9話 アズリア、頬を伝う涙の理由
一度は指で拭った涙が。目に溜まった分が溢れ落ち、再び頬に流れ落ちる。
しかし、アタシは。
「でも……何で?」
何で自分が泣いてしまったのか──その理由が気になる余り、頭の中を探り始めてしまう。
確かに今、アタシらは。養成所の半年をほぼ一緒に過ごし、厳しい訓練を潜り抜けてきた四人と変わらぬ友情を誓い合った。
誓った瞬間こそ、手を重ね合っていた三人が照れ臭そうに頬を赤くしていたのは覚えているが。
何故、アタシだけが特別に感極まってしまったのか。
その答えは、案外簡単に辿り着けた。
「……そうだ。アタシには──」
一六年間過ごした故郷では。黒い肌色を「忌み子」と嫌悪され、加えて、常人を遥かに超える怪力まで有していたアタシは。街の住民ら全員から避け続けられてきた過去から。
「これまで『友達』と呼べる相手なんて、いなかったもんな……」
読み書きや基礎魔法の事を教えてくれた老魔術師や、衛兵のヒューといった、アタシを嫌悪せずにいてくれた人物も中にはいたが。
大人の態度に倣った同世代の子供らが、こちらと仲良くなろうなどする筈もなく。
アタシは、常に孤独だった。
環境が変われば、自分の立場も変わるかと期待を抱き、アタシは養成所へとやって来たが。
養成所では、さすがに罵声や石を浴びせられる事は無くなったものの。ナーシェンとの一件からアタシは完全に恐れられ。他の訓練生らからは、一定の距離を空けられてしまっているのが現状だった。
「強がっては見せてたものの、アタシはきっと……心のどっかで求めてたのかもしれないね。友達、ッて存在を」
だからこそ余計に、ランディら三人との誓いがアタシには嬉しかったのかもしれない。
何しろアタシが一六年もの間、望み続けていた事が突然叶ってしまった瞬間。孤独に負けまいと張り詰めていた心が、不意に緩み。
感情が昂り、涙を抑え切れなかったのだろう。
アタシが泣いた理由を突き止めた──その時だった。
「……い。おいアズリアっ? アズリア!」
ふと意識を元に戻したアタシは、自分の身体が揺れている事にまず驚き。
しかも我に返ったアタシの眼前には。両肩を掴みながら厳しい表情を浮かべ、アタシの名を何度も呼び掛けるランディの顔が間近にあったのだから。さらにアタシは驚いた。
「へ? へ、ッ?」
「何、泣きながら呆けてるんだよ。心配しただろうがっ!」
「し、心配されてるのかい、アタシ……」
確かに思考に耽り、瞬き程度には呆けていた事は認めるが。
考え事をしていたのはほんの一瞬であり、ランディが心配する程ではないと思ったアタシだったが。
横から呆れたような口調で割り込んてきたのはサバランだ。
「……そりゃ、身体を揺らしても何度名前を呼んでもずっと呆けたまま。ランディでなくても何かあったかと思うだろ?」
「は? な、何度も、だって?」
アタシの疑問を浮かべた目線を向けられた三人は、無言で頷いて答える。
何しろ自分の感覚では、放心していたのはほんの一瞬。三人が心配する程ではないと想像していたのだが。
どうもアタシの想定と、三人の反応とが食い違っていたのだ。
すると、これまで話の輪の外にいたイーディスがアタシの足元を指差してみせる。
足元には、日々の鍛錬にと振るっていた模擬戦用の両手剣があった筈なのだが。
「あれ? 剣が、ない……」
視線を落とすと、何故か地面に転がしておいた両手剣がいつの間にか姿を消してしまっていた。
剣の在り処を探し、辺りを見渡すアタシに対し。その異変を指差して教えてくれたイーディスが、続けてある場所を指で指し示す。
それは、ランディが呼び止める前に両手剣を戻そうとした武器庫。
「……え? も、もしかしてッ」
「ああ。お前が呆けていた間に、俺があの重い剣を元の場所へ戻しておいたぞ」
そう簡単に言ってのけたイーディスだったが。その発言は、アタシが放心をしていたのが一瞬でなく相当な時間が経過していた事を物語っていた。
見れば、この場から武器庫まで、地面に一本の線が刻まれていた。
おそらくは重い両手剣を運ぶ際に先端、もしくは柄の底を引き摺ったのだろう。
何しろ、訓練生の中で好んで両手剣を用いるのはアタシ唯一人。となれば、自分の長所である膂力をさらに鍛えるため。
アタシは自分専用と決めた両手剣に鉄塊を括り付け、元々重量のある武器にさらに重量を増していたのだ。
そんな重い武器を、普段扱わないイーディスが持ち運ぶのは容易ではなかっただろう。
「そっか……アタシは結構な時間、ボーっとしてたんだね」
アタシは涙を拭こうと、再び頬や眼の下に指を動かしていくが。時間が経過していたためか、涙はすっかり乾いてしまっていた。
涙を拭う手間が省けたのはありがたいが、泣いていたのを三人に目撃されていた事をあらためて認識し。
友情を誓った先程以上に、羞恥で顔が熱くなる。
しかも気付けば、目の前にいるランディ含む三人の視線がこちらを注視しており。揃って意地の悪そうな笑顔を浮かべているのを見てしまったアタシは。
思わず三人を怒鳴り付けてしまう。
「な、何だよッ? 揃ってニヤけた面しやがって!」
「そりゃ……なあ」
本心を見抜かれないようにと、熱くなった顔を隠す事なくアタシは強気の態度に出たが。
反省や意気消沈する素振りのない三人は、互いに顔を見合わせながら。
「だって。泣くほど嬉しかったんだろ。四人であらためて友情を誓った事が」
「な、ッ! な、な……なな……ッ」
アタシが不意に涙を流した理由を見事に言い当ててみせたのは、三人の中で一番洞察力に優れているランディ。
確かにランディが言う通りなのだが。
よりにもよって、男女間の仲となっていた相手に自分の本心を知られてしまい。反撃のために考えていた言葉が、思わず頭から飛んでしまう。
「……ぐ、ッ」
三人の好奇の視線に晒され、言葉が出てこなかったアタシは。恥ずかしさが極限まで達した事で、この場から駆け出し、一人部屋に戻ろうと考え。
意識を目の前の三人から逸らした、その時だった。
──ガシャン。
ヘクサムの街と養成所とを隔てており、訓練場からも見える簡易的な木製の柵。
その外側から、普段の日課の最中には一切聞こえてこなかった金属の衝突音を、アタシの耳が拾ったのだ。
「……ッ?」
ヘクサムの街では、養成所の所員や訓練生が交代で衛兵の仕事を行っており。しかも今は夜も更け、街は本来なら寝静まっている時間帯だ。
間違っても、こんな夜更けに街中で聞こえてくる音ではない。
不審な音を察知した事で、つい直前まで四人で騒いでいた歓喜や羞恥といった感情が急激に冷め。アタシは耳の感覚を研ぎ澄まし、さらなる音を聞き漏らすまいとする。
勿論、不審な音を拾ったのはアタシだけではない。
ランディやイーディスもまた、柵の外から鳴った謎の金属音を察知したようで。
「……何だ? 今の、外の音は」
二人もまた、アタシ同様に先程までの浮ついた雰囲気は完全に吹き飛び。有事の際の顔や態度に変わっていた。
アタシと二人は、耳の感覚に集中しながら。意識を柵の外へと向ける。




