121話 アズリア、接近する気配の正体
そう。戦う、という選択肢だ。
しかし、足音でこそ相手の位置を把握は出来ているアタシとランディだったが。
相手はまだ焚き火で照らされる範囲の外であり、かつ暗闇を照明無しで動けるのはほぼ確定している。そんな相手に、こちらから仕掛けるにはまだ距離が遠すぎる。
まずは初撃だ。
こちらから奇襲気味な先制攻撃を仕掛け、上手くいけば複数いる相手の一体でも減らせるかもしれない。
そうでなくても効果的な一撃を与える事が出来れば、こちらを脅威と見做して引き退る可能性もある。
アタシは両手剣を構えた体勢のまま、一度目を閉じて足音を拾う事に集中する。
「あと一〇歩……いや九だ。八、七……ッ」
相手の歩を数えるアタシに、横に並び、同じく足音を数えて距離を測っていたランディが驚いた顔でこちらを向く。
「お、おいアズリアっ? それは──」
おそらくは。アタシの口から出た歩数が、自身が想像しているより少ない事に。ランディは一緒に迎え撃つという想定で、距離を数えているつもりだったのだろう。
確かに、ランディとは昼間での悪名付きとの戦いで共闘した事もあり。彼の剣の腕、実力は文句の付ける箇所はない。
ランディの魔力が尽きかけた状態でなければ。
魔力が枯渇すると、まず身体が鉛や鉄になったように重くなり。次いで意識が朦朧とし、吐き気や強烈な眠気が襲い。まともに歩く事も出来なくなる。
アタシも右眼の力を開放した際に良く、魔力の枯渇を起こすので嫌という程知っていただけに。
今でこそ足音を拾えるまで回復したランディの状態だが、まだまともに剣が振るえる程に体力が戻ったという保証はない。
ならばアタシに今、出来るのは。単独で足音の主らを迎撃する事以外には、ない。
アタシはランディの疑問の声には敢えて答えなかった。
何故なら、答えるより先に足音の主が。焚き火の光と暗闇との境界線を踏み越えてきたからだ。
「二……一」
故郷にいた頃、アタシが粗悪な武器を振るい、獣や魔物の生命を奪い、時には人間を倒していたのは自分が生きる為だけ。
こうやって他人のために戦うなど想像も、そして理解も出来なかったが。
今ならば理解が出来る。ランディを戦わせ、危険に晒したくはないと。
勿論、サバランやイーディスも同様にだ。
背中の火傷が、鈍い痛みを訴える。
だがアタシは歯を噛み合わせて痛みを堪えながら。足音の主があと一歩、境界を越える瞬間を見計らい。
両脚へと力を込めていく──そして。
「今度はアタシが──三人を守るんだッッ‼︎」
「……アズリアっ⁉︎」
最早、こちらの位置は相手に露見していたからか。アタシは戦う決意を声に乗せ、
制止しようとしたランディの声を抜き去る勢いで、一気に前方へと跳躍する。
気合いを入れ過ぎたせいか、蹴り出した時に勢いが余って地面を抉ってしまったが。
一度、速度が乗ったら。踏み込むまでは両脚に集中させていた力を、今度は腰や腕へと移して力を溜める。
威力ある初撃を相手へと叩き込むために。
「さあッ! 見つけたよッ!」
脅威的な速度で踏み込んでいくアタシの視界に、ようやく暗闇の中から足音の主が朧げながら姿を見せる。
四足の獣ではなく、人型をしたその陰影を。
「小鬼? いや、違うっ……人?」
その背丈がアタシの腹ほどの小柄だった事もあり、最初こそ小鬼や豚鬼ら下位魔族が頭に浮かんだが。
小鬼にしては横にずっしりと広がった頑強な体格、さらには金属鎧を着込んでいたような表面に。下位魔族だという想定を、アタシは直ぐ様に否定した。
ならば正体は、装備の整った野盗辺りか。
結局のところ、ナーシェンら四人への報復を後回しにした事で。
アタシは未だ、人間の生命を奪った経験が皆無なままだったのだが。
「だとしても、だよ! アタシがやるコトは変わらないッ!」
そんな些末な事は関係がない。アタシはただ背後の三人を守るために、構えた両手剣を振るうのみ。
眼前の相手に狙いを定め、アタシは肩に乗せていた両手剣を跳ね上げ。その勢いを突進力に上乗せし、刃を勢い良く真上から振り下ろしていく。
真っ向から、相手の頭を二つに叩き割ろう勢いで。
──だが。
「な、ッ⁉︎」
アタシの初撃を受け止めるため、眼前の相手が頭上に両手で構えたのは。剣や槍ではなく、鉄製の戦鎚。
その戦鎚によって、振り下ろした両手剣の刃は見事に止められてしまったからだ。
余談だが──戦鎚と所長ジルガの用いる大鎚の違いとは。
双方ともに長い柄の先に平らな打撃面を備え、振り回して相手を殴り付ける活用法までは同じだが。戦鎚が頭の片端が鉤状で、かつ頭部分が小さく取り扱い易いのに対し。
所長の大鎚は、人の頭二つ程の巨大な鉄塊が柄の先に装着されている、全くの別物の武器である。
「アタシの、渾身の一撃を……止めたッ?」
焚き火が照らす範囲ギリギリの暗さにも目が慣れ、攻撃を止めた相手の表情を窺い知る事がようやく出来た。
鉄兜の隙間から顔を覗かせたその人物は、豊かな顎髭を生やし。一見すると老齢にも思えた、アタシが知らない人物だったのだが。
「おいおい……訓練生だと聞いていたが。何じゃ、この馬鹿みたいな威力の一撃は」
「アタシらを訓練生だ、ッて知ってる?」
何故か、アタシの渾身の攻撃を受け止めた老齢に思えた人物は。それでも余裕を残した笑みをこちらへと向けながら。
アタシを「養成所の訓練生」だと言ってみせたのだ。
こちらを訓練生と知りながら接近してきた事に加え、暗闇の中でも動ける能力。
それに何よりも。右眼の異能により授かった、人並み外れた怪力とも互角に競り合う腕力の持ち主。
「だ、誰なんだい、アンタらはッ……」
目の前の人物が何者なのか、まるで思い浮かばず、疑問が頭を埋め尽くしてしまい。
攻撃を続けられる心理状態ではなかったアタシは、一旦背後へと飛び退いて間合いを空けた、
と、同時に。
背後に控えていたランディの声がした。
「アズリア、俺の記憶に間違いないなら……目の前にいるのは人間じゃない、岩人族だ」
「ど、ど……わーふ?」
突然に「岩人族だ」と言われても、アタシの疑問が解消される事はなかった。
それもその筈、生まれてからこれまで故郷から遠出をした事のないアタシは。人間以外の種族がいる、という程度の知識こそあれど。実際に人間以外の種族と遭遇した記憶はなかったからだ。
アタシがあからさまに「知らない」という態度と発言をしてしまったためか。
「何じゃ、お前。ヘクサムにいるのに儂等岩人族を知らんとな⁉︎」
背後から声を掛けたランディ以上に。声を荒らげた反応をしてみせたのは、眼前にいた老齢で小柄な髭男だ。
お陰で、こちらから攻撃を仕掛けた事でアタシとの間に張り詰めていた緊張感、警戒心は。一気に薄れてしまったのだが。




