117話 アズリア、接近してくる足音
ランディにイーディス、そしてアタシまでが鍋の肉を堪能していたその時。
大急ぎで削っていた匙が完成し、サバランもようやく食事にあり付く事が出来る。
「う、うおっ? 肉もだけど、この野草も……う、美味いっ!」
そう、湯や肉に塩味を与えた芝茜草は、火を通すと適度に噛み切れる歯応えと。独特な苦味と塩味、舌に微かに残る刺激が戻した肉に合う。
特に、一角兎を乾燥させた肉の風味とは非常に相性が良かった。
「な。だから言っただろ」
アタシは故郷での街の外で生活する二年の間に。自前で捕獲した一角兎の肉を干し、何度もこの組み合わせを自分の舌で体験済みだったのだ。
「うん、美味いっ。もう一杯」
「ちょ、おま……俺はまだ最初の一口しか食ってないってのに!」
サバランにも好評だった干し肉と芝茜草の鍋は。
さすがに四人で何度も匙を投入し続けていると、みるみる内に鍋の中身は消えていってしまい。
「お、おい? まさか、もう終わりか」
今回、鍋で調理したのはアタシの分だった数切れの干し肉のみ。それでも乾燥させ水を抜いて縮んだ干し肉は、沸かした湯の中で膨らみ。投入した野草と合わせれば、四人で食事を楽しむだけなら問題な い量だったが。
さすがに戦闘を終えたばかりの四人が空腹を満たすには、全くと言ってよい程に量が不足していた。
あっという間に、鍋に残ったのは肉と葉を茹でた湯のみとなったのを見たアタシは。
口惜しそうに、鍋の湯を匙でかき混ぜていた三人の目の前から、ひょいと鍋を持ち上げると。
「だったらアンタらの荷物から干し肉を出しなよ。それでもう一度作り直してやるから」
まだ食い足りない、とアタシに催促をするような視線を向ける三人へと。持っていた干し肉を提供するように、開いた手を突き出していく。
「ほらよっ」
「これは俺の分の干し肉だ」
すると三人は、余程鍋が気に入ってくれたのか。自分の荷袋へと手を突っ込み、配給されていた干し肉を残らずアタシへと手渡してくれたので。
早速アタシは、貰ったばかりの干し肉を短剣で適度な大きさに切り分け。
もう一度、湯だけになった鍋を焚き火にかけ、湯を沸かしていく。
「しっかし、この小さな鍋じゃ……三人分の肉を一気に茹でるのは無理そうだね」
養成所から用意された鉄製の鍋は小さく、切り分けた三人分の肉を投入すれば、湯が溢れて鍋から溢れてしまう。
それでは野草を入れる容量の余裕が無くなる上、干し肉が柔らかく過程で鍋の湯を吸い、湯が足りなくなってしまう。
その問題を解決するには、方法は一つ。
「多少、面倒かもしれないけどさ。何度か小分けにして食べてくれないか?」
アタシは、湯が溢れない程度に加減した量の干し肉を鍋へと投入し。
ぐつぐつと沸いた湯の中で、固く乾燥した干し肉が柔らかくなるまでの時間。焚き火の番から離れようとした。
肉と一緒に食べる芝茜草がもう手元にないからだ。本来ならば、調理をするアタシ以外に野草の採取を任せるべきなのだが。
「なあ、三人の誰でもいいからさ。少しばかり、火の番を任せてもいいかい?」
「それは構わないが……どうした?」
「もう芝茜草……さっき鍋に入れた野草がもうないんだ。だから少しばかり摘んでこようかと、ねッ」
アタシの声にいち早く反応したのはランディ。
魔力の枯渇で戦闘終了直後は動けなくなってしまっていたが。
僅かに魔力が戻ったのか、今はまだ膝が震えて足元が不安定ではあるが。何とか立って動ける程度には回復していた。
それでも、さすがに野草の採取を手放しで頼める状態では決してなく。しかも芝茜草の事を知っているのはアタシの他、この状態のランディしかいない状況では。アタシが採取する以外に方法はない。
「わかった。だけどアズリア、お前も負傷者なんだからな。くれぐれも無茶は禁物だぞ」
「心配するなッて。言われなくても、焚き火の灯りが届かない範囲からは出ないよ」
ランディに告げた言葉は、紛れもなくアタシの本心だ。
強敵との遭遇に、競争相手からの突然の裏切りを同時に受けて。それでも幸運に勝利を得たばかりなのだ。
その直後に、食い意地だけで我が身を危険に晒すような真似をする程、アタシは生命知らずではない。
そもそも──死にたい、と思うくらいにアタシの心が弱かったとしたら。故郷で母親から拒絶された時点で、アタシは自ら死を選んでいただろう。
ひらひら、とランディに手を振り。焚き火と鍋の番を任せると。
アタシは周囲の地面に生えている草の中から、長くギザギザとした特徴的な葉をした芝茜草を探し始めると。
お目当ての野草を発見し、指を伸ばす。
「おッ! あったあった」
一本、発見をすると。その周囲にも同じような特徴的な葉を見つける事が出来、早速アタシは一〇本程の芝茜草を入手した。
しかし、アタシの後ろには腹を空かせた三人の男が今か今かと鍋が煮えるのを待っており。アタシを含めた全員を満足させるのには、野草一〇本程度では到底足りる訳がなかった。
さらに散策を進めた──まさにその時。
「ん?」
草を掻き分ける際に発生する、葉と葉が擦れた音や。焚き火の薪木が焼け、ぱちぱちと爆ぜる音。さらに鍋の湯が沸いた音や、食事を待つ三人の声等。周囲に様々な音が聞こえていたが。
一瞬だけ、アタシの耳が異変を拾う。
それは、枯れた枝を踏み折る時に鳴る音だ。
聞こえてきた方向は、今アタシらが野営をする焚き火のある位置からではなく、森や茂みの奥からだった。
もし、拾った音が本当だとしたら。枯れ枝を折る程の大きさの何かが、野営の場所に迫ってきているのかもしれないという事だ。
「聞き間違いじゃ、ないよね……」
最初は聞き間違いかと思い、アタシは一旦野草の採取の手を止め。両手で耳元を覆い、周囲の雑音を遮って。あらためて枝が折れた音がした方角へと耳を澄ませると。
今度は間違いなく、地面を踏む足音がした。
「やっぱりだ。何かが……いるッ」
しかし、アタシがいくら足音が聞こえた方角に視線を飛ばしてみても。夜の闇に閉ざされた視界の先に、足音の主の姿を見つける事は出来なかった。
視界に入らない距離から、無警戒に枝を踏み折り、足音を立てている時点で。気配を消す意思が感じられない。
つまりは、こちらに明確な敵意がないという事だ。
まず考えられるのは、ヘクサムからの救援だ。救援が必要だと赤い煙は上げたものの、煙を見て救援が到着するにはさすがにまだ早過ぎる。
となれば。
偶発的に付近を通りかかったか、焚き火の灯りに引き寄せられたかした獣の類いかもしれない。
だが、何にせよ。アタシが耳で察知した何者かの気配は、徐々にこちらへと接近しつつある。
「こりゃ、呑気に草集めてる場合じゃないよ……ッ」
隠密行動は苦手なアタシだったが、出来る限り足音を殺し、息をする音も立てないように。ゆっくりとした歩調で三人の元へと帰還すると。
「どうした、アズリア? 深刻そうな顔して」
「まさか、魔物か何かが現れたとか言うんじゃないだろうな」
一度、食事で鍋を囲んでしまったからか。火の番をしていたランディも、食事を待つ間に二人で雑談をしていたサバランとイーディスも。完全に気が緩んでしまっていたが。
「その……まさかだよッ」
アタシの一言で、場に緊張が奔る。




