133話 アズリア、突然の所長の謝罪
武器を振り、付着した血を払いながら所長だったが。
振り返った途端、信じられない発言をする。
「さて、お前ら。撤収の準備をしろよ」
「「えっ?」」
野営地を今すぐに発つという宣言に、アタシも。いや、横にいたランディやイーディスも驚きの声を漏らした。
「ちょ、ちょっと待てよ所長ッ……今は夜なんだぜ?」
そう、何しろ今は夜なのだ。
月明かりこそあれど、暗闇に閉ざされた道なき道を歩くのは危険が過ぎるが。
だからといって明かりを灯しながら歩くのは、周囲に潜む魔獣らの目を却って惹き、思わぬ遭遇を生む事になりかねない。
それでも普段通りのアタシら四人ならば、ヘクサムまで到達する事が出来たかもしれない。
しかしアタシらには、下手な真似をしないよう手足を拘束したナーシェンの取り巻き三人に加え。あの時はまだ生死が不明だった、意識を無くした状態のナーシェンを抱えていた。
だからこそアタシらは、強引に帰還するのを諦め。煙を焚いて救援を呼び、野営地に留まる事を選択したのだから。
「はっは! こんな窮地を凌いだお前でも、夜は怖いか」
アタシらが抱いた、夜の間に移動する事への懸念を。笑い飛ばすかのような態度を取った所長。
そして、アタシの肩を誰かが背後から叩いた。
「安心せい。儂等がお前らをしっかりヘクサムまで連れ帰ってやるわい」
肩に触れた手の正体は、モードレイの街から来たという岩人族のガンドラ。
背丈の低いガンドラが背伸びをし、懸命に手を伸ばしていた姿に。アタシは少しだけ安堵し、気が緩んだ。
思い出せば、所長とガンドラらがこの野営地に接近してきた際、誰も明かりを持っていなかった。
それに彼らは、アタシら八人を連れ帰るのが目的なのだから。当然、何名かが負傷し自力で帰還が困難な場合も予想済みなのだろう。
「それじゃ、言葉通りに頼りにさせてもらおうかね」
所長とガンドラが率いてきた他の岩人族らは、まず大きな布地で頭が潰れた副所長の亡骸を包み。
手足を縛り拘束しておいた取り巻きの三人を、岩人族らがそれぞれ一人ずつ肩に担ぎ。野営地からの撤収準備を完了させていた。
「まずは焚き火をしっかり消さないと」
アタシは、燃えている焚き火の薪木を抜いて火の勢いを弱め。
足で乱暴に火を踏み消していき、鍋に残った煮汁を焚き火跡にぶち撒け、残り火をしっかりと消していく。
「……よし。これで火は消えたね」
薪木や焚き火は、水を掛けて後に何度も踏んで完全に火を消さないと。立ち去った後に再び燃え上がり、大規模な火災を起こしてしまう原因ともなりかねない。
実際、焚き火の処理を誤り火災騒ぎを起こす旅人や行商人を。故郷にいた頃にも年に一度は見てきた。
だからこそアタシは、焚き火が完全に消えたのを確認した。
実は副所長を巡る一連の騒ぎで、すっかりアタシ当人も忘れていたが。
「アタシも早く背中や頭の傷の治療を受けたいし」
今でこそ血が止まってはいたが、側頭部がぱっくりと割られており。さらには制服の背面は焼け焦げ、所々が露出した肌には酷い火傷を負っていた。
最初こそ身体を動かす度に、火傷の箇所が激しく痛んだが。我慢して痛みに耐えているうちに、徐々に痛みを感じなくなったのが現状だが。
とはいえ、傷を放置する訳にもいかない。適切な治療をしないと傷口が腐り、今度は酷い熱病に侵される事もあるからだ。
「い、いや……あのなアズリア、軽傷みたいな言い方してるがな──」
そんなアタシの言葉に、何故か呆れた顔を浮かべ。何か口を挟みたいのか、こちらを目を細め見ていたランディ。
溜め息を大きく吐いた後、言葉を続けていく。
「緊急事態だから、何も言わないではいたが。お前の傷は普通、どちらかでも動けなくなってもおかしくない重傷なんだぞ……」
「へぇ、そうなんだね」
普通であれば、というランディの疑問に対する答えを。アタシは即座に頭に思い浮かべていた。
「まあ、この程度の傷で動けなくなってたら。今頃アタシは生きてなかったんじゃないかね」
というのも、故郷の街で住民に忌み嫌われていたアタシは。
獲物を狩ったり、不慮の襲撃等が理由で自然治癒しない傷を負った際に。街の治癒術師に治療を受けられる筈もなく。傷が膿み、高熱に冒されながらどうにか水を啜り、生き延びてきた経験を繰り返したからか。
おそらくは、普通の人よりも強靭な体力と傷や痛みに強い身体を得てしまったのだろう。
「……そうか」
あまりにも呆気ない態度と口調で答えてみせたアタシに、今度は何とも哀しげな表情を浮かべたランディは押し黙り。
これ以上、傷の話題に触れる事はないままアタシはその場を離れた。
このまま会話を交わしてしまっていたら、きっとランディの口からは。アタシの過去を憐れみ、同情するような言葉が出ていただろう。
確かに故郷でアタシは、住民の大半に忌避され、罵倒や差別の対象ではあり。その環境から逃がれるため、二年は街の外で生活をし、そしてヘクサムの養成所に来る選択をしたが。
だからと言ってアタシは、自分の過去を哀れだと悲嘆した事は一度たりとも、ない。
もしこの場でランディから憐れみの言葉を掛けられてしまえば。この三日間で築いた信頼を、アタシは捨てざるを得なくなり。一度離れた心の距離は、アタシが養成所を出るまで縮まる事はないだろう。
アタシと、故郷の住民の大半と長きに渡り、理解し合えなかったように。
そんな関係になるのを何よりアタシが嫌だったから、いや……怖かったのかもしれない。
急いで食器や鍋を荷袋に詰め、ランディの視線から逃げるように野営地を離れたアタシだったが。
「おい、アズリア」
そんなアタシを呼び止めたのは、予想していたランディではなく所長の声だった。
ランディとは違い、何も気負う必要のない相手に、アタシは一度咳払いをしてから、呼び声に振り向いてみせた。
「言っとくけど出発の準備ならとっくに終わってるよ」
「あー……そうじゃねえ」
ヘクサムに向け移動を開始する準備を終えたかどうか、その確認だとばかり思っていたが。
所長はアタシの想定を、何とも気不味そうな顔で否定をしてくる。出発の準備の確認でなければ、一体何の用件だというのか。
そんなアタシの疑問に、言葉ではなく。突然に所長は軽く頭を下げるという態度で応えてみせるのだが。
「お前に一言、謝っておこうと思ってな」
「……い、いやッ? な、何のコトかアタシにゃ意味が分からないってのッ」
アタシが困惑した理由、それは所長が謝罪してきた理由に心当たりがまるでないからだ。
副所長の計画については、そもそも嫉妬されたのはアタシの軽率な行動が原因であり、所長には何の責任もないし。
原因となった副所長は、自分の死でその責を償った。
救援にしても、アタシは後一、二日は発見が遅れるだろうと考えていただけに。寧ろ早すぎた到着をこちらが感謝したいくらいだ。




