140話 アズリア、ヘクサムに帰還する
所長は、ガンドラの提案を飲んだ。
最初に提案を受けた時のように、渋々と言った表情を強めての返答ではあったが。
「うむ、うむ。しっかりと返事は聞いたぞ、ジルガよ」
「ぐ……ぬぅぅ、ず、狡いじゃねえかっ。まさか、あんな条件を出してくるなんてよお……」
悔しそうに口にした「あんな条件」とは、岩人族製の武具を短期間で揃えてみせるというガンドラの約束であった。
最初は拒否する気満々だった所長が、悩みに悩んだ結果、当初の判断を曲げざるを得ない程。
ガンドラら岩人族が仕上げた武具というのは、魅力的な品質なのだろう。
故郷でも武器だけではなく、農具や鍋等の日用品を作る鍛治職人は一人いたが。養成所で練習用に振るう武器は、それ以上の品質だと思っていた。
だが、それが当然……いや、練習用の出来以上の武器を所持しているであろう所長が、意見を曲げてまで欲しがる品質とは。
「そんだけ岩人族の武器ってのは、凄い出来なのかよ……」
元々の動機は、戦士としてのガンドラと岩人族の実力に注目したからであったが。
「なるほど、気になるじゃないか」
アタシがモードレイの街に訪れる理由が、また一つ追加された瞬間だった。
何しろアタシは鍛治師という職業こそ知ってはいるが、一体どのような手順で金属が武器や日用品に変わるのかを全く知らない。
今回の遠征でも、武器の品質がどれ程の影響を及ぼすのかをアタシは思い知る事が出来たからだ。
悪名付きとの戦闘の最中、ランディが拾い上げた聖銀製の長剣もその理由の一つだったりする。
現に、ランディとアタシが突破に大苦戦した悪名付きの鉄壁の防御を。聖銀製の剣はまるで意に介さず打ち破り、首と胴体を一撃で両断してみせたのだから。
「……あんな凄い剣、アタシも一度は振るってみたいモンだね」
ランディの話では、聖銀は大変貴重な金属であり、訓練生であるアタシらなどが所持出来る代物ではないらしいが。
既に終わった結果に「もしも」は無いが。もし仮に一つだけ、悪名付きとの死闘の時間まで遡る事が出来たなら。
今度はアタシが、聖銀の剣を実際に振るってみたいという願望すら湧いていたりする。
それ程に。
武器という戦いの道具に、湧いた興味を。
アタシはモードレイの街を訪れる事で満たせるのだろうか、期待が胸を膨らませる。
「これで交渉は終わりじゃ。それじゃとっととヘクサムに向かうぞい」
両手の平を叩いて鳴らしたのを合図に、再びガンドラは夜の闇に包まれた道を歩き始める。
そうだ。
まずは無事にヘクサムに到着しなければ、この先の期待も何もないではないか。
道先を照らす明かりがない中、先導するガンドラを見失う訳にはいかない。アタシは先を歩く岩人族の背中を頼りに、暗闇の中を手探りで歩いていく。
こうして、しばらく無言で歩き続けていると。
「近えな……そろそろ、着くんじゃねえか」
最後尾を歩いていた所長が突然、口を開いた。
本来ならば、先頭を歩く人間が口にするような言葉だったが。ヘクサムの街にある養成所の所長という立場だ、土地勘が働いたのかもしれない。
ふと、アタシは空を見上げてみると。辺り一帯を包み込んでいた夜の闇が、少しだけ白んでいる事に気付く。
しかし、もしかしたら。暗闇に長い時間身を置いたせいで、目が慣れてしまっただけかもしれない。
勘違いか、それとも本当に周囲が明るくなっているのかを確認するため。
隣を歩いていたランディに慌てて話を振ろうとしたが。
「なあランディ、これって」
「ああ、もうすぐ夜明けだ」
どうやら会話の意図を即座に読み取ってくれたのか、アタシが一番欲しかった言葉をくれるランディ。
夜が明ければ当然、視界が良くなり歩きやすくなるが。アタシが夜明けを気にした理由はもう一つあった。
『夜が明ける前にヘクサムに到着する』
野営地を出発する前に、所長が口にした言葉だった。
あの宣言が果たして本当であるならば、アタシらは現在、ヘクサムの間近にまで迫っているという事になるが。
「……ッてコトは、そろそろ──」
そうアタシが口にした、まさにその時。
これまで周囲に木々が乱立していた景色が、突然開けた場所に出る。
足元も、これまで歩いていた地面とは違い、明らかに踏み固められ人の手で整備されている道に。
「道だっ!」
そう叫んだのはアタシでも、横にいたランディでもなく。少し後ろを歩いていたサバランだった。
ヘクサムを出発した直後しばらくは歩いていたのと同じ道に出た事に、興奮が抑えられなかったのか。両脚には火傷を負っていたにもかかわらず、叫んだ直後に駆け出したのだ。しかもイーディスも一緒に。
アタシやランディを追い抜いた二人は、先頭を歩くガンドラよりも先に道を辿り、走り去って行ってしまう。
ヘクサムまでの距離がまだ分からないのに、二人の取った行動はあまりに不注意が過ぎる。それに先程、暗闇から出現した野狼の群れが再び姿を見せないという保証などない。
そう思ったアタシは二人を制止するため、大声を発したが。
「お、おい二人とも……何してんだよッ? まだ危ないかもしれないだろがッ!」
「いや、構わん構わん」
警告を発したアタシを宥めたのは、先頭に立っていたガンドラだった。
「心配せずとも、もうヘクサムは目の鼻の先じゃ」
「そ、そうなのかい?」
「さすがにまだヘクサムから離れてるのにあんな馬鹿な真似したら、儂が首根っこ引っ掴んで止めるわい」
救援に来たガンドラが、今アタシらがいる位置とヘクサムまでの距離を「もう間近だ」と宣言してくれた事で。
アタシはようやく安堵したのか、サバランらの突発的な行動に対して、思わず笑いが溢れてしまった。
「馬鹿な真似か、はははッ、違いないね」
「寧ろ、あれだけ元気が残っていた事に驚きじゃわい」
二人が、特に疲弊が顔に色濃く出ていたサバランが走り出すまで元気を取り戻したのは。つい直前に食事を摂ったのが大きかったのだろう。
それに何より、アタシより先に養成所にいたサバランら二人は、遠征訓練を何度も経験していたのではなかろうか。
その記憶から、今アタシらがいた場所がヘクサムからそう離れていないと判断し、駆け出したのではなかろうか……とまで考えてしまう。
「ほれ、儂等も急ぐぞ。もたもた歩いてたら夜明け前に着くと宣言したジルガが何を言い出すか分からんからの」
「そいつは困るッての、せっかく外出許可を貰ったッてのにさ」
そう言葉を交わしたアタシとガンドラは、揃えて歩速を早める。
アタシだって到着を急ぎたい理由はある。
何しろ顔には出さないものの、ずっと剥き出しになっていた背中の火傷は痛んでいたからだ。
早く傷の治療を受けたかった。
いくらランディが魔法を使えたとはいえ、どうやら治癒魔法までは扱えないらしく。アタシの頭や背中に負った傷を治療するには、養成所にいる治癒術師の手を借りる以外にはない。
こうしてアタシはようやく、ヘクサムの街に戻って来れたのだ。




