第9話
半月前――
あの雨の日、ルティアは、アルトスを傷つけたシレーヌを許せないという気持ちを、他ならぬ当人に伝えた。
ルティアの見立てでは、能力だけを見れば今期の聖女に選ばれるのはシレーヌの可能性が最も高く、もし本当にそうなってしまった場合は、聖女降臨の儀を利用して、彼女に顔を灼かれたことを公表するとアルトスに語った。
そんなことをすれば、聖女降臨の儀は台無し。
大陸諸国の王族の前で面子を潰された王国が、自分のことを許すとは思えない。
自分を家に住まわせているアルトスも、許されないかもしれない。
だからこそ、本当に自分と――こんな女と一緒にいていいのかと、ルティアは恐る恐る訊ねたが。
かえってきた言葉は、とても嬉しくて、とても予想外のものだった。
『そういう話なら、僕にも手伝わせてくれ』
君のやることに便乗するみたいで情けない話だが、モラン公爵と決別するという意味では良い機会かもしれない――と、申し訳なさそうに付け加えながら、アルトスはそう言ってくれた。
その後、アルトスが王都で情報を収集して、シレーヌが聖女に選ばれたことを知り、ルティアがシレーヌと、アルトスがダルードと対峙する形になるよう計画を練って、実行に移した。
アルトスが開発した、首に巻くだけでその者が誰であるのかをうまく認識できなくなるスカーフの呪具を用いて、祭祀場に潜り込み。
アルトスは執事に扮し、ルティアは、本来巫女を務めるはずだった女性を魔術で眠らせ、代わりにシレーヌを先導した。
全ては衆人環視の前で、彼女の悪事を白日の下にさらすために。
◇ ◇ ◇
「ルティア・ルース!? どうして奴が巫女を務めている!?」
動揺を吐き出す、ダルード。
だが、彼を最も動揺させたのは、内心で済ませていたはずの言葉が、なぜか口から吐き出されたことだった。
「待て……おかしい……何かがおかしい……!?」
そんな心中すらも口に出す自分に、ますます動揺するダルードだったが。
先程自分に白ワインを供した執事が、首に巻いていたスカーフを剥ぎ取った瞬間、動揺は最高潮に達した。
「アルトス!? 卑しい呪術師の貴様が、なぜここにいる!?」
「卑しい、ですか。やはり僕のことを、そんな風に思っていたのですね」
自嘲を浮かべるアルトスを前に、ダルードは「まずい……何かがまずい……!」と口にしながらも、護衛の兵士に命じる。
「おい! 何をボサッとしている! さっさとこいつをつまみ出――」
「必要ない」
だが、国王の鶴の一声に、ダルードの護衛は動きを止めてしまう。
「あちらはあちらで気になるが……」
国王は、祭祀場で対峙するルティアとシレーヌを横目で一瞥した後、アルトスに視線を移す。
「我輩も、噂の天才呪術師とは一度話をしてみたいと思っておったのでな。この際だ、語りたいことがあるなら好きに語ってよいぞ、アルトスよ」
「な……ッ!? 事態の収拾も図らずに何を言っているッ!? 他国の目はどうしたッ!? この節穴国王がッ!!」
言ってから、ダルードは顔を青くしながら両手で口を塞ぐ。
物理的に口を塞げば、確かにこれ以上余計なことを口走る心配はなくなる。が、それを実行に移すタイミングとしては、遅きに失するどころの騒ぎではなかった。
国王はいっそ愉快そうに笑いながら、アルトスに訊ねる。
「貴様は執事に扮して、ダルードにワインを供していたな。さては、ワインに何か盛りおったな?」
「仰るとおりです、陛下」
愛想が尽きた王国の王とはいえ、相手が相手だからか、アルトスは常以上に緊張しながら言葉をついだ。
「陛下も知っておいでかと思いますが、かつて僕が開発し、受け取りを拒否された、聞かれたことになんでも答える呪いにかかる飲水の呪具。それを改良した、思ったことを全て言葉に出してしまう呪いにかかる飲水を、モラン公爵の白ワインに含ませました」
アルトスにしては珍しく、遠回しに相手を糾弾する言葉だった。
だったから、国王が心底不快げに眉をひそめるのを見て、思わずビクリと震えてしまった。
もっとも、
「ダルードよ。今の話、どういうことか説明してもらおうか?」
不快を覚えたのは自分ではなくダルードであったことを知り、アルトスは目を丸くする。
一方のダルードは、ますます顔を青くしながら、何を言い出すかわからない自分の口を力尽くで塞ぐばかりだった。
「その口をこじ開けるのも一興だが……開いたら開いたで不愉快な思いをさせられるやもしれんからな。貴様の口から聞かせてもらうとしよう」
そう言って、国王はアルトスに視線を送る。
実のところアルトスは、ダルードの命令は、レアム王国の命令そのものだと思い込んでいた。
なにせダルードは、この王国の防諜を司っているのだ。
国王の許しを得た上で、捕らえた敵国の間者に対して、情報を引き出すよりも苦痛を味わわせることを優先していると思っていた。
だが、
(陛下とモラン公爵の様子から察するに、僕の認識違いだったのかもしれないな)
反省と同時に、この好機を逃すまいと思ったアルトスは、ダルードの命令でどういった呪具を作ってきたのかを、それに反発した自分の言葉を全く聞き入れてもらえなかったことを、「人の役に立てる呪具を作りたい」という希望を鼻で笑われたことを、洗いざらい伝えた。
「……度し難いな」
全てを聞き終えた国王が、呆れ混じりに吐き捨てる。
ダルードの青い顔には「今すぐにでも反論したい」と書かれていたが、アルトスに盛られた呪具のせいで何も喋れず、ダルードのことを快く思っていない王侯貴族に退路を塞がれているせいで、逃げることすらできない状況に陥っていた。
「貴様が盛られた呪具にしろ、その元となった呪具にしろ、間者から情報を聞き出すという意味ではこれほど有用なものはない。にもかかわらず、貴様は嗜虐趣味を満たすことに腐心し、尋問そのものを疎かにした。その罪……貴様が思っている以上に重いぞ、ダルードよ」
国王は近衛兵に目配せをし、ダルードを拘束する。
「わ、私をどうする気だッ!? 馬鹿な真似はやめろッ!! この王国の防諜がどうなってもいいのかッ!? それとも何かッ!? そんなこともわからんほどに節穴なのかッ!? この馬鹿国王がッ!?」
許しを乞うための言葉が吐けず、醜悪な本心ばかりが吐き出されるせいで、ダルードの顔色はすっかり真っ青になっていた。
己に対する罵倒を涼やかに聞き流した国王は、アルトスに問う。
「して、アルトスよ。呪具は他にどのようなものを持って来た」
「認識阻害のスカーフと、本心を喋らせる飲水、あとは、いざという時のために備えて自衛に使える物と……」
言葉を切り、逡巡するアルトスに、国王は「遠慮せず申してみよ」と言う。
それで決心を固めたアルトスは、少しばかり自己嫌悪が混じった声音で言葉をついだ。
「僕がモラン公爵に作らされたものの中で最も忌み嫌っている、相手を傷つけることなくただ激痛を与えるだけの液体型の呪具を……持って来ました」
「あわよくば、この痴れ者に味わわせてやろうと思ってか?」
ダルードを見やりながら、国王は問う。
本心に従ってダルードが罵倒を吐き散らす中、アルトスはぎこちなく首肯を返した。
「貴様は先程、『人の役に立てる呪具を作りたい』と、ダルードの使いに訴えたと言っておったな」
「……はい」
「その思想どおり甘いな。我輩が貴様の立場だったならば、ただ激痛を味わわせるだけの呪具で済ませようなどとは、決して思わなかったであろう」
その言葉にダルードが引きつるような悲鳴を上げ、アルトスは少しだけ苦みの混じった顔をする。
(やはり、陛下もそう思――)
「だが貴様の甘さ、そう嫌いではないぞ」
思わぬ言葉に目を丸くするアルトスに、国王は命じる。
「我輩自らが命じる。アルトスよ。浴びせかけた者に激痛のみを与える呪具を、我輩によこせ」
国王の言うとおり根が甘いのか、それとも大切な人の影響か、これから国王がやろうとしていることを察したアルトスは、王命を受けてなお逡巡してしまう。
そんなアルトスに、国王はほんのわずかに頬を緩め、
「なんだったら、貴様に『やれ』と命じてもよいのだぞ?」
脅すような内容とは裏腹の、どこか冗談めかして物言いで言った。
是非もないことを悟ったアルトスは、諦めたようにため息をつきそうになり、さすがに国王の御前でそれは失礼だと思って無理矢理噛み殺してから、件の液体が入った小瓶を渡した。
受け取った国王は迷うことなく小瓶の栓を開け、近衛兵に拘束されているダルードの前に立つ。
これから自分が何をされるのかを理解していたダルードは、震えた声音で、懇願という名の罵倒を国王に浴びせかけた。
「ば、馬鹿……やめろ……それでも国王か? そんなだから貴様は……事ここに及んで私を切り捨てるという……愚鈍な決断を下すのだ……愚図国王……!」
国王はそれを鼻で笑うと、容赦も躊躇もなく、ダルードの顔面に液体を浴びせかけた。
次の瞬間――
この世のものとは思えない悍ましい悲鳴が、貴賓席に響き渡った。
◇ ◇ ◇
時は、ルティアが認識阻害のスカーフを剥ぎ取った直後に遡る。
「ルティア!? どうしてここに!?」
驚きのあまり思わず呼び捨てにしてしまったシレーヌを、ルティアは呆れ混じりに指摘する。
「いいのですか、シレーヌさん。聖女ともあろう者が、そのように言葉遣いを乱して」
業腹だが、ルティアの指摘は正しい。
ゆえにシレーヌは、凄まじい努力を要して笑顔と言葉を取り繕いながら、ルティアに皮肉を返した。
「これは失礼。まさかあなたが、逆恨みでわたくしの晴れ舞台を台無しにするなんて思ってもいなかったので」
「そうですね。正直に言うと、わたし自身もこんな大胆な真似をしていることに驚いています」
あえて混ぜ込んだ「逆恨み」という言葉を無視され、シレーヌは内心舌打ちする。
(まあ、いいですわ。こんなところまで出しゃばったところで、結局は衛兵に捕まって終わるだけですもの)
祭祀場を取り囲む円環型の建物、その内側に設けられた二箇所の出入り口からは、すでにもう複数人の衛兵が飛び出し、闖入者を捕まえるべく舞台に駆け寄ろうとしていた。
だが、
「みなさん! 知りたくはありませんか! 誰が、どのようにして、わたしの顔を灼いたのかを!」
不思議とよく通るルティアの声が響き渡った瞬間、事態を面白がった観客たちが、舞台に上がろうとした衛兵たちに罵声を浴びせかける。
「引っ込めクソ衛兵ッ!」
「普通に儀式するよりも、こっちの方が面白いだろうがッ!」
「それとも何? その娘に喋られたら不都合なことでもあるのかしらッ!?」
観客たちを敵に回してまでルティアを捕まえる勇気はなかったのか、狼狽した衛兵たちが舞台の前で二の足を踏み始める。
「何をしていますの!? さっさとこの女をつまみ出してくださいまし!」
業を煮やしたシレーヌが、命令するような口調で衛兵たちに言うも、
「聖女様、少々お待ちください。本当に彼女を捕らえてよいものか、今確認に向かわせますので」
その言葉どおり、舞台下に集まっていた衛兵の一人が、建物の方へと戻っていった。
何を悠長なことをしてますの!!――と、怒鳴りつけたい気分だったが、そんなことをしてしまったら、いよいよ観客たちに「喋られたら不都合なことがある」と思われてしまうかもしれない。
かといって、このままルティアに喋らせるのはもっとまずい。
これほど大勢の人間が集まった状況では、防諜を司るモラン公爵家の力を総動員しても、不都合を揉み消すことはできない。
半年前にルティアを陥れた時は各方面に根回しをするだけで事足りたが、今回は根回しをするにしても数が多すぎる上に、そもそもレアム王国の王侯貴族や、大陸諸国の王族たちが根回しに応じるとは思えない。
聖女降臨の儀が執り行われる、最も衆人環視の目が集まるこのタイミングで、ルティアにあんな発言をされてしまった時点で、状況は完全に詰んでしまっていた。
このままでは本当の本当にまずい――そう思ったシレーヌは、縋るような目で貴賓室を、そこにいる父ダルードを見上げるも、向こうは向こうで国王に詰め寄られているのを見て青ざめる。
何がどうなっているのかは皆目見当もつかないが、ダルードもまた危機的状況に陥っているのは火を見るよりも明らかだった。
いよいよ涙目になったシレーヌが、ルティアに視線を戻す。
それを待っていたかのように、死刑を宣告するように、ルティアがこちらを指で差してくる。
そして、
「わたしはっ! そこにいるシレーヌ・モランに、治癒術が効かない液体を浴びせられてっ!」
ルティアは顔帯を剥ぎ取って、見るも無惨に灼け爛れた素顔を曝け出し、
「顔に一生消えない傷を負わされましたっ!!」
大音声で、自分が受けた仕打ちをこの場に集った全員に伝えた。
わずかな静寂を挟んだ後……観客席に地鳴りめいたどよめきが拡がる。
「おいおい! 聖女様はそんなひでぇことをやらかしたのかよ!?」
「あの顔……気持ち悪い……」
「人間のやることじゃないぞ!?」
「ウ、ウソですわっ!!」
どよめきに負けない大音声で、シレーヌは否定する。
「あ、あの女が言ってることは全てデマカセですわっ!! そもそも『治癒術が効かない液体』なんて存在しますのっ!? そんなもの、見たことも聞いたことも――」
「ありますよ、ここに」
そう言ってルティアが懐から取り出した小瓶を見て、いよいよシレーヌの顔が真っ青になる。
「ハ、ハッタリよ……」
「そう言うのでしたら、試してみます?」
ルティアが小瓶を手に、こちらに歩み寄ってくる。
自然、シレーヌの足が後ろへ後ろへ下がっていく。
「試すって……どうやって?」
「もちろん、小瓶の中の液体を、シレーヌさんの顔に浴びせて」
醜く灼け爛れた顔の気味悪さと合わさって、どうしようもないほどにルティアに恐れ戦いてしまったシレーヌは、引きつるような悲鳴を上げながら尻餅をつく。
「や、やめて……」
涙を流して懇願するも、全く響かなかったのか、ルティアはどこまでも冷めた目をしていた。
「お願い……許してぇ……」
シレーヌの目の前で足を止めたルティアは、小瓶の栓を開けながら淡々と答える。
「わたしの顔を灼いた件については、シレーヌさんが本当に、心の底から反省しているのであれば、許して差し上げても構いません」
その言葉を聞いて、シレーヌは靴を舐めかねない勢いでルティアに縋りつく。
「は、反省してます! 心の底から反省していますっ!」
そんな命乞いにも似た言葉を聞き流すと、ルティアはその視線とは比べものにならないほどに冷たい声音で告げた。
「ですが、あなたがアルトスさんを傷つけたことは、わたしは絶対に許しません」
「……え? 何を言って……」
わたくしはただ、アルトス様に真実を伝えて、あなたと別れるよう仕向けただけ。
卑しい平民のあなたが傷つくならまだしも、どうしてアルトス様が傷つくの?
あなたみたいな女と一緒になるより、別れた方がアルトス様にとって余程幸せなのに、どうして彼が傷つくの?
そんな疑問が顔に出ていたからか。
ルティアは微塵の躊躇もなく、小瓶の中に入った液体をシレーヌの顔面に浴びせかけた。
「ぎゃあぁああぁああぁあぁああぁあぁっ!!」
獣じみた悲鳴が、観客席中に轟く。
「この女っ!! やりやがったっ!! わたくしの美しい顔にっ!! 顔にぃぃいぃぃぃっ!!」
両手で顔を押さえ、悶え苦しむシレーヌは、気が動転するあまりすぐには気づくことができなかった。
ルティアが浴びせかけた液体が、ただの水に過ぎないことを。
自分が今、ありもしない激痛に悶え苦しんでいるのは、ただの思い込みに過ぎないことを。
シレーヌの醜態に観客の多くが引く中、ルティアは、アルトスに買ってもらった顔帯を巻き、続けて、認識阻害のスカーフを首に巻く。
突然ルティアの存在をうまく認識できなくなったことで、小波のような動揺が観客席に拡がる中、当のルティアは一人静かに祭祀場から立ち去っていった。