145話 アズリア、誤解で頬を赤らめる
「……あれ?」
視界に映ったのは、薄暗い部屋の天井だった。
途切れた意識が戻った際、アタシは何故か自分の寝床に寝かされていた。
部屋の扉を閉めた意識までは、どうにか記憶に残ってはいたものの。寝床に身体を預けた憶えは全くない。
ならば、何故アタシは寝ているのだろう。
その解答は、寝たまま横を向いた視線の先にあった。
「……ランディ」
アタシの横で寝床の横に座り込み、顔を伏せていたのはランディだった。
そう言えば、意識が途絶える直前にアタシの名前を呼んでいた事を。目覚めたばかりのぼんやりとした頭で思い出した。
意識がないまま、自分の足で寝床まで辿り着けたとは考えにくい。
横にランディが控えていた状況からも。眠気に負け意識を無くしたアタシを、ランディが寝床まで運んだのはまず間違いないだろう。
「もしかして、アンタがここまで運んでくれたのかい?」
確認のために声を掛けてみるも、ランディは反応を一切返してはこなかった。
顔を伏せていたので、よく見ると。ランディは寝息を立てて眠ってしまっていたのだ。
「……寝てる」
考えてみれば当然の話だ。悪名付きとの戦闘の結果、魔力の枯渇を引き起こしたランディは。アタシ以上に睡眠や身体の休息を欲していたに違いない。
それなのに、アタシを寝床に運び。今度は運んだ当人がその横で眠りに落ちてしまうなんて。
「まったく……アンタにも、世話焼かせちまったね」
ランディの姿を確認したら、当然ながら他の二人も気になってしまう。特に、アタシらを部屋に入れるために囮役を買って出てくれたサバランは、部屋に無事に戻れただろうか。
気になったアタシは部屋を見渡そうと、片手で体重を支えながら、身体を起こそうとした。
その時だった。
「──い、ッ⁉︎ 痛ぇッ!」
仰向けに寝かされていたアタシの背中に刺すような激痛が奔り、思わず大声を発してしまう。
アタシの背中は、ナーシェンの取り巻きが突如裏切った時に発動させた炎の攻撃魔法が直撃し。制服が焼け、背中の広い箇所に火傷を負ったのだが。
今の激痛は、放置していた火傷が寝床の布と擦れたのが原因だった。
側頭部に受けた傷も含め、本来ならば治癒術師に治療を受けるのが優先すべきだったのだが。養成所に到着した時には眠気が強烈すぎ、身体を休める事をアタシは最優先にしたのだった。
背中が痛んでも尚、その判断に後悔はなかったが。
痛みで声を漏らした事に後悔せざるを得なかった──何故なら。
「ん……っ」
「あッ──」
横で寝床に顔を埋め、寝ていた筈のランディが突如、声を上げて目を覚ましてしまったのだ。
アタシは咄嗟に空いた片手で口を塞いたが、既に時は遅く、一度口から飛び出した言葉を戻す事は出来ず。
ランディが目を覚ますのを止める事も、また。
間近で発した声に反応し、頭を起こしたランディは、真っ先にこちらへと視線を向けるや。
「よ、よかった……アズリア、無事に目を覚ましたみたいでっ」
「あ、ああ。おはよう、ランディ」
成程、どうやらランディは。アタシが扉を閉めた直後に意識が途絶えたのを、背中と、そして頭に受けた傷の影響と思っていたのが。今の言葉で理解出来た。
実際には、単に眠気が限界を迎えたからだが。
となると、気になるのは。
「そうだッ! ちなみに、アタシ……どのくらい寝てたんだい?」
「いや、どうだろう……」
アタシの問いに対し、ランディの視線がアタシから離れ、部屋を見渡していった。
その顔の動きに釣られるようにアタシもまた、順番に部屋の中を確認していくと。
まずはイーディス。
寝床に入り、アタシの先程の声にも全く反応せず眠りに就いていた。
そして、サバランだが。
アタシが寝ていた間に訓練生らの質問を躱し、どうにか部屋に帰ってきたのだろう。寝床の上で両手を広げ、盛大な寝息を立てている。
部屋へと戻り、寝ていたサバランを見てアタシは安堵の息を吐いた。
「……悪かったね、アンタも疲れて、傷まで負ってたッていうのにさ」
そう。
サバランもアタシの背中同様に、炎の攻撃魔法を盾で防御した際。盾で庇えなかった両脚に、火傷を刻まれてしまっていた。
なのに。アタシや他の二人を先に部屋に入れるため、集まった訓練生らの質問攻めを唯一人で引き受けてくれたのだ。
「こうなると、後で何を要求されるのかが少しばかり怖いけどな」
「ははッ、違いないねえ」
こうして、眠っていた二人の様子を確認したランディが最後に見たのは、アタシの顔。
「な! な……ッ?」
一瞬、ランディの真剣な眼差しを真正面から見てしまい。初めて経験する胸の不思議な高揚感に戸惑うアタシ。
この三日の間、ランディの顔など幾度となく見てきた筈なのに。何故に、今回だけ妙な感覚に襲われなければならないのか。
だが、ランディが見ていたのは残念な事に、アタシの顔ではなく。
アタシの頭の後ろにある壁、部屋の窓だった。
「まだ空は日が昇り切ってないところを見るに、大した時間は経ってないだろ」
アタシが聞いた質問の答えを。ランディは窓から空に昇った太陽の位置を見て、口にしたにもかかわらず。
「へ、ッ? あ、ああ……そういうコトかッ」
唐突なランディの視線に戸惑いを隠せなかった上、恥ずかしい勘違いまでしてしまった今のアタシは。
曖昧な言葉を返すのが限界だった。
「どうした、アズリア?」
「い、いやッ……な、何でもないよ」
そんなアタシの態度を怪訝に思ったのか、今度こそ本当にランディはこちらの顔を覗き込む。
その視線をまともに受け止められなかったアタシは、咄嗟に顔を逸らしたが。
何でもない、は明らかに嘘だ。
異常なのは胸の高揚だけではない。ランディの顔を見てない筈なのに、何故だか頬が熱くなっていたのを感じている。
アタシの動揺を読み取ったからか、ランディもまた、それ以上の言葉を並べようとはせず。
二人の間に、何とも居心地の悪い雰囲気が流れる中。
先に沈黙を破ったのはランディではなかった。
「……アタシさ。もしかしたら、こういうのが憧れだったのかもしれない」
「憧れって……今回の戦いがか?」
「ああ」
アタシの発言に、疑問が篭った言葉で返すランディ。
無理もない。
アタシらが遭遇したのは、一撃を浴びれば致命傷になりかねない巨大な棍棒を振るい、しかも肌を鉄のように変質させ攻撃を無効化する強敵だったのだ。
辛くもアタシらは勝利こそ出来たが。ナーシェンが副所長から手に入れたという聖銀製の長剣。
あれがなければ、勝敗はどう転んでいたか分からないのだ。出来れば二度と出会いたくはないのが、アタシとしても本音なのだが。
それでも。
「……楽しかったんだ」
小鬼や悪名付きとの戦闘では、アタシは全力で。しかも、これまで扱った事のない立派な武器を振るう事が出来た事が。
「あんなデカい剣を思い切り振るえたのが、さ」
実は故郷にいた頃は、武器を振るって戦う理由と言えば。
日々を生き抜くために食糧を得る目的か、もしくは街の外で不運にも遭遇してしまった獰猛な獣や下位魔族から身を守るためのどちらかだった。
後者は勝利より逃走が最優先、前者も食糧として相手を狩るために。アタシは自分の腕力を加減抜きで振るった試しが、実はこれまで殆ど無かった。
何しろ、全力で力を込めて粗悪な武器を扱えば、武器は砕けてたちまち丸腰となってしまうし。全力で殴り付ければ、獲物の肉も骨もぐしゃぐしゃに砕け、食糧にするどころではなかったからだ。




