146話 アズリア、認識する好意と涙の理由
そして、もう一つの理由。
「それに、アタシはずっと一人だったから」
「アズリア……」
故郷では常に孤独だった。
だから生きるために獲物を狩るのも、偶然に遭遇した獣や下位魔族とも、当然ながら誰の助けもない孤独な戦い。
それでも、決して孤独であった自分の境遇を嘆いた事はなかったが。
盾を構えたサバランに庇われ。
イーディスと先を競うように大剣を振るい。
そして、ランディと共闘した。
「アンタらと戦うのが、ホントに楽しかったんだよ」
他の誰かと一緒になって戦うという事がこれ程までに胸が湧き、心躍るとは思ってもみない経験だったからだ。
だからこそ、気分が高揚するあまり。裏切りの気配を察知出来なかったとも言えるが。
「ま。それでこのザマなんだけどね」
気付けばアタシは自然とランディに笑みを向けていた。浮かれた代償として傷を負ってしまった箇所、背中と側頭部を指差しながら。
ナーシェンの取り巻きらとの戦闘は、悪名付きとの死闘と比較すれば。小競り合い、と呼んでも差し支えない程度だったが。
戦闘に費やした体力や削られた精神力といった浪費に比べ、勝利して得られた爽快感と達成感は一番少なかった。
苦々しい、という感情こそ。まさにこの状態を指すのだろう事をアタシは実感していた。
「ははッ……まさか、ここに来てたった三日で殺されかけるメに遭うとは、思ってもなかったよ」
「それだけ、お前は凄い奴だって事だよ」
すると、ランディの腕がすっ……とアタシの頭へと伸び、彼の手の平が髪に触れた。
すっかり油断していたのと、ランディの動きがあまりに自然だったのもあり。アタシはその手を避ける事も、払う事も出来なかった。
「な……な、あッ?」
「なら、俺も同じだよ」
不意に頭に手を置かれ、驚きのあまり言葉を失ってしまったアタシ。
見れば、髪を撫でるランディの顔が先程よりも距離を縮め、接近していた事にも気付いてしまう。
「あ、う……」
「俺だって、あんな強敵や裏切りはもう勘弁だ。だけどな──」
ランディが言葉を並べていたが、今のアタシの頭には半分程度しか入ってこなかった。
あまりに顔の距離が近すぎたのだ。
だが、今の状況ではランディから目線を外し、顔を背けるのは、あまりに不自然な動きだったため。アタシはこちらを凝視していたランディを、嫌でも視界に入れなければいけない状況から逃がれる事が出来ず。
だからなのか、一度は治まっていた先程までの──いやそれ以上の動揺が。
再びアタシの胸に湧き上がって止まない。
そんな中。
ランディの顔がさらに迫ってきたのだ。
「へ、ッ? あ……あれッ?」
ここでアタシは、二つの理由で驚いていた。
一つは当然ながら、ランディの顔が接近した事にだが。
もう一つは、男に接近を許しながら嫌悪感を覚えなくなっていた事にだった。
一二歳を迎えた頃から、元より同年代の娘らより生育の早かったアタシは。故郷の街の男らに欲情の目を向けられる事に気付いていた。
そして二年前から、街での生活に息苦しさを感じて街の外で暮らし始めたアタシだったが。
衛兵や住民の目の届かない場所だからと思ったのか、アタシは度々、街の男らに欲情の捌け口として。一人、時に数人で寝床を襲われたのだ。
生息する動物と違い、足音も殺さず。鼻息も荒く迫ってくる連中だ。当然ながら、接近する気配などすぐに察知し、事前に迎撃の準備が出来ていたため。全て、乱暴される前に静かにさせる事が出来たが。
どうしても男の接近に、警戒を強めてしまう性格とアタシはなってしまっていた。
ランディら同部屋の三人を紹介された際。まだ初対面だったサバランの手を払ってしまったのも、アタシの過去が理由だったりしたが。
その嫌悪感が、髪を撫でられた先程も。そして顔を近付けられた今も一切現れなかったのだから。
「アズリア。お前と並んで戦うのは、その……楽しかったんだ」
「あ……う、うん……ッ」
またしても、頬が熱い。
ランディに嫌悪感を覚えなかった理由に、アタシは心当たりがあり過ぎた──それは。
アタシがランディに単なる信頼以上の好意を感じていた、という事だ。
あり得ない話だろうが、もし今の状況でランディが故郷の下卑た男ら同様に、アタシを襲ってきたとしても。
一度限りであれば、許してしまえる程には。
「ば、馬鹿か、アタシッ? い、一体、何考えてんだよ……」
アタシは思わず首を左右に振り、唐突に浮かんだ妄想を頭の中から消そうとする。その時、思わず本音が口から漏れ出てしまっていたのをアタシは気付いていなかった。
「それは、俺も聞きたいな」
「──いッ⁉︎」
だからまさか。顔を間近にまで寄せていたランディに、心の内側を読まれたような質問をされるとは思ってもおらず。
アタシは激しく驚き、はしたない声を漏らす。
「い、いや、ほら……さ。アタシは見ての通り、身体はデカいし、肌は黒いし、力はアンタよか強いし……何もイイトコないからさ、ッ」
あまりに動揺したせいか、それともランディから距離を空けて欲しかったからか。
アタシはこれまで、故郷の住民らに浴びせ続けられた自分の欠点を。次々と言葉にして並べていくが。
冷静に自分の口から飛び出したアタシの欠点を考えてみると。
確かにアタシは「女として」。持って生まれた肌の色はともかく、何一つ魅力を感じる要素を持ち合わせてはいない事に気付く。
故郷の誰もが忌避した、浅黒い肌。
大の男でも二個は持てぬ、中身の入った酒樽を数個は担げる程の、怪力。
そしてランディを超える、大柄な体格。
対して、故郷で特に男に人気があり愛されていた女の特徴を思い返すと。
控えめで気が利き、日々の労働で疲れた男を癒してくれる性格と。髪が長く背の小さな、庇護欲を掻き立てる愛らしい外見。
その全部が、アタシには最も縁遠かったりする。
理解していた。
女としての幸福など、諦めていた筈。
なのに。自分の口から出た言葉に、自分の心が抉られていた。
──だが、しかし。
「アズリア、お前さあ……いつもは自信に溢れた顔してんのに。何で、自分の事を悪く言いながら、泣きそうな顔してるんだよ」
「えっ? な、泣きそうって何だよッ」
その言葉を聞き、思わずアタシは自分の目の下を指で擦ってみせる。
泣いている自覚こそなかったが、もしランディの発言が本当ならば。指には目に溜めていた、もしくは溢れた涙が付着する筈だと。
その結果……アタシは知らず、泣いていた。
「あ、あれ、ッ? あは、は……アタシ、ホントに泣いてら……ッ」
一度、自分が涙を流して泣いていたと自覚してしまうと、もう抑えが効かなかったのか。
いよいよ両の目からは涙が溢れ、頬に流れるのを実感出来る程。アタシは泣いてしまっていた。
そう言えば、アタシが最後に泣いたのは果たしていつだったのだろう。
故郷の住民らから罵声を浴びせられても、石を投げられても、いつの頃からか泣く程悲しいとは思わなくなり。人前どころか、一人きりになっても泣いた記憶など思い出せない。
それ程までに溜め込んでいた涙が今、アタシの目から流れ出ていたのだ。
すると突然、ランディの顔と手がアタシの頭から離れたかと思うと。
寝床の脇に座り込んでいた体勢から、突如として立ち上がって、寝床に腰を下ろすと。
「悪い……アズリア。お前がそんな顔してるのが、どうしても我慢出来なくてな」
「な、ッ?」
今度は両手でアタシの頭と肩へ手を回し、自分の胸板へと抱き寄せてきたのだ。




