表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/16

10.コンサート

「チーフ。今週末、空いてますか?」

 部下の男性社員から、唐突に言われた。貴実子は急な申し立てに、ドキッとした。

 貴実子は百貨店の贈答品コーナーのチーフ。

 スレンダーで派手さもなく、地毛が赤茶色のストレートで、万国共通の格調高い容貌でもって、羨望の的だ。度々こういう場面に出くわす。口説かれたことは純粋に嬉しいが、私はあの一件以来、男性不審だ。

 あの一件とは高校を卒業し、入社して半年経った辺り、当時の配属先の年上のチーフと不倫関係にあった。チーフは既婚者。貴実子も年上に憧れを抱いたうら若き頃で、上司も火遊びが長く続いたものだと、割り切った関係だと思っていた。が、この男、見栄っ張りだった。

 ある年の新年会の席で、同僚の男性と貴実子が仲睦まじく話していたのが、気に食わなかったのか。その上司は酔った勢いで男性社員に、「俺の女に手を出すな!」と吠えたのだ。そうして内情が明るみに出て、その上司は左遷。貴実子も配属先の転換の辞令が下った。

 そして、何とかこうとか贈答品コーナーのチーフの地位まで這い上がってきたが、あれ以来、男ってのは食えない生き物だな、と関係を絶つようになった。

 そこから貴実子の配属店舗では、スタッフ同士の色恋は御法度。という、暗黙の了解が交わされていた。

 この男性社員(ぶか)も承知の事実だと思っていたけれど、ここでホラを吹いたら却って始末が悪い。正直に応対することにした。

「アイテルヨ」

 たったこの一言が貴実子に取っては、非常に難儀なものだった。それを受けて、

「あぁーそうですか。実は今週末、クラシックのオーケストラコンサートがありまして。うちの父の会社がそのコンサートの協賛で、チケットが余ってるんですよ。生憎、俺、仲間と飲み会で。父も仕事が入ったらしくて。余ってるそうなんですよ。よかったら行きませんか?」

 なぁーんだ。思い過ごしか。無駄に脳味噌使った。そんな口説くような遠回しな言い回し、しなきゃいいのに。スッキリして話を詰めていった。

「そのチケット何枚まで?」

「スポンサーですからね。いくらでも」

「五枚でも大丈夫?」

「勿論、いいですよ。五枚ですか?」

「ちょっと確認取らなきゃだけれど、じゃあ五枚。お願い」

「解りました」

 そうして、昼休憩の際に家族に確認を取った。

 お父さんはアウトドア派で都合が付くか怪しかったが、空けてくれるそうで、とりあえず確定。

 園美と幸枝はインドア派で時間の都合が付くのだが、何せ腰が重たいので、外出には難色を示した。しかし「オーケストラだよ。オーケストラ」と私が、力を入れて押しまくったら、渋々同意した。

 和葉は長女の私の意向で、無条件で参加させることにした。

 そして、ジュジュにとっては初のお留守番で、一家総出で週末、県民会館にワゴン車で向かった。

 夜の部の開演で普段なら一家団欒の夕食の時間だったから、お預けを食らった園美はコンサート前に、丼一杯に梅干しやら納豆やら混ぜこぜのご飯を平らげて、万全の体制で向かった。

 道中、腹一杯で睡魔の襲った園美は眠りこけ、貴実子は母の生前以来の外出に、口が滑らかだった。それとサービス精神旺盛な父さんが拍子を取り、ワゴン車は賑やかに盛り上がっていた。

 県民会館の大ホールの指定席は一階の前から三列目の舞台の真ん前で、特等席だった。

 貴実子は部下の男性社員の心配りに、邪推して申し訳ない、と思いながら特等席に着いた。そして入場口で渡されたパンフレットを見ると、さほど音楽に詳しくない貴実子でも勝手知ったる有名楽団で、再度心の内で、ありがたやありがたや、と唱えた。

 そうしてコンサートは始まった。始まりから、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」だと貴実子にも分かり、聞き覚えのある旋律に心が奪われた。そうこうして寝息が聞こえ隣を見ると、まだ寝足りないのか太っちょの園美は眠りこけ、お父さんも体力が戻ってないのに、車中ではしゃいだのが(たた)ったか? コクリコクリと首を傾げていた。そうこうして感慨に耽っていて集中していると、

 ──お姉ちゃん、お姉ちゃん。

 ともうかたっぽの隣の幸枝が、トントンと肩を叩いた。聞き入っていたので、何事かと思ったら、

 ──みんな寝ちゃった。

 と耳元で囁いた。見ると、幸枝の隣の和葉も美しいメロディーが子守唄となったか。スヤスヤと眠りに付いていた。

 ──せっかくのオーケストラなのにね。

 と幸枝に囁いたら、

 ──けど、寝る子は育つ、って言うから。

 と、五人中三人が健やかな眠りの世界に入って、コンサートはフィナーレを迎えようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ