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第25章 血の祭壇 後半


「……え」

 グーリッジの言葉を、理解したくなくて、ディアンは固まった。

「早く持ってきた方がいいぜぇ、ディアン?」

 山賊の声が、遠く感じる。

 グーリッジの目は、本気だった。

 ロレンのうめき声が聞こえる。

「ディアン! さっさと動かんか!」

「っ!」

 叱られた子供のように反応したディアンは、クレディスの元へ歩き出した。

 クレディスが後ずさる。

「……ディアン、だめです」

「……」

 クレディスの目がロレンとディアンを行き来する。

 ディアンは、立ち止まった。

「――頂戴、クレディス」

 クレディスは剣を庇おうと動いた。

 が、その手は、空を掴んだ。

「――っ!」

「……もう、いいよ……」

 月明かりが、反射する。

 ディアンは泣きそうな顔で、


 両手で、大事そうに、クレディスの剣を握っていた。


「よし。ここへ持ってこい」

 ディアンの背が、遠ざかる。

 クレディスは、反射的に手を伸ばしたが、

 肩を掴むことも、静止させる言葉を言うこともできなかった。


 グーリッジの前にディアンが立つ。

 隣の山賊が、俯き、目に陰りのあるディアンを見た。

「いいねぇ、その表情」 

 ディアンは、震える手でグーリッジに剣を差し出した。

 グーリッジが白いポルルージュを像ごと斬る。

 破片と花びらを祭壇の上に投げ捨てた。

 

 祈りを、踏みにじった。


「……なんだよ。ディアンを斬るんじゃねぇのかよ」

 山賊は期待外れというように肩を下げた。

 グーリッジは答えず、ロレンの方に歩み寄る。

「ああ、こっちの方を刺すのね」

 山賊は楽しそうに唇を歪める。

 胸に衝撃。

「お……、」

 山賊は、何が起きたか、理解できなかった。

 せり上がってきた血を吐き出す。

「――もう用済みだ。ご苦労だった」

 心臓を突き刺した剣を、グーリッジが抜く。

 拍動の勢いのまま血が噴き出す。

 位置がずれて壊れたテントに寄りかかるように倒れて、血が流れた。

 地面に落ちた血が溝に沿って、赤い海が広がっていく。

 いつも、親父のテントの下のあった、円の溝。

「――」

 ロレンが、声にならない悲鳴を上げた。

 血に染まった剣を満足そうに見つめていたグーリッジが、次の指示を出す。

「ディアン、聖杯を出しなさい」

 腰につけたままの宝。

 渡したくない。

 ディアンの手が袋を庇った。

「早くしろ!」

 びくっと身体が強張る。

 ディアンは、腰に付けていた布を外し、聖杯を取り出した。

 グーリッジが聖杯を手に取ると――

「あぐっ!」

 なんの躊躇もなく、ロレンの二の腕に剣を刺し、抜いた。

 流れ落ちる血で、聖杯を満たす。

 グーリッジは満足げに鼻を鳴らした。

 そして、クレディスの方に顔を向ける。

「そこから、動くなよ? 動いた瞬間に……」

 いまだ血が伝い流れるクレディスの剣を、ロレンに向ける。


 ――なんだ、これ……。


 ディアンは、暗闇に突き落とされた感覚に陥った。

 息が、うまく、できない。


 宝。

 折れた剣。

 クレディスの剣。

 祭壇。

 血。


 ――なんで……こんな。


「ディアン」

 心臓を鷲掴みにされる。

 グーリッジの低い声が、頭上から容赦なく降り注いだ。

「――祭壇の準備をしなさい」

「……」

 ディアンは、従った。

 従うしかなかった。 


 山賊の身体ごと、押し退けるようにしてテントをずらして――、

 ロレンの言葉を聞きながら、宝を決められた位置に置いた。


 円の外側に。

 王冠を北、南西に聖杯。

 破片は、円の中にすべて収まっていた。


 後は――。


「よくやった。最後だ」

 グーリッジは、クレディスの剣を差し出す。

 これを、南東に刺せば、完成。

「……」

 ディアンは、伸ばした手を、

 止めた。

「……どうした? 早く受け取らんか」

「……無駄だよ。クレディスの剣じゃ、発動しない」

 ディアンは、目を伏せたまま言った。

 脳裏に、浸食されたときの記憶が蘇る。

 あの剣は、あれ自身が、悪魔だった。

 錆びに見えたのは、鱗。

 それを折った瞬間に、声も消え失せた。


「代用なんて、できるわけない、だろ……」

「……」


 グーリッジが沈黙した。

 耳が痛いほどの静寂。

 だがそれはすぐに破られた。


「――本当に、そうだと思うかね?」

「え……?」


 グーリッジは、剣を突き出す。

 ディアンは、恐る恐る持った。


『――血の祭壇に、突き刺せ』

「――ッ!」


 頭に、あの声が響いた。

 クレディスの剣が、醜いうろこに覆われて、赤く光っている。

 いや――違う。

 これは、幻覚。

 理性の間に、悪魔が入り込んでくる。

 月夜に照らされて、血塗られた舞台で。

 実際に人を斬った剣は、悪魔に乗っ取られた。 

 ディアンの身体が、動かされる。 

 血の祭壇。

 空白の場所。

「――い、嫌だ! やめろ!」

 そのまま、大きく振りかぶって、

 ――剣先を地面に突き立てた。


 刹那。

 円の中心から突風が吹き荒れ、ディアンの身体は容易く宙を舞った。

 膨大なエネルギーが解き放たれ、稲妻が走り回る。

 空と大地が一本に繫がったかのように、眩い光と砂埃が視界を覆い尽くした。

 ゴロゴロと地面を転がり、木に衝突する。

 鳥が一斉に飛び立ち、青白い稲光が何本も走った。

 やがて静寂が戻った。

 ゆっくりと瞼を開く。

 青白い光の柱が、祭壇から空へ立ち上がり、森を照らしていた。

 その光が、ある一点で途切れた。

 どす黒い何かが、地上に腕を伸ばす。

 地面を掴む腕が力を込め、一気に身体を引きずり上げた。


 人間よりも大きな体躯。

 赤い目。

 黒い鱗に覆われ、長い爪が鋭いナイフのように光る。

 涎が、地面に落ちた。

 二匹目。

 三匹目。


 光を遮り、次々と同じものが這い出てくる。

 辺りは、腐臭に近い生臭さと、獣じみた雄叫びに満たされた。

 何匹かが羽を広げ、どこかに飛んでいく。

 世界が、悪魔に塗り替えられていく。

 その時。


「うわああ!」


 ロレンの叫び声がこだました。

 ディアンと同じように吹き飛ばされたらしく、

 祭壇から少し離れた広場で、尻もちをついて後ずさる。

 光から出てきた悪魔はすべて、においを嗅ぐ動きの後、

 ロレンの方を向いた。


 ――血。


「ロレン!」

 ディアンが駆け出す。

 数メートル離れた場所に、山賊が使用していたナイフが月明かりを受けて輝いていた。

 迷わず手に取る。

 今にもロレンの身体を裂こうと、爪を振り上げている悪魔の首を狙って跳躍。深く刺さるように体重を乗せ、全力で掻き切った。

 青紫色の血が噴き出す。

 首を切られた悪魔は、地面に倒れ伏した。

「あ……あ……」

 ロレンはガタガタと震え、浅い息を吐く。

「ロレン! 立て! 走れ!」

 ディアンはロレンの肩を揺らす。

 どこか焦点があっていなかった瞳が、一点を見る。

「ひっ……」

 ディアンは振り返ることなくロレンごと身体を倒し、地面に伏せる。

 頭上を横から薙ぐように悪魔の腕が横切った。

 空振った爪は、他の悪魔に深く突き刺さり、雄たけびが耳を劈いた。

「ロレン立て!」

 囲まれる寸前、ほぼ引きずるように悪魔の間を移動する。

 爪の猛攻。

 ディアンはロレンごと右へ左へゴロゴロ転がりすぐに立たせ、息も絶え絶えに身を翻らせ、森を目指した。

 背筋がぞわりと粟立った。

 すぐ背後。

 ディアンはロレンを突き飛ばした。


「――うぐっ!」 

 背中に鋭い痛み。続いて熱さ。ディアンの身体が地面に投げ出された。手に持っていたナイフが茂みの中に消える。

 反射的に振り返ると、ディアンの血が付いた爪を美味そうに舐める悪魔と目が合った。

 その爪には、赤だけじゃない、

 悪魔の青紫の色がついていた。





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