130話 カイザス、最後の好機に
怪しげな動きを見せた人物とは勿論、副所長だ。
先程、所長が放った風の刃で脚を深々と斬られながらも。傷付いた脚を引き摺り、地面をずるずると這いながら。どうにか懸命に地面に転がる魔導具を奪取しようとしていた。
「はぁ……はぁ……っ」
問題は、伸ばした手の先にある魔導具だ。
てっきりアタシは、魔法の短剣を選ぶとばかり思っていた。
先の戦闘でアタシが不意に背中を焼かれたように。詠唱を省略し、攻撃魔法を発動させられる効果は。不意を突くには最適な能力だったからだ。
なのに。
副所長が選んだのは魔法の短剣ではなく、腕輪だったからだ。
「──あ……ッ」
想定外の行動にアタシは驚きのあまり、その場から動く事も、周囲に警告を発する事も忘れてしまい。
結果、「腕輪を拾い上げる」という副所長の悪足掻きとも言える行動を、みすみすと許してしまう。
「は、ははっ……と、取れた! 取り返せたぞっ‼︎」
腕輪を手にした途端、副所長は歓喜の声を上げると同時に。
腕輪に嵌っていた、一際目立つ装飾でもある大きな水晶を取り外し。即座に懐へと仕舞い込む。
この時のアタシは知る由もなかったが。
副所長が腕輪から取り外した水晶には、離れた場所へ目の前の情景を伝達する「第二の眼」の魔法が込められており。
副所長は養成所にいながら、腕輪の魔法を通じてナーシェンらの状況を。まるでその場に存在していたかのように監視していたのだ。
たった今見せた副所長の行動には、自分が覗き見をしていた証拠の隠滅、という意味もあったのだが。
もう一つ、実はこちらこそ副所長にとって重要な理由があった──それは。
大きな水晶を外した後の腕輪には、まだ紅石を思わせる赤い宝石が数個ほど散りばめられていたが。
副所長のその赤い宝石の一つ一つを。丹念に指で擦り、爪で傷を付けながら。
「ふ、ははっ……これで、この場にいる人間を黙らせれば、あとは逃げ切るだけっ、ひひ」
そんな言葉を漏らした口端を歪め、邪悪な笑みを浮かべると。
細工を施した腕輪を、突然アタシや所長へと放り投げたのだ。
「──爆炎に包まれ、死ねっっ!」
アタシらへの悪意と、そして殺意を口にして。
ナーシェンら四人に手渡した腕輪には、能力を高める、という虚偽の効果と「第二の眼」の魔法の他にも。不測の事態に備えて、腕輪に別途に装着させていたのが赤い宝石。
衝撃を与えたり、強い魔力を込める事で石が崩壊し。中に封じられていた火属性の魔力が膨れ上がり、大きな爆発を起こす魔導具──炎傷石である。
先程の副所長の謎の行動とは、この炎傷石に魔力を込める意図があった。
「「な、っっ⁉︎」」
さすがに殺意の込もった言葉まで浴びせられれば、この場にいた全員が異変には気付いたが。
その時には既に、叫ぶ副所長の手から放たれた腕輪は、地面に落ちる直前だった。
アタシやランディ、所長や岩人族のガンドラのいる位置からは優に二〇歩以上は離れていたイーディスだったが。
「飛燕脚──間に合ってくれ!」
取り巻きらが短剣から放つ魔法を見事に避け、接敵した時にも使用した脚の速度を上昇させる魔法を発動させ。まさに弓から放たれた矢のような速さで駆ける。
腕輪が地面に落下する前に掴み取ろうと、懸命に前方へと腕を伸ばして。
そして同時に、ランディも動いた。
唖然とし、一歩も動けなかったアタシの前に。両腕を大きく広げて立ち塞がった。
さすがにアタシでも、ランディの行動が何を意味しているのかくらいは分かる。自分の身体を盾にして、咄嗟にアタシを庇おうとしたのだ。
「ば、馬鹿、ランディ……アンタッ?」
副所長の悪意に満ちた絶叫が、もし真実ならば。
おそらくは放り投げた腕輪が地面に落ちた途端に、何かが起きるに違いない。魔法の短剣が放つ炎よりも危険な事が。
アタシよりも冷静で頭の回るランディが、腕輪の落下の阻止よりもアタシを庇うのを優先したのは。腕輪には届かない、と判断したからだろう。
だが、しかし。
「ま……間に合わない、かっ!」
魔法まで用いて腕輪の落下を止めようとしたイーディスの手は僅かに届かず。
腕輪は地面へと、乾いた音とともに落ち。
「ど、どういう事だ?……何故、炎傷石が発動しないっっ⁉︎」
直後、副所長がまるで何が起こったのかが理解出来ないような顔を浮かべ、頭を抱えて叫んでいた。
無理もない。何が起こったのか。
いや、何も起こらなかったのだ。
駆け付けたイーディスが地面に落ちた腕輪を、恐る恐る拾い上げるも。やはり腕輪に何かが起きそうな予兆は全くなく。
愕然とした表情の副所長は。
「──ひ」
突如として背後から首を掴まれ。身体が浮き上がる感触に襲われた。
「やってくれたじゃねえか、カイザス。やっぱり仕掛けておいて正解だったぜ」
「し……仕掛けた、だと?」
「ああ、そうさ。さっき、お前を引き摺って連れて来た時にちょいとな」
見れば、所長が今掴んでいた副所長の首には、首輪らしき物が嵌められていたが。
しかし、アタシは疑問に思う。
首輪を装着された事に今の今まで気が付かない副所長にもだったが。何より、その首輪が何の意味を持つというのだろうかという疑問。
その答えはすぐにアタシは知る事となる。
「ぐ、ぅ……く、くそっ……は、離せ、さもなくば──」
腕一本で首の根元を掴まれ、身体を持ち上げられた状態の副所長は。
つい先程、アタシらへの殺意を剥き出しにしてしまったからか、いよいよ敵対心を隠す必要がないと。
魔法の詠唱を開始する……が。
「潰れろ──岩の鎚っ!」
詠唱を終え、背後で首を掴む所長へと魔法の名を叫ぶ副所長だったが。
先程の腕輪と同様に、何か周囲に目に見える異変は全く起こらず、魔法が発動した様子は見られなかった。
「ろ、岩の鎚……岩の鎚っ!」
仮にも「魔術師」という魔法を司る専門職を名乗る以上、魔法の発動に失敗するなどという事はまずあり得ない。
信じられない、といった表情を浮かべた副所長は。手順を間違えたと思ったのか、魔法の名称を何度も繰り返し叫ぶも。
魔法が発動する気配は、まるでない。
「な、何故だ? あの訓練生は先程、魔法を使ってみせたというのに──」
魔法が発動出来なかった事が未だ受け入れられない副所長は。腕輪を拾い上げたイーディスへと視線を向けた。
先程、イーディスが脚を加速する魔法を使ってみせた以上。この場が魔法を使うのに適さない地域である可能性も否定された事になる。
「何故、こうも私の魔法だけが発動しないのだっっっ……」
魔術師である自分が魔法を使えない、というあり得ない事態に。喉奥から絞り出すような声を漏らす副所長だったが。
背後から聞こえてきた一層低い声に、我に返る事となった。
「もう、悪足掻きは終わったか」
「第二の眼」
術者の知覚を増大させ、予め設定したある一点からの視界を疑似的に創り。自身の眼とは別の視界を共有、知覚する事が出来る。
本来ならば突然、二つの視界が同時に頭に入ってくれば混乱は必至だが。思考の混乱を防ぐため、この魔法には知覚の増大という効果も付加されている太陽属性の魔法であり。
そのため発動や習得の難易度から、上級魔法に分類されている。
ちなみに、魔導具として「第二の眼」を付与した場合。本編にあるように「眼」と指定した物品が映し出す視界を、受信する側が見る事が可能。




