エピローグ
祭祀場から立ち去ったルティアは、同じく認識阻害のスカーフを巻いたアルトスと合流し、誰にも気づかれることなく王都を後にした。
スカーフの呪具は、首に巻くだけでそれを装着した者が何者であるのかをうまく認識できなくなる効果があるが、実のところ、装着者との結びつきが極めて強い相手に対しては全くと言っていいほど効果がなかった。
呪いを跳ね返すほどの絆で結ばれたルティアとアルトスは、お互いにスカーフを巻いた状態であるにもかかわらず、当然のようにお互いを認識し、お互いの事の顛末を報告し合っていた。
「じゃあ、相手を傷つけることだけを目的にした呪具を作るよう命じていたのは……」
アルトスは首肯を返し、ルティアの代わりに言葉をつぐ。
「モラン公爵の独断で、国王はおろか、他の王族や大臣も知らなかったようだ。それはそうと……」
どこか嬉しげな苦笑を浮かべ、今度は自分自身の言葉をつぐ。
「結局、〝アレ〟は使わなかったか」
「どのような理由にせよ、やっぱり〝アレ〟を使うのは違うかな……って思いまして」
実はルティアは、水が入った小瓶と一緒に〝アレ〟――治癒術が効かない溶解液が入った小瓶も懐に忍ばせていた。
成り行き次第では、本当に、治癒術が効かないことを実演する必要が出てくるかもしれないと、ルティアの意思で、水の小瓶と一緒に忍ばせていたのだ。
ちなみに水の小瓶は、溶解液を使った際の応急処置用として、アルトスが持たせたものだった。
確かに、溶解液の呪具によって灼け爛れた傷には治癒術が効かないが、治癒術を用いない応急処置に関してはその限りではない。
溶解液がかかった箇所を直接洗い流し、患部を冷やせば、傷の悪化を最小限に抑えることができるのだ。
アルトスは開発者ゆえにそのことを知っていたため、ルティアが溶解液を誰にどのように使うにしても備えは必要だと思って、彼女に水の小瓶を持たせた次第だった。
「とはいえ、備えの水をハッタリに使うとは思わなかったがな」
「ごめんなさい……」
まさか謝られるとは思ってなかったアルトスは、慌ててかぶりを振る。
「せ、責めているわけじゃない。むしろ僕は感心してるんだ。君に負けないくらいの胆力があれば、モラン公爵の断罪を陛下に頼るなんて情けない真似は、せずに済んだだろうからな」
「いいんですよ、アルトスさんはそれで。人の役に立てる呪具を作る人が、あんな悪意に満ちた呪具を使うのは、それこそ違いますから」
あんな悪意に満ちた呪具とは、国王がダルードに浴びせた、相手を傷つけることなくただ激痛を与える液体型の呪具であることはさておき。
ルティアの言葉に全面的に同意だったアルトスは、一言「そうだな」と返した。
その後――
シレーヌと、父親のダルード・モラン公爵は、王国から厳しくない尋問を受けることとなった。
正確には、国王がアルトスに要請し、作らせた、聞かれたことになんでも答える呪いにかかる飲水の呪具を使用したため、厳しく尋問するまでもなく、二人から必要な情報を引き出すことができた。
ちなみに、思ったことを全て言葉に出してしまう呪いにかかる呪具については、シレーヌにしろダルードにしろ余計な罵詈雑言が多くなる可能性が高く、尋問が進まない恐れがあったため、使用されることはなかった。
シレーヌからは、ルティアの顔を灼いた事件に関わった者、モラン公爵家の根回しを受け、ルティアを聖女の園から追放されるよう仕向けた者たちの情報を引き出し、その者たち全員に相応の罰を与えた。
その中には、園長も含めた聖女の園の関係者が複数交じっていたため、後日、大陸諸国の王族たちを交えて話し合い、聖女の園の運営は刷新されることとなった。
もっとも、刷新が良い方向に向かうのか、より悪い方向に向かうのかは、神のみぞ知るところではあるが。
ルティアはあくまでもシレーヌのことが許せなかったため、あえて名前には挙げてなかったが、リアラとエスメルがシレーヌに協力していたことも尋問によって発覚した。
主犯格ではなかったこともあって、王国は二人を獄に繋ぐような真似はしなかったものの、シレーヌに協力してルティアの顔を灼いた実行犯であったことに関しては、これこそが罰だとばかりに王国中に公表された。
その後、リアラとエスメルがどういう人生を送ることになったのかは推して知るべし。
主犯のシレーヌは、言うまでもなく聖女の座を剥奪され、ルティアの顔を灼いた件も含めて余罪が多数発覚したため、獄に繋がれることとなった。
父親のダルードに関しては、国王はあえて獄に繋ぐことはしなかった。
尋問用に作らされたアルトスの呪具は、その多くが非人道的であるがゆえに、王国内では機密扱いにされている。
そしてそれは、ダルードがあえて報告しなかった一部を除けば、国王も知るところだった。
王国のためならば、非人道的な手段も辞さない。
しかしそれは〝必要とあらば〟の話であって、やる必要がなければ、進んでそのような手段は用いたりしない。
その程度の清濁を併せ呑む度量を、国王は持ち合わせていた。
兎にも角にも、機密扱いされている呪具を、ダルードは娘のワガママを叶えるためという私的な理由で持ち出し、悲劇を起こした。
それだけでも獄に繋ぐ理由としては充分だったが、国王の決定によりそうはならなかった。
その理由の一つとしては、ダルードの頭の中にある防諜の手練手管を、牢獄の中で腐らせる余裕が王国にはない点にあった。
ゆえに国王は、モラン家を男爵家に降爵し、領地の七割を接収した上で、ダルードには複数人の監視をつけ、防諜の責務を全うするよう命じた。
同時に、監視につけた者たちには、ダルードの傍で防諜の手練手管を学ばせて、「いつ切り捨てても構わないのだぞ」と彼に圧力をかけさせた。
そして、国王がダルードを獄に繋がなかった最大の理由は――
「来ないでって言ったでしょっ!!」
王城の地下にある牢獄で、シレーヌの金切り声がこだまする。
今の言葉は、娘を心配して面会にやってきたダルードに向けられたものだった。
「そ、そう言われてもだな、私はお前のことが心配で――」
「だったらさっさとここから出しなさいよっ!! この役立たずっ!!」
綺麗だった金髪がボサボサになり、薄汚い囚人服を着せられ、衣食住が整った貴族用の牢獄ではなく、不衛生な平民用の牢獄に繋がれた愛娘に罵倒されて、ダルードは今にも泣きそうな顔になっていた。
娘のためならば機密扱いの呪具を持ち出し、防諜を司るモラン家の力を総動員してでも根回しをする程度には、ダルードは親バカだ。
ゆえに、愛娘の落ちぶれた姿を見せられることも、顔を出すたびに罵詈雑言を浴びせられることも、ダルードにとっては獄に繋がれるよりも余程つらい、最上級の罰だった。
「とにかくっ!! 今すぐわたくしをここから出しなさいっ!! それができないならもう二度とわたくしの前に、その脂ぎった顔を見せないでちょうだいっ!! このグズっ!!」
娘の口から出てきたとは思えない罵声を浴びながら、ダルードは思う。
防諜を司っていたせいもあってか、ダルードは自分が、人として性格が悪い部類に入っていることを自覚している。
しかし、その自覚があってなお、こう思わずにはいられなかった。
(あの節穴国王め……! 私よりも余程性格が悪いではないか……!)
と、心の中で罵倒したものの。
思ったことを全て言葉に出してしまう呪いにかかる呪具のせいで、盛大に落ちぶれてしまったトラウマになっていたせいか。
急にこみ上げてきた吐き気を堪えきれず、ダルードは思わずその場で吐瀉してしまう。
目の前でゲロを吐かれたシレーヌが、さらなる罵詈雑言をダルードに浴びせたのは、最早言うまでもなかった。
◇ ◇ ◇
一ヶ月後。
「思った以上に、荷物が多くなってしまいましたね」
「……そうだな」
この日のために購入した幌馬車の、荷台に積んだ荷物を眺めながら、ルティアとアルトスは苦笑する。
望外なことに恐れていた王国からの処断はなく、ダルードの件で逆に王国から感謝されてしまったため、二人は気兼ねなく〝これから〟について話し合うことができた。
その結果、以前ルティアが提案したとおり、二人で落ち着いて暮らせる場所を見つけるための旅に出ることに決め、本日、決行した次第だった。
「しかし、本当に良かったのか? 聖女になってくれという申し出を断って?」
一ヶ月前の事件でシレーヌが獄に繋がれたことで、今期の聖女の座は空席になってしまった。
加えて、ルティアが顔を灼いたのも、そのせいで聖女の園を追放されたのも、全てはシレーヌが原因であることが発覚した。
これらの理由により、顔を半分灼かれたことに目を瞑れば彼女こそが聖女にふさわしいという話になり、ルティアに聖女になってほしいという申し出が届いた。
ルティアはそれを、未練も躊躇もなく断ったのであった。
「聖女候補だった時からそうでしたけど、わたしなんかが聖女なんて恐れ多いですし。それに……レアム王国はもう、アルトスさんと落ち着いて暮らせる場所ではなくなりましたから」
顔を赤くしながらも強調するルティアに釣られて、アルトスも顔が赤くなる。
答えそのものは予想どおりだったが、面と向かって言われた上に、そんな顔までされてしまっては、アルトスも気恥ずかしさを抑えることができなかった。
断る理由が自分と全く同じだった分、余計に。
これはルティアには内緒にしている話だが、アルトスはアルトスで国王から直々にとある申し出を受けていた。
数日前――
『アルトスよ。この我輩に直々に仕える気はないか? 人の役に立てる呪具を作りたいという要望に関しても、出来うる限りの便宜は図るぞ』
申し出としては破格すぎて、謀られているのではないかと疑いたくなるところだが。
とんでもないことに国王は、アルトスに、思ったことを全て言葉に出してしまう呪いにかかる呪具を持ってこさせた上でそれを飲み干し、その上で提案したのだ。
つまり、国王の申し出に嘘はない。
正直、受ける以外の選択肢はないと言いたいところだが、
『申し訳ありません! その話は受けられません!』
アルトスは微塵の迷いもなく、深々と頭を下げて断った。
『理由を申してみよ?』
声音そのものは、半ば予想していたかのような穏やかさだが、それでも、アルトスは冷汗が止まらない思いだった。
『実は……ルティアと、二人で落ち着いて暮らせる場所を探す旅に出ることに決めまして……その……今の王国は、ルティアにとって、到底〝落ち着いて暮らせる〟場所とは言えませんので……』
恐る恐る、嘘偽りなく答える。
一ヶ月前の事件を経て、ルティアはレアム王国において、国王以上の有名人になってしまった。
〝顔の右側を隠している美少女〟というわかりやすい目印がある以上、王都で暮らそうが辺境で暮らそうが、王国内にいる限り騒がれるのは避けられない。
他国にもルティアの名前と特徴が知れ渡っている可能性は充分あるが、それでも、王国内ほど騒がれることはないだろう。
それは国王もわかっていたようで、
『くっくっくっ……』
わずかな沈黙の後、堪えきれないとばかりに笑い声を漏らした。
『惚れた女子のためか。ならば仕方あるまいな』
呪具によって、国王は本心しか話せなくなっている。
だからこそ今の言葉は、アルトスにとっては望外なまでに嬉しいものであり、穴があったら入りたいくらいに恥ずかしいものでもあった。
顔を赤くするアルトスに、国王はいよいよ笑い声を上げるも、ふと我に返ってこんなことを訊ねてくる。
『そういえばこの、思ったことを全て言葉にしてしまう呪具、いつまで効果が続くのだ?』
聞けば、二時間後に他国の王と会談するという話らしく、珍しくも国王は焦りを露わにしていた。
アルトスは苦笑を堪えつつ、「効果は一時間足らずで消えますよ」と答えた。
時は現在に戻り――
「……そろそろ、出発しようか」
いまだ火照りが収まっていない顔で、アルトスは言う。
「……はい」
同じく火照りが収まっていない顔で、ルティアが答える。
二人仲良く並んで御者台に座り、馬車をゆっくりと走らせるも、
「「……あ」」
車輪が小石に乗り上げたせいで馬車が揺れてしまい、期せずして二人の体が密着してしまう。
引きかけていた火照りが再び二人の顔を熱くしたのも束の間、二人して飛び跳ねるような勢いで後ずさろうとするも、狭い御者台には逃げ場らしい逃げ場などあるはずもなく。
観念したルティアとアルトスは、気持ち後ずさったまま、されど申し訳程度に体を触れ合わせたまま、二人の進展を表すような遅さでゆっくりと馬車を走らせた。
FIN




