134話 アズリア、暗闇に閉ざされた道中で
すると頭を上げた所長は、連れて来た岩人族の一人が肩に担いだ首なしの亡骸を見て、一言。
「酷い目に遭ったんだ。お前も、カイザスに一撃浴びせたかっただろう」
つまり先程の謝罪は、今回の黒幕とも言える副所長に一度も報復をする事なく。一撃で処断してしまった事に対して、だった。
副所長が何をしたのか、アタシらの目の前でその全容が明かされ。全てを聞いたアタシの憤りは最高潮に達し。
一度は副所長の首に剣を突き付けていたアタシは、あの時は本当に首を飛ばすか、頭を叩き割ってやろうと思った程だ。
しかし。
所長の言うように、報復が出来なかった事を残念だとは。アタシは微塵にも思ってはいなかった。
「アタシとしちゃ、しっかり調べてくれただけでもありがたい話なんだからさ」
まず、相手は養成所の副所長という、明らかに上の立場の人物だ。さらに魔術師で、帝国貴族という肩書きまで持ち合わせているとなれば。
たとえ証拠が充分に揃っていたとしても、立場が一番下の訓練生であるアタシの意見など、本来なら聞いて貰えないのが普通だ。
現に故郷では度々、無実の罪を着せられる事があったし。「忌み子」と住民に言われ続けてきたアタシの言葉など、誰も聞く耳を持たなかった。
街の外で暮らし始めたのも、やってもいない悪事を「やった」と言われるのに辟易としたからでもあったが。
今回、所長は相手側の肩書きや、アタシの黒い肌に左右される事なく。
しっかりと証拠を並べて、副所長の悪事を認めさせ。しかも処断まで下したのだから。
「寧ろ、所長には感謝しかないさね」
それにもう一つ、アタシは副所長に直接手を下さなかった理由。
「それに──」
アタシもまた、副所長の亡骸を担いだのとは別の。ナーシェンの取り巻きだった三人を担いで運ぶ岩人族を見た。
もしアタシが激情に任せ、この手で副所長を傷付けたり、殺害してしまった場合。
口こそ塞いではいたが、視界まで塞いでいなかった時点で、あの三人にもしっかりと目撃されてしまっただろう。
先程までの所長の尽力の通り、いくら副所長側に悪事の証拠があったとしても。一度はアタシらを裏切ったあの三人が、「アタシが副所長を殺した」という事実を漏らす可能性は決して低くはない。
となれば、解決策は一つ。
三人もこの場で始末するしかなかっただろう。
「おかげで無駄な血が流れずに済んだよ」
「そうか」
そして、おそらくは所長も全てを理解していたからこそ。
アタシの報復という未練を残さないため、この場で副所長の生命を絶ったのだ。いや、間違いなく。
これでアタシとの会話を終えた所長は、野営地にいた全員の出発の準備が出来たのを確認したのか。
声を張り上げ、号令を出す。
「よし、全員準備は終えたな。それじゃ、夜が明ける前にヘクサムに戻るぞ」
◇
野営地を出発したアタシらは、所長とガンドラら岩人族数名に率いられ、暗闇の中を歩いていた。
「ホントに明かり無しで歩いてるよ……」
目を凝らしたところで、アタシには少し先にある樹の幹がどうにか判別出来るくらいで。
もし、足元に大きな穴が空いていても、気付かずに落ちてしまうだろう──それ程に夜の闇は、濃い。
にもかかわらず、先頭を歩くガンドラは歩む速度を緩める事なく。まるで昼間の、踏み慣らされた街道のように進んでいく。
「こっちだ」
救援に来たくらいだ、決してガンドラの事を信用していない訳ではないが。かといって完全に身を委ねる事も出来ず。
結果として、暗闇に閉ざされた視界に全神経を集中していたためか。横に並んで歩いていたランディやサバランから、疲労の色濃い息遣いが聞こえてくる。
「はぁ……はぁ、っ……足元が、見えないってのは」
「はぁ、っ……ああ、中々に堪えるな……っ」
考えてみれば、サバランは両脚に火傷を負っており。ランディは魔力が枯渇しかけ、救援の来る少し前まで全く動けずにいた状態だった。
その二人に、暗闇への警戒心を張り詰めながら通常と変わらぬ速度で歩くのは、相当な負担なのだろう。
出発時の号令で言っていたように、夜明け前にヘクサムへ到着するには今の速度で進むしかないのかもしれないが。
二人に無理をさせて、歩けなくなってしまっては本末転倒だ。
「な、なあッ……」
アタシは先頭を歩く岩人族のガンドラに、少し速度を緩めるか。
或いは休憩を挟む事を提案しようとした──その時だった。
「待て」
声を掛けようとしていたガンドラが、片手をアタシらの前に伸ばし、先に進むのを制したのだ。
しかも、もう片手にはガンドラの武器なのだろう、両刃斧がいつの間に握られていた。
「どうやら、目と鼻の良い奴等に狙いをつけられたようじゃな」
ガンドラのその言葉を合図に、周囲にいた岩人族らも肩に担いでいた亡骸や捕虜を、一旦は地面に転がし。斧や鎚などそれぞれの所持する武器を構え始める。
おそらくは、敵対する何かがこちらへと接近するのをガンドラは察知したのだろう。
だとすれば、アタシらもただ黙っている訳にはいかない。
「なら、アタシらもッ──」
とはいえ、体力の消耗が明らかなサバランとランディに戦闘をさせる事に躊躇したアタシは。
負傷のないイーディスにのみ目配せをし、両手剣を構えようとする──が。
「救助されたお前らは黙って見てろ」
そう発言してアタシらの参戦を制止したのは、最後尾にいた所長だ。
見れば、所長もまた大鎚を構え、これから起きるであろう戦闘に備えていた。
その直後だった。
周囲の暗闇から、妖しく光る赤い眼をした鋭い牙を持つ四足獣が、木々の隙間から次々に姿を現わす。
その数はおよそ一〇体を超えていたが。
姿を見せた獣の群れの中に、身体が大きく一際目立つ存在が一体。
「あ、あれは野狼……いや、魔狼じゃないのか?」
「魔狼ッて、ホントかよランディ?」
アタシが驚くのも無理もない。
ただの獣である野狼と、魔獣である魔狼は姿こそ似てはいても脅威の度合いがまるで別物だからだ。
そもそも魔獣とは、魔力の影響を受けて凶暴さを増し、しかも牙や爪、表皮等が攻撃的に変容した獣の総称であり。
魔狼も元々は、野狼が変容した魔獣と世間では言われている。
魔狼の鋭い牙は、質の悪い鉄製の武器なら容易に噛み砕き。その爪撃は金属製の鎧も斬り裂くと言われており。
もし故郷が数体の魔狼に襲われでもしたと仮定すると、衛兵の半数は防衛戦で生命を落とすだろう……それ程の脅威。
そんな魔獣と遭遇した、とランディは口にしたのだ。
「お、おい、ホントに参戦しなくて平気なのかよ……ッ」
本当に黙って防衛を任せて良いのだろうか、という危機感と。加勢をするなという所長の言葉との葛藤で。
危機に直面し両手剣を握りながらも。加勢をするのに躊躇し、その場から動けなかったアタシ。
◼️魔獣について
本編にてアズリアは魔獣の定義を「通常の獣が魔力を宿したもの」としていたが、これは半分は正しいが正確ではない。
魔力が宿ると魔獣化してしまうのなら、より強大な魔力を宿すモノ──例えば魔術師等は全員が魔獣化してなくてはおかしいのだ。
正解は、獣が取り込んだ魔力が「何らかの要因」で凝縮され、瘴気と化してしまったからだ。そしてその「要因」とは大半が「奈落」による力への誘惑である。理性が不足した獣では、奈落の誘惑に抗う事はほぼ不可能。
かくして──魔獣は誕生したのだ。




