『鍵(カギ)による、支配と解放』・・・諧謔的物語⒀
『鍵による、支配と解放』・・・諧謔的物語⒀
㈠
物事を物理的に見るあまり、精神の行き届かない処に、鍵が存在してしまう場合がある。そのような、所謂自身の不作法から、結果、失敗を打たれることもあるが、往々にして、基本的な物事の推移は順調なことが多いように感じている。
それは、一つには、執筆した小説が、小説の枠に留まらずに、寧ろ飛躍して、精神の解放にまで至っていることが自身に多々見られるからだ。そういう推移は、逆説的に精神を安定させ、小説の執筆にも好影響が出る場合が沢山あるのである。
㈡
だからといって、街行く人々を眺めては、自己と他者との相違を感じ、徹底的に自身を分解するなどして、物事を思考しないと、街の景色が判然としないのだ。そのため、支配している何か、を理解しようとするし、突き詰めようとすることは、自分にとっては問題ではなく、どちらかというと好奇心もある。
難しいことなど無いほうが良いと捉えるか、難しいことがある程、日常が充実するかは、やはり人それぞれであろう。しかし自分は、なぜか難しい方向へと精神が向く。それは、端的に言えば、一つの性格の一部からなる、鍵の解放への意識だろうと思っている。
㈢
ただ、そのような難しいことばかりに気を取られていると、精神が滅入ってくることは明らかで、時に、自分は快適な空間現象に身を任せたくなるのだ。それは、一瞬の解放である。自分で自分を解放する方法を覚えないと、精神が破滅へと向かうのは、もうある程度成長してからであった。
だから、支配と解放を自己に見るとき、その中核に位置する鍵は、年齢が行けば行くほど、自分で確保し、使用しなければいけないことを知ったというべきか。それにしても、自分で自分を追い込んで、自殺などしないように、この文章で少しでも誰かが解放されればと、此処に思うのみである。




