126話 ランディ、同僚の死を告げる
それに所長の言う理屈は、平民であるアタシにも理解が出来た。
「なるほど、ね」
先程、喉元に両手剣を押し付けられた副所長が口にした言葉。
自分を殺せば親である貴族が黙っていない、と。
人は、追い詰められた際に見栄や誇張が出来る生き物ではない。おそらくは、副所長の言葉も真実なのだろう。
だから所長は、その発言を逆手に取ったのだ。
ここで敢えて、討伐対象となっていた悪名付きではなく小鬼としたのは。本来ならばアタシに向けられた筈の伯爵家の報復を、小鬼という種族全体へと向けさせるため。
何しろ、ここヘクサムは最北端の国境からそう遠くはない位置にあり。
国境の向こう側には、「北狄」と呼んでいる小鬼をはじめとした下位魔族が多数生息し。国境を越えた小鬼の被害は、国境やヘクサムから遠く離れた故郷の街でも度々聞いている。
それだけに、副所長の実家である伯爵家の力を利用出来れば。国境を越えてくる「北狄」の被害を抑える事が可能となる。
「ふむ、所長もやるではないか」
事の顛末を腕を組んで傍観していた岩人族のガンドラも、所長の言葉の意図を理解したからか。顎髭を撫でながら、細かく何度も頷く。
「そ……そんな、っ?」
ガンドラの反応は同時に、副所長に絶望を与えた事だろう。何しろこの場にいる全員が自分に敵対する、もしくはいかなる殺傷沙汰をも黙認する態度を示したのだから。
こうなっては、副所長や魔術師という立場も、伯爵家という後ろ楯も何の役に立たない。アタシがただ両手剣を真横に引けば、刃は容易に首を深々と斬り裂くだろう。
「い、嫌だっ……わ、私は、し、死にたくないっ!」
事ここに至り、自分が全ての交渉の手札を失ったと理解した副所長の顔が、恐怖に怯えだす。
血の気が引いたからか口唇は紫色に変わり、歯をカチカチと鳴らしながら。刃を押し付けられているのに首を左右に振って、追い込まれた状況を否定していくも。
首を振る度に、首に押し付けた刃が副所長の肌を傷付けていく。
眼前の副所長が見せた情けない態度に苛立ちを覚えたからか、アタシは語気を荒らげた。
「副所長、アンタが魔術師だって言うなら。この状況をその魔法でどうにかしてみろよ……訓練生に罰を与えてた時みたいにさあッ!」
「嫌だ、っ……助けて、死にたく、ないっ……」
「……死にたくない、ね」
まだ故郷にいた頃、黒い肌や人並み外れた腕力を知って住民のほとんどが忌避し、石や罵声を浴びせた中。
数少ない理解者の一人だった衛兵のヒューがアタシに何度も繰り返し教えてくれた言葉を今、思い出す。
『武器を構えたら生命のやり取りになる。だからお前は自分から武器を抜くなよ』
街の治安を守る衛兵として、素手同士の騒動はまだ「喧嘩」で済ませ、詰所で互いに頭を冷やし、壊した物の弁償をする程度で済むが。
武器を抜いた場合は事情に関わらず、手段を問わず拘束しても良い、というローゼベリの衛兵の中での決まり事の話だが。
衛兵でないアタシに、ヒューがわざわざ衛兵の決まり事を繰り返す筈がない。となれば、ヒューはこの言葉に何かしらの意図を含ませていたのだろう。
だからアタシはヒューの言葉が何を含んでいたのか、考え。
そして自分なりの結論を出すに至る。
「アンタはナーシェンらッて武器を使ってアタシを殺そうとした。だからアタシはアンタを返り討ちにする……至極当たり前の話じゃないか」
「そ、それは……っ」
アタシが出した結論とは「相手の生命を奪おうとするなら、返り討ちに遭う事も覚悟する」という、兵士としては当然の思考なのだが。
驚く事に、周囲を観察してみると。他人を一方的に害する事をこそ当然と思っている人間が、アタシの予想以上に多かったのだ。
アタシを虐げた故郷の住民らも然り。
そして──目の前の副所長もまた。
「だ、だとしても貴様は……いや、ランディらも全員が、こうして無事ではないかっ?」
「無事だって、そう言うのかよ……ッ」
助かりたい一心で、勝手な理屈を吐く副所長の言葉に。アタシは怒りからか、奥歯を砕けそうな程に噛み締める。
「何が無事なもんかよ」
だからアタシは、剣を握っていない左手で自分の側頭部を指差してみせた。
悪名付きの武器であった巨大な棍棒が直撃し、ぱっくりと裂けて大量の血を流した頭の傷を。
「これを見なッ! アタシは死ぬ程痛い目に遭ったんだ」
「──あ」
アタシが指し示す箇所を視線が移った途端、副所長が何か言い掛けた言葉を詰まらせてしまう。
おそらくは、傷の深さに唖然としたのだろう。
既に傷口の血は止まってはいたものの、殴られた直後は頭が揺れ、意識を失いかけてしまう。
あの時、サバランが庇ってくれなければ。膝を突いて動けなかったアタシは棍棒の追撃で確実に殺されていたし。
ランディとの共闘がなければ、悪名付きの特殊な防御方法を突破するのは困難を極めただろう。
そして、もう一つ。
今の姿勢から副所長に指差し、見せつける事は出来ないが。
副所長が用意した魔法の短剣から放たれた魔法の炎が、不意を突かれたアタシに直撃し、背中に負った火傷だ。
「それに……アタシだけじゃないッ! サバランは脚に火傷を負った! ランディは魔力を使い過ぎて動けなくなった! また襲われてたら無事じゃ済まなかったんだよッ!」
もしカイザスが街の住民、もしくは関係ない貴族であればここまでアタシは激昂しなかったろう。
しかし、カイザスは兵士を養成する施設の副所長という立場の人間だ。まだ一六歳のアタシが到達した結論に、副所長と魔術師の肩書きを持つ人物が無関心という事態に。アタシは無性に腹が立ったのだ。
「副所長に何を言っても無駄だ、アズリア」
怒りの感情を吐き出したばかりアタシの右の肩に、不意に誰かが手を置かれる感触。
振り向くとアタシの前に勢い良く飛び出たのは、先程まですぐ後ろに立っていた筈のランディ。
次の瞬間。
「ぐ、ふううぅっっっ⁉︎」
ランディが勢いのまま拳を振るい、副所長の顔面に減り込ませたのだ。
殴られた衝撃で副所長の身体は後方に吹き飛び、無様に地面を二、三度転がっていく。
決して頑強な体格ではないといえ、座った体勢の副所長を転がしたのだ。ランディはほぼ手加減無しで渾身の一撃を喰らわせたに違いない。
真正面からランディに殴られた副所長の鼻が歪に曲がってしまっていた。
「は、鼻がっ、鼻がああ! 痛い痛い痛いいい!」
苦悶に叫びながら、鼻を押さえる指の隙間から血がぼたぼたと大量に垂れ落ちる。おそらくは折れた鼻から出血したのだろう。
「ふぅ、っ! ふぅっ、ふぅ……ふぅっ」
どうもランディの様子がおかしい。
殴った後の息遣いから、まだ興奮が冷めやらぬ様子だが。そもそも、突然に殴り掛かるという衝動的な行動を取るような性格だっただろうか。
だが今は、アタシ以上に副所長へ憤りの感情を抱いているのが一目で理解出来る程だ。
少なくとも、つい先程会話に割り込んだ時には怒りの感情を表に出していなかったというのに。
「な、何があったんだよランディ?」
短気な性格で、かつ理不尽な理由で攻撃の対象とされたアタシとは違い。ランディの感情をここまで逆撫でするような理由が何かあったのだろうか。
もし今回の襲撃に怒りを覚えたのであれば、先程会話に加わった時点で感情を露わにしていた筈だ。
突然の態度の豹変を疑問に感じたアタシの問い掛けに、ランディは一瞬だけ間を置いた後。
目を伏せてから、重々しい口調でこう告げた。
「ナーシェンが、死んだ」
──と。




