149話 アズリア、遠征後の顛末
あれから、三日ほどが経過した。
まず、二度目の眠りから目を覚ましたアタシは、同じく負傷しているサバランと治癒術師の元へと向かった。
悪名付きに殴られた側頭部の傷と、攻撃魔法で焼かれた背中を癒やしてもらう目的で。
サバランの脚の火傷は、治癒魔法で問題なく回復させる事が出来たが。治癒魔法を使うため、アタシの背中を確認した術師の男は。
「お、お前っ……よくこの火傷でここまで生きて帰ってこれたな」
そう言葉を漏らした事で、背中という決して目視することの出来ない箇所に負った傷が余程の深傷だった事実をアタシは知った。
結局、一度の治療で背中を完全に回復させる事は出来ず。何度かに分けて治癒魔法を使う事で傷を塞ぐ事を約束させられてしまった。
どうやら治癒魔法とは、魔法を唱えればどんな傷でも癒える、という効果ではないらしい事を。今回の治療行為でアタシは合わせて知った。
最初こそアタシらが無事、養成所に帰還したことに湧いた訓練生らは。
訓練の合間や食事の時間、そして夜の自由時間に何度も話せる部分を聞かせて尚。三日経った今でも、小鬼との戦闘が話題に挙がる程だった。
一方で、アタシらに喧嘩を吹っ掛けたナーシェンが帰還しなかった事を不審に思っていた。
今回の騒動の起因となったナーシェンだが。
結局、遠征中に一度も言葉を交わさず。その前に遭遇した悪名付きの強烈な一撃を頭に喰らい、そのまま二度と目を覚ます事はなかったのだ。
しかし、アタシらが寝ていた間に所長は他の訓練生が集まった食堂にて。
『ナーシェンは小鬼との戦闘で深傷を負い、男爵家に帰した』
との報告に、最初は「何故、ナーシェンだけ?」と疑問に思う訓練生も中にはいたが。
訓練中の負傷に備えて治癒術師が一人、養成所にはいるが。生命に関わる重傷者を治療出来る程の腕ではなかったため。
ナーシェンの受けた傷が余程深かったのだろう、と一応の納得をする事となった。
だが、所長の報告に一番驚いたのは、実はアタシら四人だった。
「え? ど、どういうコトだッ──」
咄嗟にアタシの口をランディが塞ぎ、サバランとイーディスの二人掛かりで止めてくれなければ。アタシは思わず所長に詰め寄っていただろう。
何故なら、野営地で聞いていた話と違っていたからだ。
確か、ナーシェンの死と悪名付きを利用し。ナーシェンの実家であるラウム男爵と、副所長の実家であるヴァロ伯爵家が「小鬼の大群を制圧する」名目でヘクサムに兵を動かす事で。養成所の所長の地位をジルガから簒奪する副所長の計画を失敗させるために。
男爵とは既知の戦友である所長が、敢えてナーシェンの死の原因と過程を正直に報告する。そう聞いていただけに。
加えて、ナーシェンの三人の取り巻きの処分についてもランディから聞かされる。
「結局、あの三人も養成所を出る事になったらしいぞ」
「え?」
驚いたアタシだったが、一旦冷静になって考えればその結末は当然とも思えた。
いくら副所長……いや、副所長だった人物に見事に煽られたとはいえ。ヘクサムの外でアタシらを殺そうとしたのは事実だ。
さらに、裏切った事実やナーシェンの死因、そして副所長の一連の暗躍など、その全てを決して口外してはならないと忠告されていたのだ。
そんな状態で養成所に残り続け、アタシらと日常的に顔を合わせるのは。こちらはともかく、三人にとっては苦痛でしかない。
「い、いや……そっか、そうだよな」
そしてアタシはこの時。ナーシェンと同室だった三人の名前を、初めて知る事となった。
イオ。バーガン。タワーズ。
裏切られた怒りからか、名前を知らなかった事にもまるで気付かずに、一人の手首を蹴り折ってしまったアタシだったが。
だからこそ、ランディから聞いた三人の名前は出来る限りは忘れずにいようと心に誓った。
「……さて」
その日の訓練と食事を終え、就寝までの自由時間となり。
ランディらに阻止され、その場で事情が異なるのを追及するのはどうにか堪えたアタシだったが。
当然ながら、場をあらためて所長に話を聞いたのは言うまでもない。
「さすがに馬鹿正直に、あの遠征中にナーシェンが死んだ、なんて言えるわけねえだろ。そうなったら一番に疑われるのはアズリア、お前らなんだぜ?」
開口一番、所長が出した答えにアタシは反論の言葉を失った。
と同時に、まさか所長がそこまでアタシらを気遣ってくれた事に驚きを隠せなかった。
「何を驚いてるんだ、アズリア」
すると、まるでアタシの感情を読み取ったように所長が歯を見せて笑いながら。
スッ……と自分の腕を腰の辺りへと伸ばしてくる。
「そりゃ成績が良い、しかも養成所に久々に来た女とありゃ、俺だって多少は目に掛けるさ」
所長の腕はそのまま臀部に触れ、アタシの尻を撫で回してくる。
もし、アタシがランディの好意を受け入れる以前であったなら。これまでに目を掛けてくれた恩義もあったからか、尻を撫でられる程度で何も思う事はなかったかもしれない。
しかし、ランディと男女の関係を約束した今のアタシは。明確に所長が尻を撫でる行為に、嫌悪感を覚えてしまう。
「……やめてくれよ!」
所長の腕を払い退け、思わず後ろへと飛び退いて拒絶の態度をアタシが見せると。
「う、おっ⁉︎」
意外そうな顔で驚いてみせた所長。
まさか尻を撫でられるのを受け入れると思われていた事に、アタシは衝撃を受けながらその場を立ち去った。
◇
「……ち、っ」
振り払われた手を凝視しながら、苦々しい表情で舌打ちをしたジルガは。
撫でたアズリアの尻の感触を思い出し、指をわきわきと動かしていた。
「短い間にこれだけ目を掛けてやったんだ。少しは心を開いたかな、と思ったが」
養成所に「女が入ってくる」のを確認すると。ジルガは決まって最初は優しく、そして自らの武勇を見せて敬意を向けさせようとする。
そして贔屓目に扱い、頃合いを見ながら身体を触り始め。抵抗感や警戒心を次第に薄れさせていったところで、女訓練生に強引に交際を迫るのだ。時には所長と訓練生、という立場の違いを利用もして。
今回、ジルガにとって都合の良い事に。副所長のカイザスがアズリアの才能に嫉妬し、裏で色々と暗躍してくれていたので。
ジルガはその計画からアズリアを危険極まりない凶悪な「悪名付き」の小鬼から救出し、目の前で暗躍したカイザスを断罪する事で。一気に好感度を高めようとしたのだ。
だがしかし、計画は見事に頓挫した。
訓練生だった四人が、悪名付きの小鬼を討伐してしまったのだ。
一緒に行動していたモードレイの岩人族らも目撃をしてしまった以上、事実を捻じ曲げる訳にもいかず。
ジルガの思惑は半分以上が失敗に終わってしまう。その結果が、先程のアズリアの態度だとすれば。
「そう言や、訓練生らの噂じゃ……|あの女
(アズリア)、同部屋の男と付き合い始めたみたいじゃねえか」
訓練生の間で話題になっていた四人の内、二人の男女が交際を始めたという噂は。互いに公言こそしてはおらず、どこから漏れたのかは知らないが。訓練生ら全員に広まるのに、一日も要さなかった。
当然ながら交際の話は、所長であるジルガの耳にだって入る。
アズリアを堕とそう、としていたジルガにとっては無視出来ない内容に。
「……これはもう少し強引に、計画を進めたほうがいいかもしれねぇな」
今度は下卑た笑いを浮かべながら、先程アズリアの尻を撫で回した指を舌で舐め、そう呟く。
そんなジルガの両目には、妖しい決意の光が宿っていた。




