136話 アズリア、岩人族に認められる
まず麻縄で首や腹に裂傷を付けた野狼を木の枝から吊るし、傷から流れ出る血を地面に掘った穴へと落とす。
一方で、枝に吊るすには少々大柄な魔狼は、この場で血抜きをする事を断念した。
「まあ、魔狼の場合は肉より毛皮や爪、牙のほうが価値が高いからの」
「……へぇ、知らなかったよ」
アタシは故郷にいた頃。
食糧を得るために倒した獣を、衛兵のヒューらを通して僅かばかりの銅貨と換金していたが。
魔獣の爪や牙にまで価値が認められるなど、考えもしなかったため。倒した獣は独学で解体し、肉だけを街に持っていくのみだった。
もしあの時、爪や牙などの部位に価値がある事を知っていたら。もう少し報酬が増えていたのではなかろうか。
……などとアタシが過去を振り返っていると。
「にしても、持ち帰るにはちと数が多いか」
ガンドラに釣られ、アタシもまた木に吊るされ血抜きの最中の野狼を数えてみると。その頭数は丁度、一〇だ。
対して所長と一緒に救援に来た岩人族は、六人。
しかもその内五人は、二体の亡骸と三人の捕虜を担いでいたのだから。確かに持ち帰るには一〇体の野狼は多いのだとアタシも思う。
「じゃあ、ここに捨ててくのかよ?」
元々、食糧を手に入れるのが目的ではなく。襲い掛かってきた相手を返り討ちにした結果でしかなく。
持ち帰るのに邪魔になるのなら、この場に放置をしておけば。辺りに生息する他の獣や下位魔族が、いずれは食糧としてくれるだろう。
なので。過剰な分を置いていくという選択は間違いではないのだが。
「冗談ではないわ。そんな勿体ない事出来るか」
「なら、どうするってんだ」
アタシの問いに、ガンドラが無言で指を差したその先では。
血が抜けきっただろう野狼に、一人の岩人族が短剣を入れて皮を剥ごうとしていた。
しかも血抜きの処理を終えた別の岩人族が、枯れ木を拾い集めて火を起こす準備をしている。
「お、おい、もしかして……」
「うむ。持ち帰るのが無理なら、この場で食べてしまおうというわけじゃ」
見れば、野狼の一体を短剣で解体していた岩人族の、実に手慣れた手捌きによって。
みるみる内に、全身を覆う毛皮が剥がされていき、赤い身肉が姿を見せる。
ただ乱暴に皮を剥ぐだけの、アタシの解体とはまるで別物のような。丁寧、かつ素早い短剣の動きであったからか。
すっかり解体から目が離せなかったアタシは、思わず喉をゴクリと鳴らす。
「丁度いい。儂等もここまで飲まず食わずで悪名付きを探してたからのう」
皮を剥いだ後は、もう一体の獣の死骸ではなく。美味そうな食糧にしか見えなかったからだ。
さらに解体を続けていた岩人族は、腹を裂いて内臓を全部出し、血を溜めた地面の穴に捨てていくと。
「……う、うぉ、ッ」
まずは脚を切り落とし、次いで胴体を調理がし易くするために数個に切り分けていった。骨が繋がっているのに、まるで骨ごと切断したかという位に滑らかに。
解体の手際の良さに、アタシは思わず声を漏らしてしまうくらいだ。
「お前ら。訓練生でも肉を枝に刺すくらいは出来るだろ、手伝え」
「お、おうッ」
部位ごとに大きく切り分けられた野狼の肉を、また別の岩人族が骨から剥がし、一口大に切っていった。
アタシやランディら四人は、ガンドラに言われたように。小さく切り分けられた肉を二、三個ほど次々に枝へ刺すと。
起こした火を囲むように、地面に枝を突き刺して野狼の肉を炙り焼きにしていく。
途端、周囲に立ち込めたのは。肉が焼けて脂がパチパチと爆ぜた時に漂う、食欲を掻き立てる香ばしい匂い。
その匂いを嗅いだアタシの腹が、盛大に鳴る。
「い、いやッ……こ、これは、さあ」
この場にいた全員に腹が鳴る音を聞かれたからか、アタシは恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じていた。
所長やガンドラらが到着するより少し前に、用意した食事を口にしてはいたのだが。
あの時は激しい戦闘の後だったのもあり、干し肉と香草の煮汁を一杯のみ。それで何とか腹を満たしたつもりだったが。
「あんまりにも、肉が旨そうで……さ」
さすがに肉が焼けた時の暴力的な匂いに、アタシの腹は耐え切れなかったという訳だ。
すると、そんなアタシの言葉に最初に反応し、大笑いを始めたのはガンドラ。
「わっはっはは! そうかそうかっ!」
ガンドラの笑い声を合図に、周囲にいた岩人族らも釣られて笑い出すと。
笑っていた岩人族の一人が、枝に刺さった野狼の肉を差し出してくる。
「ほれ、どうやら肉が焼けたみたいじゃ。食え食え」
「え? い、いや、アンタらだって食事がまだなんだろ、だったら先にッ──」
ガンドラは先程、ヘクサムを出発してからまだ一度も食事を摂っていないと話していた。
しかも枝に刺さっている野狼は、所長と岩人族らが倒した獲物でもある。
だからこそ最初に焼けた肉を、アタシが一番に受け取る訳にはいかなかった。
「うるさい。よいから食え」
だがガンドラは、一度は受け取るのを拒否した肉の枝を再度押し付けようとする。
アタシだけで強引な要求を断り切るのは難しい。
助けを求めるようにランディへと目配せをするも。
どうやら肉を押し付けられていたのはアタシだけでなく。ランディにサバラン、そしてイーディスと四人全員が同じ状況に陥っていた。
これでは、会話に割り込んでもらう事も出来ない。
「遠慮せず、先に貰っちまいな」
「しょ、所長。こりゃ一体ッ?」
アタシが困惑していたのを見越してか、ランディに代わり会話に割り込んでくれたのは所長だった。
所長は、今一番アタシが聞きたかった疑問。つまり何故、ガンドラら岩人族は頻りにアタシらに野狼の肉を勧めてきたのか。
その疑問に答えてくれる。
「悪名付きを倒したお前らを。岩人族も認めたって事じゃねえのか」
「──アタシらが?」
所長の説明を聞いて、アタシは一瞬だけ辺りを見渡して。ようやく目当ての物を見つける事が出来た。
それは、岩人族らに荷物として渡した悪名付き──「村喰い」と呼ばれた小鬼の変異種の首であり。
ガンドラら岩人族が討伐対象として、探していた本来の目的でもあった。
つまり、目の前に差し出された串焼きの肉は。
魔狼を一撃で確実に仕留める程の実力を持ったガンドラに、一人前の戦士として認めてもらったという証なのかもしれない。
そう判断したアタシは、遠慮するのを止めた。
確かに、悪名付きの首を両断した最後の一撃こそランディの戦果だったが。悪名付きに攻撃を通す術を見抜いたのは、間違いなくアタシなのだから。
「それじゃ、ありがたく食べるとするよ」
ガンドラの手から肉の刺さった枝を受け取ったアタシは、何の躊躇もなく焼けた野狼の肉に喰らい付く。




