年長へと進学した。そして私も二四になる。経済的な重責を塔子さんが担ってくれるので、新しい家庭の形というものへと視界を広げていってもいい。

 結婚……。

 誰がこう、とかいう候補がいる訳じゃないが、新しい未来像への道はこれによって開かれる。恋愛はして来たが、結婚や新生活というものには無縁だった。それは義母の存在が大きかったから。

 安らかな日々。

 当たり前だがかけがえのない日常は、変え難いものだったのだと、漸く思い至った。

 しかし義母はもういない。私は新しい羅針盤を手に取って進む道を選んで行くという選択肢を、塔子さんが与えてくれた。

 結婚……。出産。新生活。

 特段自立に拘っている訳でもない。新しい選択肢が増えただけだ。女としての生き方の在り方の一つの選択肢。

 そんなことを考えていると、あっという間に近所の知る人ぞ知るイタリアンレストランに到着した。

 もう、ランチの掻き入れ時だ。店頭に数人溢れて、順番待ちの列がある。

 荻原家は養母の生前御用達の店だったので、外に立て掛けてある二種のランチパスタのメニューに見入っている。お父さんと私は、トマトソーススパゲッティ。園美はクリームソース。幸枝はオイルベースのスパゲッティが好みだ。因みに和葉は初来店だ。

 今日のランチパスタはAコースがボロネーゼスパゲッティとサラダと飲み物、最後にランチデザート。Bコースはアーリオオーリオペペロンチーノスパゲッティとサラダ、飲み物、これにもランチデザートが付いている。

 順番待ちの列はお父さんと塔子さんの年長者二人に任せて、私達四人はランチの黒板に食い入るように見つめている。和葉は、

「ボロネーゼって?」

「アーリオオーリオペペロンチーノは?」

 と聞き馴染みがないので機嫌良く、私が教えてあげる。ボロネーゼは日本語だとミートソース。アーリオオーリオペペロンチーノはニンニクとオイルと唐辛子。結果、アーリオオーリオペペロンチーノにしたようだ。

 園美はランチメニューで好みのクリームソースベースのスパゲッティがなかったので、AコースかBコースか悩んでいる。しかし私は、

「どうせアンタ大盛りでしょ。それでも足りないんだろうから。ボリュームあるボロネーゼにしたら? 和葉が多分食べきれないから、残りのアーリオオーリオペペロンチーノを頂けばいいじゃない」

 と説得して、納得したようだった。

 そうして四人メニューが決まったので、順番待ちの列に戻った。メニューを決めている間に順番待ちは先行していて、次に呼ばれるのが荻原家だった。

 そうして呼ばれて席に着くと、私と園美がAコース。園美は大盛りで。幸枝と和葉はBコース。和葉はペペロンチーノ抜きで、取り皿を一枚余計に。とつつがなくメニューを決めていった。

 腰の重たいお父さんは今更になってランチメニューを確認して、どちらにしようか思案し始めた。

「お父さん。早く」

 お預けを食らっていた園美は空腹で、カリカリし始めた。お父さんは急かされて慌てて決め、店員さんを呼んだ。

「それじゃあお願いします。えぇーと」

 とお父さんが言い出すと、塔子さんが横から、

「お昼って。スパゲッティしか無いんですか?」

 と年嵩(としかさ)のいった、ベテランらしいホールスタッフに聞いた。

「スパゲッティ以外に、他のパスタやピッツァ。リゾットなどの単品もご用意して──」

「それもそうですけど、ディナーメニューは頼めないんですか?」

 塔子さんはホールスタッフが言い終わる前に、被せて言った。

「少々お待ち下さい」

 と言ってベテランらしきホールスタッフは、慌てて厨房に向かった。塔子さんの視線の先を私は辿っていくと、黒板に書かれたディナーメニューの品々に視線がいっていた。

 まさかね。

 そう思っているとホールスタッフは戻って来た。

「お客様。ディナーメニューは二人前ずつしかご用意出来ませんが、ご注文頂いて構いません」

 そうすると塔子さんは黒板から視線を戻し、お父さんを見据え、

「水樹さん。せっかくの外食でしょ。私、たまには贅沢したいな。不惑のOLの楽しみの一環ですもの。私、ワタリガニのスパゲティにチョコレートケーキのドルチェも食べたいな。せっかくですからコースにしましょ。アンティパストにセコンド・ピアット。コントルノと一式シェアして食べましょうよ」

 と言った。更に加えて、

「滅多にない外食なんだからお姉ちゃん達も、ランチパスタ何かじゃなく、遠慮しないで好きなもの頼みなさい」

 と私が御馳走すると言ったことを図に乗って、自身の放埒(ほうらつ)な経済観念を正当化した。そして、分相応の遠慮している私達を物珍しそうに見た。これを受けて、世帯収入の一翼を担う私はムッとした。


 今思う。塔子さんはどういった動機でお父さんに近づいたんだろう。イタリアンレストランの日、二人で話し合って同調出来ていたと思ったが、思い返すと私だけが、一方的に経験則を吐露していただけだ。今更になって改めて考え直した。

 父の容姿か? イヤ。どう贔屓目に見てもただの五十代の叔父さんだ。ロマンスグレーの髪の毛こそ変わらずきっちりしているが、姿勢が悪く、母が亡くなって痩せ細った。癌も患って肌艶も悪い。決して面持ちも良い方とは言えない。

 じゃあ性格か? それにしたって父は性根は気が小さく、表立つ時は無理して明るく振る舞うが、元のマイナス思考の部分は自然滲み出てくる。明るく振る舞う表の顔と、実は弱々しい裏の顔がコロコロ(うつろ)って、近寄ると気が気じゃない。

 更に言うと昭和の日本男児っぽさが拭いきれず、自分のことしか話さない。その上、神経質なので、決して西海岸のように、燦々(さんさん)と眩しい青空と太陽のようなねあかじゃなく、日の差さないジメジメとした陰気な部分は拭えない。唯一素直で飾らず、純朴な所が加点だが、塔子さんを見る限り決してそういった潜在的な部分を惹かれた様子はない。

 後、あるとするならば……。

 疑いたくないが、それしか考えられない。お金。

 お父さんは嘗て財閥だった電気会社の支店の係長だ。荻原家では一番存在感が薄いが、一度外に出れば封建的なワンマンだ。そして、長女の私は老舗百貨店のチーフ。これからまだ学費のかかる三人の妹を抱えているが、四十過ぎの独り身の一人暮らしの女性の家庭と比べれば、経済的に荻原家は潤沢だ。たまの外食も出来る。

 そう考えていくうちに貴実子は、確信めいたものが生まれた。私達は騙されている。

 一見すると大人しいが、日常は慎ましく、外ではそろばんずくの現金な経済観念。図太く放埒、猜疑心が拭えない。ざっくばらん。小悪魔的で蠱惑的。気が強く懐疑的。そして手練手管(てれんてくだ)に長けて、利己的。

 ここ数ヶ月付き合っただけだが、塔子さんの性格を並べ立てるとこんな具合になった。そうして秤に掛けると、悪い点ばかりに目がいった。

 妹達には塔子さんと分かり合えたように言ったが、だがしかし、その判断は浅はかだったんじゃないか? 真相はお父さんの潜在意識としては、五十代の果てる間際の、欲情の最後の灯火だったんじゃないか? 、と。

 もう一度思い返した。安らかな日々。当たり前だがかけがえのない日常。

 塔子さんはこの一家の指針を揺るがしかねない、災厄かもしれない。

 一度は頭に浮かんだ。この先の新しい選択肢は打ち消すことにした。女としての生き方の在り方の一つの選択肢、結婚。

 そして私はもう一度、妹三人と話合いの場を設けた。

「前言撤回します。私の判断は間違いでした。ごめんなさい。塔子さんとは(たもと)を分かちます」、と。

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