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『鍵(カギ)による、支配と解放』・・・諧謔的物語⒁

カギによる、支配と解放』・・・諧謔的物語⒁



四方八方に物事を打ち込んで、しっかりとした土壌を創造した執筆者は、恐らく鍵を手に入れたのだ。しかし、その鍵の使い方がわからなかったら、成程、空中分解するのは目に見えていた。例えば、太陽と月の判別が明確であったその執筆者は、太陽と月が判別できない愚者に、逆位して存在を明証する。

完全があり得ないとしたら、不完全の者同士が、互いの良点を見つけて、平和を希望することは容易だろう。しかし、完全に近い人にとっては、一人でも何かを創造できるし、側に理解者が居れば、それはそれで、また、平和を希望するだろう。それもまた、一つの生き方である。



完全なる不完全とは、自由的不自由に酷似しているし、自分で創り出した鍵を、どこかへと喪失し、探すような人生を送る気がする。鍵は確かに自身をある場所へと導いたのに、それを喪失することは、一種の才能でもある。何を探す人生もまた悪くないからだ。

往々にして、そういった類の人間は、オプティミストである。死に際に、鍵が発見できれば、それで満足するのだ。それは、確かに、死によって、生が解放されることである。小説もまた、一つの生き物であるなら、執筆者は、長い長い支配から、解放されるのを待って生きている様なものだ。



また、登山者も、支配と解放に於ける原理に乗っ取って、生きていることに他ならない。その、頂点を目指して生きる姿は、苦行僧の様でもある。登山途中に使用されるテントは、鍵の様でもあるし、登っていく際の呼吸などは、一種の修行であろう。頂きからの眺めは、何かしらの達成である。

こういった、風に、様々な人々が、鍵を持って生活しているのである、まるで、不可視の世界に。こればっかりは、選ぶ権利が自由にあるから、それこそ、生きる上での快楽作法であると言っても過言ではあるまい。何れにしても、生きるということは、支配と解放で成り立っているのであろう。

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