119話 アズリア、刃を止めた理由
冷たく言葉を吐き捨てたイーディスが、握る短剣を真っ直ぐに振り下ろす。
サバランも制止を諦めた今。その刃は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった取り巻きの胸に突き刺さり、致命傷を与える筈──だった。
だが残念ながら、そうはならなかった。
「な、っ⁉︎ あ……アズリア?」
何故なら、咄嗟に泥の付着した両手剣を拾ったアタシが飛び出すと。
イーディスと取り巻きとの間に割り込み、殺す気で振り下ろされたイーディスの短剣を受け止めたからだ。
両手剣で止められて尚、イーディスは短剣に込めた手を暫くの間緩めなかったが。
攻撃を阻んだアタシが一歩も退く気がない事を理解をすると。一転、攻撃を諦めてアタシから一歩離れた。
武器の大きさや単純な腕力の差から、これ以上迫り合いを続けるのは無駄な抵抗だと悟ったのだろう。
「何で……止めた? ここでこの連中を始末しておけばっ──」
だが、イーディスは取り巻きへの攻撃こそ断念したものの。何故にアタシが止めに入ったのか、納得していない様子だった。
「確かにね……イーディス、アンタの言う通りさ。ここでコイツらを始末すりゃ、動くのが楽になる」
反対に、アタシはイーディスの行動の意図が手に取るように理解出来た。
拘束を解く事が出来ず、アタシらの行動の重い足枷となっているナーシェンら四人が排除出来れば。今、こちらへと接近してくる複数の足音への対処も選択肢が増える。
しかも相手はこちらを殺す目的だった、ならば一つの遠慮も必要ない、とイーディスが判断するのは当然だと思う。
それでもアタシは、イーディスの短剣を止めた。
「ならっ!」
「でもね、それじゃアタシが嫌なんだよ」
アタシは拒絶の意思を込めた真っ直ぐな視線で、イーディスの両眼を射抜いてみせると。
「っ!」
あくまで合理的な判断から、ナーシェンらに対して明確な殺意を持っていなかっただろうイーディスは。さすがに仲間の強い反対を押し退けてまで生命を奪う行為を強行する事には抵抗があったようで。
「イーディス。ここは退いてくれよ」
「──わかった」
アタシの視線に気圧されたのか、今立っていた場から一歩後退る。
この後退で、手を伸ばしたところで短剣の刃が届かぬ位置となるイーディスを見たからなのか。
アタシに庇われる、という状況となった取り巻き三人の顔が安堵で緩むのを──見逃がさなかった。
おそらく三人は今「生命が助かった」と思い込んでいるのだろうが。
「おい。勘違いするなよアンタらッ」
「んむぅ──ぐ、ふぅ!」
アタシは振り返った途端に、一番近い取り巻きの男の胸ぐらを掴むと。
腕に力と怒りを込めて、地面に寝転がっていた男の身体を一気に持ち上げた。
怒りの感情、それは。アタシの不意を突き、背中に炎の魔法を浴びせてくれた事への憤りに他ならない。
「う、ぶぶぶぶぶぶぅっ……」
大柄な体格のアタシが、掴んだ箇所を目線程の高さにまで持ち上げたのだ。
アタシより背丈の低い男の両足は地面から浮き、掴んだ衣服だけが男の体重を支えていたため、首回りがきつく締まり。男の顔色は安堵から一変、苦痛に歪んだ表情を浮かべていた。
残りの二人も緩んだ表情は顔から剥がれ、代わりに困惑の感情が張り付いていた。
おそらく二人は今、「何故、間に割って入ったアタシが乱暴を働くのか」とでも考えているのだろうか。
「アタシがイーディスを止めたのは、アンタらを助けたからじゃない。アイツに任せるのが嫌だ、ッて意味だよ」
「んんんっ! んんんんんんっっ⁉︎」
「何言ってるか分かんないけどさ」
下手に騒がれないよう、口元に布地を巻いて声を出せなくしていたからか。
イーディスの時と同様に助けを乞うているのか、或いはアタシへの罵声なのか。
アタシに持ち上げられていた男が、果たして何を訴えているのか。その意図を知る事は出来なかった。
「なあ、忘れたワケじゃないだろ……アタシはアンタらに背中を焼かれてんだよッ」
先程のイーディスの攻撃をアタシが阻止したのは、イーディスには取り巻きに刃を向ける明確な理由がなかったからだ。
何しろ先の戦闘で、無傷で済ませたのはイーディスただ一人のみだし。ランディの身体の不調の原因は、魔法の行使のし過ぎだからだ。
ナーシェンらの裏切りで負傷したのは、完全に不意を突かれ背中に魔法が直撃したアタシと。次に放たれた魔法からアタシを庇い、盾で防御出来なかった両足を焼かれたサバランだけ。
つまりアタシとサバランには、ナーシェンら四人に報復する明確な理由があると言える。
「そういや……確か、アンタだよね? アタシに不意打ちを喰らわせたのは、さ」
「んんんっ⁉︎」
アタシの言葉に、胸ぐらを掴まれた男は一際大きな言葉にならない声を漏らす。
これは偶然だったが、アタシが手を伸ばし掴んでいたのは。悪名付きとの戦闘の最中、アタシの背後から攻撃魔法を放った男だったからだ。
男は口枷で声が出せないためか、大慌てで首を左右に激しく振り、アタシの言葉を否定していくが。
顔による特徴以外にも、この男には他の二人にはない他ならぬ証拠が身体に刻まれている──それは男の右手だ。
アタシは、握っていた両手剣を一度地面に突き刺すと。空いた手で男の右手へと触れていくと。
「んんん──ごおおおおっっっ⁉︎」
途端に苦悶に満ちた表情に変わり、言葉にならない絶叫を口にする男。
見れば、アタシが触れた男の右手首は不自然に赤く腫れ上がり、歪に曲がっている。
「誤魔化そうとしても無駄さ。だって、アンタの手首はアタシの蹴りで圧し折れてる……違うかい?」
そう。
初撃でアタシの背中を、二発目でサバランの脚を焼いた男の炎の魔法だったが。三回目の攻撃を放つ事をアタシは許さなかった。
三発目の魔法を放つより早く、男の至近距離に迫ったアタシは蹴りを放ち。発動準備をしていた男の手首を砕いたのは記憶に新しい。
あの時は。
まさか自分の生命が狙われている危機だと微塵も思ってはおらず。あくまで訓練生同士の諍いの延長線として、手首を蹴り折る程度に抑えたのだったが。
イーディスの尋問の結果、ナーシェンらの目的を知る事となった今。その微塵の情けもアタシの頭からは吹き飛んだ。
寧ろ、時が経てば経つ程。背中を焼かれた復讐心や、理不尽に生命を狙われる憤りが、アタシの胸中にこれでもかと広がっていた。
アタシは再び、地面に突き立てた両手剣の柄を握る。




